第9話 家に帰り着くまでが遠足
「ぜぇ…ハァ……クソ遠いじゃねーか」
肩で息をするユーリがイスタンブールの東門に辿り着いたのは、太陽がその役目を月に引き継ぎ暫くしてからだった。
夕暮れにブルサを出発して、約150キロをそれだけの速度で走ってきたのだ。さすがのユーリと言えど息が切れてしまうのも仕方がない。
「くっそ、マジであのジジイぶっ飛ばす」
整ってきた息に合わせるように、額の汗を拭いながらユーリがボヤいた。
そんなユーリの目の前に、ドローンが数機降りてきた。東西の門の違いはあれど、およそ半日での再会にユーリは小さく溜息をついた。
『ジュウミン カードかハンター ライセンスの ごテイジを』
セリフすら全く同じ電子音であるが、ユーリからしたら勝利のファンファーレに聞こえるから不思議なものである。
半日前は、「いけるかどうか」と言う内心ドキドキものであった偽造だが、試験にパスをしてここまで辿り着いたのだ。もう後残るのは凱旋パレードだけ――バタバタと煩いプロペラの音すら、天使の羽音に聞こえるのだから人間とは現金なものである。
「――ほらよ」
栄光のラッパに促されるままハンターライセンスを提示し、緑の光線が照射されること数秒――
『ウッドランク ハンター、ユーリ・ナルカミ……ガイシュツ キロクがありません』
「――なっ」
ゴールテープ直前に出現した思わぬ落とし穴に、ユーリは慌ててしまう。
「ちょ、これには訳が――」
『ハンター ライセンスの ギゾウ および セットウ のうたがいあり――』
ドローンが鳴らすけたたましい警報が門の前に響き渡れば、壁の上で音を立てて動く砲門とサーチライト。
天使の顔をした悪魔だ。しかも仲間を呼ぶなど一番性質が悪い。
明かりに照らされ、「ちょ、タンマ――」ユーリが弁明の口を開くが、時すでに遅し。悪魔が断罪の鐘を鳴らしながら、ゴールテープを持って空へと帰っていく――
響く警報。
輝くサーチライト。
狙い定めた砲門。
そして――
ドローンが去ってから数秒、大扉横の通用門が開き中から数人の完全武装した男たちが出てきた。
お揃いの白いヘルメットに白いアーマーギア。
ヘルメットは顔の上半分を覆い、その姿はいつかのロボット警察のようだ。この時代の警察組織に当たる衛士隊の隊員たちなので、ロボット警察も強ち間違いではないのだが……。
そんな彼らがヘルメットの目の部分だけを青白く光らせ――
「両手を上げろ」
ユーリに魔導銃を突きつける。魔力を弾丸に変えて放つこの時代特有の武器であり、一般的なハンター達にも有効な攻撃手段だ。
そんな完全武装の男たちを前に、
「これには深い訳が――」
「黙れ! 手を上げないと撃つぞ!」
怒りを示す真っ赤なツインアイに、ユーリは渋々と両手を上げる。
「貴様にはウッドランクハンター、ユーリ・ナルカミへの成りすまし容疑がかけられている。大人しく我々についてきて――」
「フフッ――」
「何がおかしい!」
思わず笑ってしまったユーリに対して、魔導銃を構える男たちがその引金にかけた指に力を込めた。
ユーリとしてはそんなつもりはなかったのだが、そもそも『ウッドランクハンター、ユーリ・ナルカミ』という存在自体が虚構であるのに、その成りすましとは。
……しかも本人がそれを疑われるという。
もはやコントのような行き違いに、思わず笑ってしまったとしても、誰もユーリを責められはしないだろう。……事情を知っていればの話だが。
そんな事情を知らない白アーマー達は、今にも引金を引きそうなほど殺気立っている。
(こりゃ大人しくしといた方が無難だろうな)
心のなかで溜息をついたユーリが、男達に向かって口を開く。
「いんや。何でもねーよ。とりあえず大人しくついていくから、その物騒なモン下ろしてくれよ」
苦笑いこそ抑えられないものの、ユーリは両手をさらに高々と上げ、降参のポーズを取った。
「両手を頭の後ろで組め――」
言われるまま頭の後ろで手を組むと、先行する二人について行く。
残りの二人はユーリの隣を固め、最後の一人はユーリの真後ろから背中に銃を突きつけたまま「さっさと歩け」と、その銃口をユーリの背中にグリグリと押し付け始めた。
門に入るとその風景は昼間とはまた違っていた。
