序章-出会い-
週1~3ペースの更新を目指してます。
一面の海。青く揺れる水面の下。
海には半人半魚の「人魚」たちが暮らしていた。
食料も豊富で天敵も少なく、ゆえに、陸で言う労働は存在しない。
しかし、次第に暇を持て余すようになった人魚たちは、己の美を追求し始めた。
如何に美しく、如何に己を表現するか。
年月を経て、文化は継承され、水底では毎日のようにコンサートが開かれるようになった。
「……みんな飽きないのかしら?」
人魚の少女セレナは、舞台から離れた岩陰で呟いた。
人魚では珍しい近視用の眼鏡越しにコバルトブルーの瞳を覗かせ、身体のシルエットを隠すように黒い外套を羽織っている。
彼女は歌や踊りを好まず、人前に出ることすら苦手だった。
「あたしはこっちの方が好き」
セレナは小脇に抱えていた袋を抱きしめた。
この中には陸に住まう生物――人間が落とした物や、捨てた物が入っている。
彼女が羽織っている外套も、流れてきたものだ。
特に本というものは、賑やか過ぎる海の生活で静かに没頭する時間と、別の世界を生きるような心地を与えてくれた。
いつものように、水面に出て漂流物を拾い集めていたセレナは、
「……時化ってきそう。今日はもう引き上げなきゃ……きゃあっ!?」
荒波でバランスを崩し、全身を岩礁に打ち付けた。
「う、動けない……?」
がくん、と何かがセレナの動きを止めたと同時に、尾鰭に焼けるような痛みが走った。
薄眼で尾鰭の先を見ると、岩場に挟まっていたガラスの破片が鱗に深々と突き刺さっていた。
「あ、あああ……っ! 痛い……っ!」
力ずくで破片を引き抜くと、傷口から見たこともないような量の血が溢れた。
痛みと出血で身動きすらできない。
しがみつくように岩に捕まっていたが、再び目の前に水の壁が迫ってきた。
岩から強引に引き剥がされ、どこかへと放り出される。
自分の手足のように慣れ親しんだ海が、容赦なくセレナの細い身体を岩へと打ち付ける。
どれほど彷徨ったか。気づけば、見知らぬ浜辺に打ち上げられていた。
「ここは……どこ……?」
星を見れば方角は分かる。しかし、出血と痛みで視界が霞む。
そのまま、セレナは意識を手放した。
「きみ、大丈夫?」
静かな砂浜に響く声。セレナは薄く目を開けた。ぼやけた視界の中で、二本の足が映る。
「に、人間……!?」
セレナは飛び上がりそうになったが、尾鰭に鋭い痛みが走り、その場で蹲った。血が鱗を伝い、砂浜に滲む。
「あ……う…………」
本で読んだ『人間』とは、人魚を捕らえ、剥製にし、肉を食らう恐ろしい生き物。
前髪を眼鏡の縁よりも長く下ろしているセレナには、人間の姿はよく見えていないが、声の低さからして男だろう。
逃げられない。ここで終わりだ。
そう思っていたが、男は何もせず、足音が遠ざかる。
「助かったのかしら……? でも、これからどうすれば……」
周辺を見回し、鱗の治療に使えそうなものを探す間もなく、再び足音が近づいて来た。
「どうして!? いや! 触らないで!」
目の前まで迫ってきた男を追い払おうとして、爪の先が頬を掠めた。
「出血が酷い。じっとしていて」
男は自身の怪我など気にも留めず、セレナの手当てを始めた。
薬草を擦り潰した粉末を傷口に塗り、清潔な綿布を当てて止血をした。
「あ、あ、あ、あり、……が、と……う……」
セレナは戸惑いながらも、か細い声で礼を言った。
明くる日も男は現れ、動けないセレナに食料や薬を持ってきた。
「あなたも本を読むの……?」
男が本を持って来たことでセレナの警戒心は徐々に解け、ぎこちないながらも会話が増えた。
日が経つにつれ、傷が癒えていく。
傷が治り、セレナが海へと戻る日も、男は見送りに来た。
「治療してくれてありがとう。……はじめのころ、酷い態度をとってしまってごめんなさい!」
セレナは心からの感謝と非礼を詫びた。
「気にしないで。怪我には気を付けてね」
「あ、あの……っ」
セレナは緊張混じりに口を開く。
「怪我してなくても、またここに来てもいいかしら……?」
男は少ししゃがみ、セレナに目線を合わせた。
「勿論だよ。また会えたら嬉しいな」
海へと戻ったセレナは、決意を胸に、鋏を手にした。
あの人にお礼を言おう。ちゃんと顔を見て。
顎のあたりまで伸びていた前髪を、ばっさりと切り落とした。
切り落とされた髪が、海中をふ舞う。
「……よしっ」
それが、人魚の少女セレナと、人間の青年シャウラとの出会いだった。