第102話 いくつになっても格好つけたいのが男の子
ファイターエイプの群れと戦うユーリ。攻撃をよけ、間合いを切る度、自然と戦いの中心が移動していく――カノン達三人も、付かず離れずの距離を保ちつつ、ユーリの戦いを見守っていた。
辿り着いた小さな広場で、ユーリは今も四方八方から襲い来るファイターエイプを千切っては投げている。
「……あんな戦いの何処が参考に……」
エミリアの苦虫を噛み潰したような顔には理由がある。実は出発前に、エレナから「君と同じ様に死を厭わない男だ。戦いを参考にするといい」と聞かされていたのだ。
確かにエミリア自身、死ぬ事は厭わない。なぜなら一日五回と回数限定だが、エミリアは死を無かった事に出来るから。要は命が五つあるのと変わらないのだ。命が一つでないなら、そこまで気にする必要はない。
だがどうだ。目の前で今もモンスターの攻撃をスレスレで躱す男は、エミリアと違い一度死ねば終わりの凡夫だ。選ばれた能力があるわけではない。にも関わらず、己が命を軽々しく扱い、死地へと自ら突っ込んでいる。
あれを参考にする? 自分も傍目にはあのような異常者に見えているのだろうか。思えば普段からルカが、自分を心配するような立ち回りをしているな、と今更ながら気付かされている。
エレナが何を思って「参考にしろ」と言ったのかは分からない。だが一つだけ言えるのは、全く参考にならないという事だけだ。
エミリアは別に死にたい訳では無い。
死なないから突っ込んでいるのだ。
だがアレはどうだ。
単に死にたがりの――
「あの男が一番命を粗末にしている気がしますわ」
そう思えば余計に腹立たしく感じてしまう。あれだけ「お前の戦い方では死ぬ」と偉そうにほざいていた男が、自分以上に命を軽々しく扱っているのだ。愚痴の一つも出るというものである。
呟いたエミリアの視線の先で、ユーリへ向けて一斉に襲いかかる猿の軍団。
正面の一体が腕を振り上げた瞬間、その顔面にユーリの右拳が突き刺さる。
先程までと違い、顔面が吹き飛ばない一撃。
首をへし折っただけに留まったユーリが、突き出した右手で猿の顔面を掴んで振り回す。
ブラブラと揺れる猿の足や腕が、仲間の顔面や身体を叩いて吹き飛ばしていく。
ユーリに近づけば、その身体を振り回され、少しでも距離をあけようものなら――
「逃げんなって」
一瞬で距離を詰めたユーリの膝蹴りが頭を吹き飛ばす。
包囲が緩んだと思いきや、自ら包囲に飛び込んでいくユーリの戦いは、命を粗末にしている、と言われても仕方がない。
「笑ってる……」
ルカが目を見開き、「変態ですわ」とエミリアも呆けた表情のままだ。
「ユーリさんですからね」
一人納得するカノンだが、そんな言葉程度で済まされないだろう、と言いたげな視線を二人が送っている。とは言えカノンもそれ以外の言葉では説明が出来ない。
あれがユーリなのだ。
この戦い方がユーリという男そのものなのだ。
ユーリにも何らかの目的があるはずなのに、いざ戦いになれば、この立ち回りである。普通のハンターからしたら考えられない無謀な戦い方だが、ユーリはそれを止めるつもりはないらしい。
エレナをして「死に急いでいる」と言わしめる苛烈な戦い方。そしてカノンをしても、何故ユーリが戦いにおいて「死に急いでいる」と言われる程、己の命を燃やすのかは知らない。
ただただユーリは己の命を的に、モンスターの群れに嬉々として飛び込んで暴れまわるのだ。一見無謀とも思えるその方法が、ユーリにとっての日常らしい。
今もユーリは猿の腕を躱しながら、カウンターでその一体を吹き飛ばした。
そんなユーリが何かに気がついたように大きくバックステップ。