ギラギラと輝くネオンが眩しい繁華街――昼間に見たスラム然としていた雰囲気は鳴りを潜め、今は煌々と輝く明かりが、通りを照らし出している。
これは門の東西の違いというより、多くの店が任務帰りのハンターを狙い撃ちにしていると言う点が大きいのだろう。
任務が終わり、一日の緊張が解けたハンターは財布の紐も緩くなるようだ。通りに面した飲食店は軒並み大盛況で、昼間より明るい通りにまで楽しげな声が聞こえている。
明かりがあり、賑やかであれば耳目が集まるのも当たり前なわけで……
連行されるユーリは今や見世物のような格好だ。
「さっさと歩けと言ってるだろう!」
もう何度目になるかわからないセリフと、銃口でグリグリされるユーリの背中。
ユーリとしては、前の二人がさっさと歩かないことにはどうしようもない。後ろの隊員の声は前の二人にも聞こえているはずなのだが、その歩みが早まることはない。
どうも彼らは加虐的な趣味があるようだ。
「貴様のような凶悪犯が市民を危険に晒すのだ」
わざとらしい大声はまるで自分たちの存在をアピールしているようでもある。
(あーなるほど)
ユーリはようやく合点がいった。
彼らは実際にアピールしているのだ。通りに出ている市民、恐らくその中でも先程から目に入るキレイどころに。なんてことはない。通りに並ぶ飲食店の中には、男性ハンターをターゲットにした女性給仕が目玉の店も多い。
そういった店の娘に自分という存在をアピールしているようだ。
「我々がいる限り、市民には指一本触れさせんぞ!」
ユーリの想像通り、そういった店が並ぶ区画ではより一層そのアピールが大きくなったことから、的外れではないだろう。
ユーリが見た目だけは良いのも彼らの行為を助長しているのだろう。イケメンに恥をかかせてやろうという心理だ。ユーリとしては全く気にはならないし、ハンターとして屈強な肉体を持っているため、背中をグリグリされても痛くもなんとも無い。
もちろん相手も警察組織である衛士隊に所属する能力者なのだが、それでも過酷な環境で戦ってきたユーリには及ぶべくもない。
痛くはないし、恥とも思わない。だがそれと、相手の態度が気に入る、気に入らないのはまた別の話だ。
そんなユーリの思いも知らず、男たちはユーリを見世物にゆっくりと通りを歩いていく。
そうやって歩く事しばらく。メイン通りから少し入った薄暗い路地で、ついにそれは起こった。
流石に少なくなってきた人出だが、男たちは大人しいユーリを虐めるのが楽しいのか、その手を緩めるつもりはなさそうだ。
「貴様さっさと歩け――」
「さっきからうるせーな。さっさと歩いてほしいんなら、前の二人に言ってこいよ。バカかテメェは」
大人しく言うことを聞いていたユーリにも、遂に我慢の限界が訪れた。ユーリとしてはかなり我慢したほうだと自分を褒めたい気分で仕方がない。
満足げなユーリの表情と対照的なのは、呆気にとられたような表情の衛士たち。
無理もない。
丸腰で銃を突きつけられ、5対1という数的不利。しかも自分たちは行政側、正義の執行者だ。そんな状況で反論するやつなど、彼らは今まで見たことも聞いたこともなかったのだから。
驚きは一拍遅れて怒りに変わり、怒りはそのまま怒声として発せられることとなる――
「き、貴様! 口答えする気か!」
衛士のヘルメットから見える口が怒りでワナワナと震えている。
「口答えじゃなくて、真っ当な意見だ。早く歩かせたいなら前の二人に言え。二度も言わせるなバカが」
そんな衛士にユーリは「早く言ってこいよ」とユーリの前で同じ様に怒る衛士二人を顎でシャクった。
「ば、バカだと――」
「バカじゃなかったらなんだよ。次『さっさと歩け』とか俺に言ったら、その顎砕くからな」
ユーリとしては言いたいことを言ったのでそれで終わり。と言うつもりだったのだが、相手はそうはいかなかったようで
「22時56分。連行中の容疑者による暴言と脅迫――衛士隊に対する公務執行妨害とみなし、無力化を実施する」
衛士の一人が宣うその声は、怒りすぎているのだろうか震えている。
「はぁ? バカか? こんな狭い路地で――」
ユーリの言葉を待たぬように、五つの銃口がユーリへと向けられた。
その動作に怯えたように市民たちが一斉に建物の中へと避難していく。
