追跡者
その後、恭介たち三人は森の巡回を再開する。
時刻的にはまだ昼をいくらか過ぎた時分でしかなく、ここで中断するべき理由もない。
いくつかの予期せぬ発見があったおかげで昼の休憩時間が長めにはなったが、ここで拠点に帰るメリットもなかった。
「ってか、今日こそは、拠点の周囲をぐるっと回り終えたいよな」
と、恭介は思う。
この行進の目的は、ふたつ。
ひとつは、拠点周辺の様子を確認しておく。
もうひとつは、罠を設置し、周辺に棲息する野生動物のサンプルを増やすこと。
どちらも取り立てて急務、というわけではない。
だからといって、何度も中止して日程を引き延ばすほどの仕事でもない。
自分の住む場所周辺の事情くらい、ある程度は把握しておきたい。
その程度の動機しかない、ある意味では雑事といえる。
「ただ、なんにも下調べをせず、いきなり大きなリスクにぶち当たっても困るしなあ」
多少の時間を費やしても、安全確認をしておいて損はない。
「なんかあった」
などと考えつつ森を進み続けるていると、不意に遥がそういって、ある箇所を指さす。
「石か岩を加工した、人工物。
だと、思うけど」
「あんなに苔むしているのに、よく見つけたなあ」
恭介は、素直に感心する。
「まあ、そこは斥候の嗅覚っていうか」
遥はそういって薄い胸を張った。
「遺跡が残っているから、人工物があるのは別に不思議ではないんですが」
青山は、疑問を口にする。
「なんでこんなところに。
それに、あれ、なにを目的としたもの、なんでしょうね」
「今すっかり森に埋もれてても、この人工物が作られた頃は、それなりに賑やかだったのかも知れない」
恭介は、そう答えておく。
「目的は、正直わからないな。
美術品なのかもしれないし、なんらかの魔除けとか、あるいは、神様的なものの姿をかたどったものなのかも知れない」
「え?」
青山はそういって何歩か後ずさる。
「美術品だったらともかく、それ以外の場合、この間いっていた土地神絡みってことになりませんか?」
「そうかも知れないし、そうでないかも知れない。
念のため、二人とも、これ以上あれに近寄らないように」
恭介はそういって、その人工物の細部を確認する。
「大きさは、一メートル半ほど。
コケまみれでよく判別出来ないけど、浮き彫りみたいなのがしてある、らしい。
人間か動物か、よくわからないな。
直立して、二本足で立って、牙の生えた口を剥き出しにしている。
笑っているのか、威嚇しているのか。
両手をあげて、ちょうど万歳しているような格好。
ただし、その両手の指には長く鋭い爪が生えていて、頭の上にも、三角形の獣耳が生えている。
あまり精巧な細工でもないし、写実的でもない。
当時、この辺にはこんな種族が居たのか、それとも、想像上の動物か」
「よく見分けがつくねえ」
遥が感心する。
「表面に、あんなにびっしりコケが生えているのに」
「うーん。
ひょっとしたら、転職したおかげかなあ」
恭介は、そう答えた。
「なんか、ね。
コケの下にある、彫られた線とかが、うっすらと判別がつく、みたい」
ひょっとすると、人間の可視光線から外れた波長まで、視えているような気分になっている。
狙撃手というジョブの性質を考えると、そんなこともあり得る気がした。
「すいません。
あとでしっかり挨拶をしに来るかも知れませんが、今は先を急いでいるので、今はちょっとした確認だけ、させてください」
恭介はその物体に向かって、軽く頭をさげる。
もちろんこれは、この物体が土地神絡みである可能性を考慮しての、行動になる。
恭介はその物体から距離を取りながら、大回りして物体の背後にまわり、背後がどうなっているのか確認した。
「多分、人間の女、かなあ。
髪が長くて、ワンピースかローブのような長衣をまとっている。
先端に星マークがついた杖を掲げていて、その星からなにかの光線?
