人魚の決意-1
明くる日の夜、セレナはいつもの浜辺から離れた場所で硝子石を集めていた。硝子石とは何らかの理由で海に捨てられた硝子が波に打たれて、他の石とぶつかり、角が削れたものだ。元が硝子なので、石や貝殻とは異なり丸く透き通った鉱石のように変わる。
瓶に詰め、色や形で分けていると、ここ最近の出来事も忘れられた。
瓶の半分ほどが埋まった頃、いつもの浜辺が見えてきた。
「こんばんは」
浜辺に座っていたシャウラはセレナに気付くとにっこりと微笑んだ。先日見た姿は悪い夢だったのだと思えるくらいに。
「こ、こんばんは。来ていたのね」
セレナは岩場の陰からいそいそと浜辺へと上がり、シャウラの隣に座るといつもの居心地の良さがこみ上げる。
「その瓶は?」
シャウラはセレナの手の中にある瓶を見つめた。
「硝子石を集めていたのよ」
瓶を翳すと、瓶の中で色とりどりの石がかしゃかしゃと音を立てた。
「わ、きれいだね」
シャウラは幼子のように瞳を輝かせた。
「うん、あの、あの、まだいっぱいあるから、今度持ってくるね……」
セレナはシャウラの視線から逃げるように目を逸らした。
波の音も、髪を撫でる風も、隣にいるシャウラだっていつもと同じなのに、自分だけが取り残されてしまったようで。
「どこか具合が悪い?」
シャウラは控えめに尋ねた。シャウラの気遣いが今のセレナには苦しい。
「そ……そんな風に見える?」
「うん、大丈夫?」
「……もう、隠しきれないわね」
自分に言い聞かせるようにセレナは呟く。
「え?」
「昨日、シャウラが橋の上にいるのを見たわ」
示し合わせていたかのように、風が止む。
沈黙が流れ、穏やかな波の音だけが何度も繰り返される。
「そうか」
シャウラは瓶を見つめたまま、淡々と返す。
「それならもう、色々分かっているか」
普段と同じような口ぶりで返した、何も考えていないのか、努めてそのように振る舞っているのかはセレナには分からない。
「俺はザーダの二代目頭領……父さんはティフとヴィアベルを奪って一国の王になろうとしている、俺は王を守る為の生き物。……今まで黙っていてごめん」
セレナは口元を結び、外套の裾を潰す勢いで握り締めた。あの戦いを見れば誰にでも分かることだが、いざ本人の口から告げられると恐怖と不安に押し潰されそうになる。
「シャウラが蠍を嫌う理由が分かったわ。戦っている時の貴方は本当に蠍みたいだった。毒を使ったのね」
「俺が怖くなった?」
「一口飲めば薬になるものだって、二口飲めば毒になるのよ。その逆だって。毒なんてそんなもの。こ、怖くなんかないわ」
肩を震わせたままセレナは答える。
「セレナは嘘を吐くのが下手だね」
シャウラはからかうように笑った。
「シャウラの方こそ、作戦が成功したのに嬉しくなさそうね?」
セレナの問いに、シャウラの顔つきが強張る。
「そんなことないよ。とても嬉しい」
「嘘」
「嘘なんかじゃ……」
「あたし、貴方のことが好き」
「……!」
セレナは目尻に涙を溜めたままシャウラの瞳を見つめた。
「あんな姿を見ても嫌いになんてなれないの。だから、本当のことを教えてよ」
シャウラは目を見開いたまま、セレナを見つめ返すことしかできなかった。
「ああっ、あたし、とんでもないこと口走ったかも......! 待って、ちがうの、ちがうの、あたし……」
「違うの?」
「ち、違くないっ!」
セレナは自分の声に驚いて固まっていたが、
「……深呼吸してもいいかしら?」
「どうぞ」
シャウラが答えるよりも先に深呼吸を始めた。
「……もう大丈夫よ」
「じゃあ、一から話すよ」
シャウラはザーダと、自身の生い立ちを語り始めた。
北の砂漠の地で、シャウラの父ヘイルは幼少期を奴隷として育てられた。
ある時行商人の財産と積荷を奪うというあてもない旅に出た。
行商人や貴族から略奪をして、同じような身分の者を連れ立ち、いつしか組織は大きくなっていた。
道中で出会った女性と結ばれ生まれたのがシャウラだ。その頃には妻子と仲間たちと暮らすには困らないほどの財を手にしていたが、ヘイルは更なる力を求めた。妻子や仲間たちが大切だからこそ力に固執し、振りかざすようになった。
シャウラの母が病で亡くなると、その欲望は苛烈になった。
そんな事情も知らず、新しく傘下に下る者たちはヘイルとシャウラの力に惹かれ、賛同する。
ヘイルが眼の病を患うと、組織の実質的な長はシャウラとなった。
ヴィアベルを手に入れ、さらには諸外国をも手に入れる__父の悲願を叶える為に動き始めていた。
「でも……人を傷つけるのが怖い。だけど、仲間が傷付くのはもっと耐えられない……皆を守りたいだけなんだ」
シャウラは震える掌を握り込む。
「……教えてくれてありがとう。あたしも話さなきゃいけないことがあるわ」
セレナは思い切り息を吸って、言葉と一緒に吐き出した。
「ヴィアベル王国第十六代現国王ヘリオスの王妃ハルモニアは、あたしの妹よ。ザーダとヴィアベルが衝突したらどちらも傷つく。そんなのは嫌だわ。あたしにとっては二人とも大切だもの」
セレナはシャウラの肩を掴んだ。
「シャウラ、あたしと海で暮らさない?」
「えっ!?」
シャウラは思わず上擦った声を上げた。
「ハルも陸で暮らしているの。シャウラもそうすればいいじゃない」
シャウラは愕然としたまま陸に上がった魚のように口をぱくぱくとさせている。
「戦わなくていい。シャウラは人を傷つけなくて済む。ハルは無事に暮らせる。国獲りなんてしたい人がすればいいのよ、シャウラが加担することはない。海は素敵よ。争いなんてない。みんな歌ってばかりでちょっと騒がしいし、邪悪な魔女がいたり……」
セレナは邪悪な魔女、と口にしたところであることを思いついた。
「あたしが魔女になる。魔法でシャウラを人魚に変えるの。そうすればずっと一緒にいられるわ!」
セレナにとって生きづらかった海の国が、シャウラとならどれだけ楽しいかと良いことばかりが浮かび上がった。
「……夢のような話だね」
シャウラは精一杯絞り出したような声で呟いた。
「大事なものを守りたいのはあたしだって同じだわ」
「……うん。その日を楽しみに待ってる…………」
その言葉を聞くとセレナは安心したように頷いた。
それから少しの間、二人はどこか夢見がちな話をして笑ったが、
「そろそろ戻らないと」
シャウラは森の方を見つめた。
「名残惜しいわ。でも、また必ず会いに行く。その時はきっと、とびきりの魔法を見せてあげるね」
セレナが言うと、シャウラは頷いて森の中へと消えて行った。