ユーリを取り囲む5つの銃口。
片手で顔を覆い、「良いんだな?」ポツリと呟くユーリ。
吹き抜ける夜風にユーリの前髪が揺れた。
「何をボソボソと言っている? 謝罪か? 恨み言か? 恨むなら貴様のバカさ加減を――」
饒舌な衛士の一人、真後ろから銃を突きつけていた一人の銃口を、ユーリは真っ直ぐ掌底で撃ち抜いた。
ひしゃげる銃身。
衛士Aの肩へめり込む銃床。
「――ッグう」
どうやら衝撃で肩が外れたようで、力なくぶら下がった腕から銃が滑り落ちる。
銃が地面に響かせた乾いた音に、一拍遅れて
「き、貴様――!」
ユーリの左を固めていた衛士Bが、引金にかけた指に力を込めたが、その瞬間ユーリは衛士Aの真後ろに周る。
右手で首を締め上げ
左手で衛士Aの左腕を背中へひねり上げた。
完全に衛士Aを盾にする形のユーリに、残りの衛士達の銃口が僅かに下がる。
「その手を離せ!」
「貴様自分が何をしているのか分かっているのか?」
そう叫ぶのはユーリの前を歩いていた衛士CとD。
「分かってるよ。ハンター協会会則4の12。『市中において正当な理由なく明確な敵意を向けてきた能力者に対しては、衛士隊および他ハンターが到着し、その場を収めるまで防戦してもよい。またその際、相手を死に至らしめてもその正当性を説明できれば罪には問われない』を今まさに実践中だ」
ツラツラと述べるユーリの顔はまさに『ドヤ顔』だ。モグリから正規になる上で、一番ネックなのがこのハンター協会会則、いわゆるハンターの常識なのだ。
役に立つかどうか微妙だったので、適当にしか勉強していないが、唯一「殺っちゃってもいいよ」と言う文言だけは良く覚えている。
役に立たないと思っていたが、存外使えるものだとユーリが感慨にふけっていると――
「そ、その衛士隊が我々だ!」
ユーリの右にいた衛士Eが正論を叩き込んできた。……とは言え、ユーリにはその程度想定内の反論だ。
「何言ってんだ。お前らも衛士隊の前に能力者だろ? 正当な理由なく明確な敵意を向けてきた時点で、この会則の適用内だ」
ドヤ顔のユーリが「能力者としか書いてなかったからな」と認識の穴を今も突いている。
「そ、そんなわけがあるか! 仮にそうだとしても、我々は貴様という容疑者を連行するという正当な理由がある!」
仲間を盾にされ、一度は下を向いた銃口。それが再びユーリに向けて真っ直ぐに上げられた。
そんな強気の相手を前に、ユーリは「何言ってんだテメー?」と呆れを隠さない大きな溜息。
「俺が容疑者という理由における正当な行動範囲はせいぜい連行するまでだろ? 暴言や暴行、辱めは容疑者という理由だけじゃ受けるいわれのない敵意だ」
ユーリの言に、一瞬だけ衛士達がたじろぐも――
「そ、そんな屁理屈が通るか!」
――怒声を撒き散らしそれを振り払った。
「バカか。通るんじゃねーよ。通すんだよ」
ユーリが不敵に笑ったかと思えば、わざと声を張るように「いやーさっきまで銃口押し付けられてた背中が痛いなー。もしかしてちょっとだけ発砲してたんじゃねーか?」と棒読みのセリフを周囲に振りまき始めた。
ちなみに魔導銃は込める魔力によって威力が変わるので、地味な嫌がらせに使われたりすることもある。
ユーリの言う「ちょっとだけ発砲」というのは、威力が低い嫌がらせの事だ。
「ま、待て俺はそんなこと――」
「いやー痛いなー! 俺は何もしてねーのになー! 背中がヒリヒリしてるから多分撃たれてんなー!」
悪い顔のユーリは止まらない。肩が外れた痛みのせいか、銃口を突きつけていた衛士Aの声が小さいせいもあって、ユーリの主張が隠れた市民を僅かにザワつかせ始めた。
そんなユーリの思わぬ反撃に、慌てる衛士隊の男たち。何とか状況を打開しようと――
「いい加減にしろ! 貴様の屁理屈など通るものか。我々こそが法で。法が我々なのだ」
怒声でもって、ユーリの棒読み主張をかき消し、照準をユーリに合わせた。
いかに仲間を盾にしていると言っても、ユーリのほうが背が高く、またこの至近距離であれば足や腕なども狙えなくはなさそうだ。
引く気のない男たちを前に、ユーリは溜息一つ。そして――
「仕方ねーな。じゃあ殺すか」
「「「「「は?」」」」」
突然の発言に、男たちの疑問符だけが綺麗に重なった。