が、何本かのびている。
魔法使いなのか、なんらかの宗教体験を描いたものなのか」
恭介は少し首を捻っていたが、この場で考え込んでいても結論は出ない。
もう一度距離を取りながらぐるりと物体の写真を、全周囲から撮影し、その後、
「どうもお騒がせしました。
最近、この近くに越してきた者ですが、必要以上に迷惑をかける予定もありせん。
今回はこれにて失礼させていただきます」
と、もう一度頭をさげ、全員でその場を去る。
なにしろ、賢鳥みたいな存在が実在する世界である。
あの物体も、日本でいえば道祖神みたいな素朴な民間信仰だ、恭介は感じていた。
だが、だからといって粗略に扱うのも、リスキーで不用心に思える。
さらにしばらく、森の中を進む。
「なんか、おるね」
罠を仕掛けたり、近くに居合わせた動物を遥や恭介が仕留めたりしつつ進んだわけだが、ある時、遥がぽつりと呟いた。
「わたしが感知できる範囲、ぎりぎりのところで、わたしらのあとをつけてくる」
「正体は、わかる?」
「正直ちょっと、わからない」
恭介が確認すると、遥は首を横に振った。
「普通の動物やモンスターとは、ちょっと気配が違う。
害意や敵意は、感じない。
危ないモノではない、と、思う」
「そうか」
恭介は頷いた。
「ハルねーがそういうんなら、当面、問題はないだろう」
恭介は、この手のことに関する遥の直感は、全面的に信用していた。
それこそ、この世界に転移して来る以前、元の世界に居た頃から。
その信用は、これまでに一度も、裏切られたことがなかった。
「さっきの石像関係、ですかね」
青山が訊ねて来る。
「今の時点では、なんともいえない」
恭介は、そう答える。
「ただ、こちらからはアプローチしない方がいい」
「それはどうしてですか?」
「相手の意図と、それに、つけてくる理由がわからないから」
恭介は答えた。
「この手の怪異は、こちらから招くは、当然厳禁。
先回りして拒否しても、かえって相手を怒らせる場合がある」
「怪異、なんですか?」
「それもちょっと、わかないっすね」
恭介はいった。
「正直、おれも、向こうの世界の半端な知識があるくらいの素人ですし。
相手の正体や動機がわからない以上、こちらとしては静観しておくしかないです」
「昨日の鳥さんみたいなのが居る世界だしねえ」
遥は、のんびりとした口調でいう。
「あれがなにかはまったくわかんないけど、悪いモノではないってことは断言出来るよ。
だから、その点だけは安心してほしい」
さらに数時間をかけて、三人は昨日、中断した仕事をやり遂げた。
つまり、拠点をぐるりと一周回り終えたのだ。
「まだ着いてきている?」
「ん」
恭介が確認すると、遥は短く頷く。
「ここまで来たらさあ。
もしあいつが拠点の中に入って来たら、みんなで対処することにしない?
人数が居た方が、対処出来ることも増えるだろうし」
「そうかもなあ」
恭介は頷く。
「でもその前に、彼方には連絡しておこう」
『あ、そう』
追跡者についてざっと説明をすると、彼方は簡単に認めた。
『ねーちゃんが悪いモノではない、って、いってるんでしょ?