ユーリのいた場所に突き刺さる拳大の石礫。
どうやら近距離だけではユーリを捉えきれないと思ったのだろう。
少し離れた位置から、援護射撃のように礫が大量に降り注ぐ。
それをバク転で躱すユーリ。
止まらない礫の雨。
面倒そうに眉を寄せたユーリが、礫を無視して一気に加速。
猿の集団へ飛び蹴りとともに飛び込んだ。
慌てる猿が腕を振――ろうとする猿の腹をユーリが蹴り飛ばした。
もう何度も見た単純な攻撃だ。
カウンターの精度も速さも最初の比ではない。
それでも一瞬開いた空間に、再び礫――
ユーリは近くにいた猿を引き寄せて盾にした。
礫が猿の身体に鈍い音を響かせる。
目の前でボロボロになりグッタリした猿をユーリが放り捨てる。
ユーリの行動に怒ったのだろう、歯を剥き出しにして猿が腕を振り上げ――その頭が吹き飛んだ。
ユーリが蹴り上げた礫が、猿の頭を吹き飛ばしたのだ。
「飛び道具、ゲットだぜ」
笑ったユーリが爪先で器用に礫を蹴り上げた。
フワリと浮かぶ礫。
それに向けてユーリも跳躍。
ユーリの飛び右回し蹴り。
礫が音を置き去りに、遠くの一体の胸を貫いた。
着地と共にユーリの両足が――爪先と踵で挟んで――いくつかの礫を蹴り上げた。
宙に浮いた礫にユーリの後ろ回し蹴り――礫が消えれば、遠くで数体の猿に穴が開く。
蹴り足が地面に戻れば、爪先が器用に一つを――
再び宙に浮いたそれに、猿達も「拙い」とユーリを抑えようと再び突進。
一匹の猿が宙に浮く礫を掴もうと、
手を伸ばした瞬間、その顔面にユーリの右足刀蹴りが突き刺さった。
眉間が潰れて吹き飛ぶ猿。
上げたままの右足で、ユーリが礫を器用にキャッチ。
片足立ちのユーリへ、二匹の猿が飛びかかった。
礫をもう一度宙へ放って、ユーリが跳躍。
左右に思い切り開いた両足が、二匹の頭を同時に潰す。
そのまま縦回転で、遅れて突っ込んできた一匹の脳天に踵落とし。
頭蓋が拉げて、猿が地面にめり込む。
着地したユーリの目の前に――戻ってきた礫。
それをユーリの左足が捉えれば、再び遠くで猿の身体に風穴が空いた。
数こそまだまだ健在なファイターエイプだが、ユーリの周りに折り重なる仲間の死体に、流石のモンスター達も既にユーリを警戒し、遠巻きに吠えるだけとなっている。
「張り合いがねぇな。まだまだ居るだろ?」
そんなファイターエイプ達に向けて溜息をついたユーリが、足下の礫を左手で拾い上げ何度かトス――
それを徐ろに放り投げた。
風切音すら発生させないユーリの投擲。
それが一匹の脳天に吸い込まれる――瞬間、その礫を一際大きな手が受け止めた。
「おっと、ボスって事でいいのか?」
笑うユーリの視線の先には、他よりも身体が一回り大きな金に近い毛を持ったファイターエイプ。
「シルバーバックならぬゴールドバックって所か」
呟くユーリの目の前で、ボス猿が腕を振り上げて雄叫びを上げた。その声で周囲で警戒していた猿達がさざ波の如く退いていく――
「一騎打ちか。エテ公のくせに粋だな」
ユーリが腰を落としてボス猿へと相対する。
ボス猿が一足飛びで間合いを詰め、飛びかかりながら、両腕をユーリに叩きつけた。
手を組む形のハンマーパンチ。
右に体を開いたユーリ。
ハンマーパンチが地面を穿ち、礫を周囲に撒き散らす。
ほぼゼロ距離にも関わらず、自身に飛んでくる礫のうち、大きな物をユーリは全てキャッチ。
両手一杯になったそれを、躊躇わずにボス猿へと投擲。
散弾のように降り注ぐ礫が、ボス猿の身体で大きな音を立てる――が、
「丈夫な身体だな……いや、毛のほうか?」
苦笑いのユーリが言う通り、ボス猿にダメージは殆ど見当たらない。
まるで人間のように口角を上げたボス猿が、振り降ろしていた両腕をユーリへ向けて薙ぐ。
