人魚の決意-2
海へと戻ったセレナは満面の笑みを隠しもせずに辺りを泳ぎ回った。
(最初からこうすればよかった!)
水中をカジキのような速さで駆け回る。
(シャウラを人魚にすればずっと傍にいられる! 優しいシャウラが盗賊なんてやる必要ない。あたしが魔女になれば!)
一、二、三回転して泡のリングを浮かべ、セレナは勢いそのままにある場所へ向かった。
「お父さま、魔法を教えてほしいの」
思い立ったセレナが向かった先は海の王宮の最深部、父・オセアンの元だ。
ネイビーの長髪をソロのようにオールバックでまとめ、背丈と同じ程の杖を携えている。
オセアンは海の中でもひときわ色鮮やかで大きく生命力に満ちた珊瑚に囲まれた王の間の、巨大な二枚貝に装飾を施した玉座に腰かけている。
「詳しく聞かせてくれるか?」
しみじみと顔を綻ばせつつ、王はセレナと向かい合った。
「あたし魔女になりたい。大切な人を守る為の力が欲しいの。不条理とか、理すら変えてしまうような」
「なるほど……だが、私には力になれそうにない」
「どうして!?」
「まず、私たちが魔法と呼んでいるものは二つの種類がある」
オセアンが杖を翳すと、辺りが暗くなった。夜光虫が青白く光り、講義の始まりを告げる。
「魔法には二種類ある。私は『誓約魔法』を使うが、これは“海の秩序を守る”という条件下でしか使えない。習得法もなく、私が使えることすら不思議なのだ」
「いつも融通が利かないと思ったら、そういうこと……」
「こら」
次に夜光虫が右側に集まり、新たな図解を浮かべる。
「もう一つは『対価魔法』セレナが習得するならこちらになる。原理は単純で、魔法を使うたびに何かを支払う。人間は魂や寿命を支払えるが、我々はそれらを持たぬ。そうなると」
「肉体で支払うのね」
「その通り。軽ければ毛髪や少量の血で済むが、使い続ければ身体は確実に蝕まれる。本来ならばそのようなことをしてほしくないのだが……」
「あたし達が聞かないのは、もう分かっているでしょう?」
「誰に似たんだか。お前を信じて任せるよ」
辺りが再び明るくなり、夜光虫たちはゆらゆらと戻っていく。
「ありがとうお父さま!」
セレナは笑って手を振った。
「そうそう、近い内にフィアンセを紹介するね!」
「なっ、なんだとーーッ!」
「うふふっ」
王の咆哮を背にセレナは機嫌良く王宮を後にした。
(お父さま、前よりもずっと話しやすくなったわ)
セレナが知っている王は、もっと規律や秩序に厳しく『魔法を習いたい』などと言ったら、髪を逆立てて怒っていたことだろう。思いのほか協力的で拍子抜けてしまった。
(魔法の仕組みはさっきの図解で覚えたわ。次は発動できるように修練しなければ。片っ端から書物を漁っても良いけれど、もっと効率の良い手段がある。それこそお父さまは反対するだろうけれど)
彼女が向かったのは、かつて邪悪な魔女が住んでいた洞窟。
同じ水中で繋がっているというのに目印の岩を越えた辺りから水が濁った緑色へと変わる。次第に白化したサンゴが現れ始め、鬱蒼と伸び続けた海藻が服や鰭に纏わりつく。
(鬱陶しいわ。でもそんなこと言っていられない)
海藻を剥がし、魔女の根城に辿り着いた。
薄暗い洞窟の中に、中央の台座を囲むように人の腕のような岩が聳え立っている。他にも、魔女が集めていたのだろう魔導書や薬草に関する書物、怪しげな壺や装飾品が散乱している。
「利用できるものは利用させてもらうわ」
セレナは魔導書を手に取ろうしたが、視線を感じた。
「人のモノ勝手に触らないでくれる!?」
刺々しい女の声。驚いている間もなく、セレナの目の前を何かが駆け抜けた。見ると、手に取ろうとした魔導書の上に、セレナの顔ほどの大きさのヤドカリがいた。
「ヤドカリ……?」
「ハア? 失礼ねえ」
ヤドカリの殻の中から女の顔と上半身だけが出てきた。
海藻と見紛いそうな紫の長髪に、髪と同じような色をした不健康な肌。睫毛が生え揃い整った顔立ちをしているが、鋭角のように尖った瞳と、常にへの字を結んだ口元が人を寄せ付けない。
セレナの記憶にある悪しき魔女の姿だった。