だったらそのまま、連れてきちゃってよ』
実に軽いノリだった。
『あ、それからね。
こっちでは結構、いろいろ進展があったから。
帰って来たら驚くと思うよ』
なんだそれは。
とか思いつつ、恭介たち三人は拠点の中に入る。
「なるほど」
その光景を見て、恭介は呟いた。
「池が出来ていて、その近くにプレハブが二棟。
あと、こっちには公衆トイレっぽいものと、それに、あっちには大きなテントがある」
「あちらのテントはですねえ」
仙崎が、説明してくれる。
「なんと、お風呂になっております。
そちらは、あちらのトイレは、災害地用のものがマーケットで売っていたので、思わず買っちゃいました」
実に誇らしげな口調だった。
「つまり、浄水槽が使えるようになったから、ってこと?」
「はい、そうです」
仙崎は頷く。
「もう少しで給水塔が建つんですけど、そうすると、洗濯機が使えるようになります!」
「お、おう」
恭介はぼんやりと、そんな声を出した。
ちょっと、気圧されていたのかも知れない。
快適さを追求するためには、本気を出す人たちなんだな。
と、理屈ではなく、本能でそう悟った。
「給水塔が建つ」といわれた場所には、しっかりコンクリが打ってある。
一日でこれだけの作業を終わらせたというのは、いくらレベルアップの恩恵があるにせよ、簡単ではないはずだった。
遥と青山は、
「お風呂、お風呂」
と、単純に喜んでいる。
毎日シャワーを浴びていれば問題ない気もするが、女性にとっては、そうでもないのかもしれない。
「もうすぐご飯が出来るから、みんな、手を洗ってこっちに来てね」
エプロン姿の彼方が寝泊まりしている建物から顔を出し、そういって皆を手招きした。
「本日の夕食は、生姜焼きとサラダ、それに豚汁になります」
全員が食卓につくと、彼方が説明する。
「イノシシっぽい動物の肉が手に入ったので、試しに料理してみました。
思ったほど臭みがなくて、普通に食べられるものになっていると思います」
おお。
と、全員が感嘆の声をあげる。
「生姜焼き、豚汁、あたたかいご飯」
緑川はしきりに感動していた。
「わたし、師匠の家の子になりたい」
なんだかなあ。
と、恭介は思う。
「自分で作ろうとは思わないのか?」
「言語道断」
緑川はなぜかそういって胸を張った。
「夕食くらいは、人間らしい食事をしたい」
つまりは、自分で作ると、そうはならないわけか。
恭介はまず豚汁を啜り、それから具の肉を箸で摘まんで口の中に入れる。
「本当に臭みはないんだな」
味わってみて、感心した。
「そうなんだよねえ」
彼方はいった。
「野生だし、もっと野趣があるかと思ったんだけど。
ひょっとすると、倉庫にそんな機能があるのかもね」
「肉を、おれたちの食べやすい味にする、とか」
「そうそう。
このお肉も料理する前にざっとあぶって試食してみたんだけどさ、実際、驚いたもん」
「おいしければどうでもいいよ」
これは、遥の意見だった。
「で、このお肉さ。
とんかつとか、作れない?」
「いいですね、とんかつ!」
赤瀬が前のめりに賛同した。
「わたし、そろそろ揚げ物が食べたいです!」
「作れるっちゃ、作れるんだけど」
彼方は説明した。
「揚げ物はなあ。
油、いっぱい使うし、本格的なキッチンが出来てから、って思ってて」
「ああ、キッチン。
そういえば、まだないですね」
「これまでの料理も、ストーブとカセットコンロで加熱しているわけだし」
彼方は続ける。
「揚げ物は、家が完成してからのお楽しみ、ということで」
「先に楽しみがあるってのは、いいことですよ」
「さんせー」
「まあ、急がなくても、ね」
和んでいるなあ、と、恭介は思う。
「ねね、師匠」
赤瀬が、恭介に問いかける。
「さっきから気になっていたんだけど、さっきから師匠の横に居るそれ、なに?」
「横?」
恭介は赤瀬が指さした場所、自分の右手に視線をやる。
そこには、異形のもの、としか形容できない物体が、居た。
鋭く尖った爪先をそろえ、テーブルの上に置いている。
恭介が視線をおろすと、そいつと目があった。
「ええと」
恭介は、どう説明するべきか、考える。
「ハルねー。
これ、本当に悪いモノではないんだよな?」
「うん」
その物体の挟んだ隣に座っていた遥は、平然と頷いた。
「それは、保証出来る」
「つまりこいつは」
恭介はいった。
「森の中からおれたちをつけてきた、追跡者だ。
そういうことで、いいんだよな?」
その物体に問いかけると、それは、
「うぃ!」
と、片手をあげて返事をした。