スウェイで躱しつつユーリの左上段回し蹴り。
その一撃を、ボス猿もスウェイで躱した。
「へぇ」
楽しそうに笑うユーリの目の前で、ボス猿がバク転でユーリとの距離を取った。
「猿にしちゃやるじゃねぇか」
指を鳴らすユーリの目の前で、ボス猿が何度か跳躍――かと思えばその姿を消した。
恐ろしい速度でかつジグザグにユーリへ迫る。
ユーリの横合いからボス猿のドロップキック――
躱したユーリの目の前をボス猿が通過。
通り過ぎたボス猿が、街灯を掴んで鉄棒の様に回転。
再びユーリへ向けて高速で飛びかかる。
それをユーリが躱せば、別の街灯でボス猿が回転。
至るところで街灯が撓り、ボス猿が勢いを増しながらユーリへ襲いかかる。
切り返す度速度が上がるボス猿。
その攻撃が僅かだがユーリへ当たり始め――
「ちょっと、拙いんじゃないですの?」
エミリアが眉を寄せて助太刀に入ろうと――するその手をカノンが掴んで首を振った。
「カノン、流石にあのままでは――」
「大丈夫ですよ。そろそろ『慣れた』って言うはずですから」
カノンが浮かべた苦笑いが合図だったように、ユーリが飛んでくるボス猿に対して身体を真正面に向けた。
ボス猿渾身のドロップキック。
ユーリの胴体に吸い込まれた――かに見えたそれだが、ユーリの姿が消えた。
その瞬間、上空へとカチ上げられるボス猿の身体。
ドロップキックを潜り込むように躱したユーリの左足刀蹴り。
打ち上げるような蹴りが、ボス猿の身体を一瞬で上空まで運ぶ。
掴むもののない上空。
完全に隙だらけの身体。
そんなボス猿を見上げたユーリがニヤリと笑う。
廃墟の壁を蹴って一瞬でボス猿よりも上空へ――
「猿にしちゃ楽しめたぜ」
獰猛な笑みのユーリが、縦に高速回転。
振り降ろした左踵が、ボス猿の身体を斜め下へと叩きつけた。
叩きつけられた先は、建物から剥き出しの鉄筋。
それに身体を貫かれたボス猿が口から血を吐き、何かを掴もうと何度か腕を彷徨わせ――そのまま力なく四肢を放りだした。
地面に降り立ったユーリの「次はどいつだ?」と言う声に、周囲を彷徨いていたファイターエイプ達が蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
「……ンだよ。モンスターのくせにガッツがねぇな」
呆れた溜息をつくユーリだが、流石のモンスターでもあれだけ仲間を殺され、最後にボスまで殺られては逃げ出すというもの。
散り散りになって逃げていく猿達に、ユーリはもう一度大きく溜息をついた。
「一通り暴れたけど、道路は案外使えそうだな」
ユーリは笑いながらトントンと足で地面を叩いた。先程までの暴れっぷりは何だったのか。そう言えるほどの切り替えの速さに、ルカもエミリアも目を白黒させている。
「……アナタ……ユーリとか言いましたわね」
扇で指してくるエミリアに、ユーリは「そうでございますが?」と何故が眉を寄せながらお嬢様口調だ。
「アタクシに、あれだけ『死ぬ』だなんだと言っておきながら、アナタの方が危なっかしいじゃありませんこと?」
音を立てて開かれた扇がエミリアの顔下半分を隠した。
「そりゃそうだろ。たまに死を感じてねぇと鈍っちまうからな」
呆れ顔のユーリに、エミリアだけでなくルカも信じられないと言った表情を返している。
ユーリが言っているのは、死を隣に感じていた日常があったという事だ。
ハンターを始め、能力者であれば荒野で命の危機、死を感じる事はあるだろう。だがそれはあくまでも、不慮の事故や不幸に見舞われた時だけだ。
日常において死を隣に感じる生活など、そんなもの――
「か、格好つけてるんですの?」
――あってたまるか。その言葉を飲み込んで、エミリアが声を上擦らせた。
そんなエミリアの言葉に、一瞬だけ「フフッ」と笑い頭を掻いたユーリが、「男の子だからな。格好つけてたいんだよ」とエミリアに苦笑いを浮かべてみせた。
「そうやって格好つけてても、死ねば終わりですのよ?」
キツく睨みつけるエミリア。苛立たしげなその様子は、まるで自分に言い聞かせているように聞こえなくもない。
実際ユーリがいなければ、あの大群相手にエミリアとルカの二人では最悪の事態もあり得たのだ。己の慢心が招いた危機を嬉々として打ち払ったユーリ。
腹立たしいのは、目の前のユーリが自分以上に慢心して見えるからだろう。だから余計に慢心していた自分が重なり、文句の一つも言いたくなるものだ。
……運が良かっただけだと。
そんな気持ちが籠もったエミリアの「死ねば終わり」に、一瞬だけ目を丸くし「お前が言う?」とボヤいたユーリが笑顔を浮かべて、それは突っ込んだら駄目だな、と言う具合に首を振った。
代わりに捻り出したのは、格好つけた言葉だ――
「この程度で俺が死ぬかよ。もし仮に死んだとしたら、その程度の男ってだけだ」
肩を竦めるユーリだが、「その程度ですって?」と眉を寄せたエミリアがユーリから視線を逸した。
「その程度だろ。俺は死ぬつもりはねぇ。……が、死ぬときゃ死ぬ。そんだけの話だろ」
面倒そうに頭を掻くユーリが更に続ける。
「俺らしく死ぬか。無様に生きるか。二択なららしさを選ぶだろ?」
言い切ったユーリに「意味が分かりませんわ」、とエミリアが鼻を鳴らして視線を逸した。
「分かる必要は無ぇよ。コッチ側に来たいんなら話は別だが」
ユーリの見せる獰猛な笑顔に、エミリアが思わず一歩後ずさった。
ユーリの言う「コッチ側」が何かは分からない。分からないが、その扉は開いてはならない、という事だけは本能レベルで感じている。
「ただ俺は、こんな所で死んでやるつもりはねぇ。だから心配すんな」
笑顔のユーリに「誰が心配なんかするんですの」、とエミリアが思い切り呆れ顔を返した。
ユーリの言っている事は納得も理解も出来ないし、するつもりもない。だが、己の中にあった慢心は認めざるを得ない。とは言え、それを素直に認められるほど、エミリアという女性の精神面は大人になりきれてはいない。
心に燻る何かはあるが、これ以上ユーリとの問答は不要とばかりに、エミリアが小さく溜息をついて口を閉じた。納得も理解もしていない。だが困惑する表情のエミリアを見ると、何かしら足りない部分を感じ取っているのだろう。
とは言え、今の時点でそれ以上を突っ込んだ所で意固地になるだけだ。何よりエミリアの意識改革についてはユーリの預かり知る所ではない。
エミリアから視線を外したユーリは、少し後ろで退屈そうにしている相棒に手を挙げた。
「カノン、さっさと調査とやらを済ませて帰ろうぜ」
その言葉にカノンがニヤリと口角を上げた。
「フッフッフ。もう既にある程度の調査は終わってるのです!」
ユーリが暴れている間に、調査を進めていたのだというカノンに、「たまには役に立つじゃねぇか!」とユーリが嬉しそうにベレー帽をクシャッと潰した。
「『たまに』はとは何ですか! いつも役に立ってますよ!」
口を尖らせるカノンと、「悪ぃ、悪ぃ」と舌を出すユーリが並んで歩き始める――
「おい、お前ら置いてくぞ?」
振り返ったユーリとエミリアを交互に見比べたルカが「エミー、僕らも行こう」と微笑んだ。
「……そうですわね。あの男に指図を受けるのは不愉快ですわ」
むくれるエミリアがルカを伴って小走りで駆け出した。その心に宿った微妙な変化を振り払うように――




