師匠
「鉄拳制裁、だって」
「昭和のマンガみたいだね」
遥と彼方は、その光景を見て好きに論評している。
「異世界には、コンプラとか関係ないだろうしな」
恭介も、そういった。
彼の地には彼の地なりの秩序とか法意識があるのだろうし、そこにこちらの感覚で割って入るべきでもない。
そう考えて、あえてそのまま静観することにする。
当のアトォはといえば、よほど痛かったのか、頭を抱え込んで蹲っていた。
「それで、うん」
出現した体格のいい女性は、一通り中央広場を見渡して、一人で頷いている。
「なかなかよく治められているようじゃないか。
なにより、歌舞音曲を嗜むくらいには余裕があるってのは、いいこった」
などといっている。
それから、恭介を手招きした。
「そこのあんた。
わたしゃ、フラナ一党の巫女頭、ダッパイってもんだ。
どうやら見渡した中で一番目端が利きそうだから、このわたしをここの頭のところに繋いで貰えないかね」
「どうも。
一プレイヤーに過ぎない馬酔木恭介です」
恭介も、とりあえず名乗り返した。
「ここの頭、というか、行政のトップということでしたら、繋ぐまでもなく、もうすぐ姿を見せるかと」
恭介はそういって、政庁の方を指す。
小名木川会長が、生徒会役員を連れてこっちに駆けつけているところだった。
「ちょっとちょっと」
小名木川会長は来るなり恭介の襟首を掴んで引き寄せ、小声で相談しはじめる。
「なにあのゴツいおばさん。
あんなのが来るって、聞いていないだけど」
「おれだって、ああいう人が来るって事前に聞いていませんでしたよ」
恭介は冷静に答える。
「誰が相手であろうが、生徒会もあらかじめ方針を定めていたはずでしょ。
それに従って淡々と対応すればいいだけだと思います」
「そうはいうけど、ああいうタイプ苦手なんだよね。
あの人の相手だけでも、変わってくれない?」
「謹んで、お断りします。
受諾しなければならない筋合い、毛ほどもありませんし」
恭介はきっぱりと拒絶して、小名木川会長から物理的に距離を取る。
そろそろ、すぐ近くでこちらを見ている遥の視線が怖かった。
「このような場所まで、ようこそ」
小名木川会長は観念したのか、一度小さく咳払いをしたあと、よそいきの笑顔を浮かべてダッパイに切り出した。
「なりゆきで生徒会長を務める小名木川宵子といいます」
「オナキカワ・ヨイコ、ね」
女性は、自分の顎を手で撫でながらそういった。
「さっきのアセビ・キョウスケとかいう名前もそうだったが、こっちの名前は奇妙な響きをしているように思えるね。
わたしはダッパイ、フラナの巫女頭をしている。
今回、ここに来た目的は、こちらの内情を確認すること。
ぶっちゃけていうと、フラナでも今後、この地との親交を深めるべきかどうか、議論になっていてね。
もっと詳しい事情などを知らないことには、結論が出せないだろうってことになって、まずわたしが派遣されて来たってわけだ。
視察はこっちで勝手にやるから、案内をつけて貰う必要はない。
さしあたっては、行動の自由を保障してくれて、それに、野宿しても障りのない場所を指定して貰えばありがたい」
「視察については、自由にして貰っても構いませんが」
戸惑いを隠しきれない様子で、小名木川会長は、そう返答する。
「宿泊場所に関しても、こちらで用意させていただきます」
小名木川会長側から見れば、プレイヤーたちが転移してきてから日が浅く、そもそも見られて困るような場所などまだ出来てはいなかった。
案内まで用意しろといわれたら、余分な負担になるのだろうが、自分で勝手に見て回るというのなら、好きにして貰いたいだけだ。
今の段階で出来ることは、プレイヤー各員に、このダッパイという女性の行動を制限しないよう、呼びかけるくらいか?
拍子抜けするほど、手がかからない来訪者、ということになる。
「上々だ」
小名木川会長の返答に満足したのか、ダッパイは笑みを浮かべる。
「とりあえず、アトォ!」
「ふぁい!」
相変わらず、頭を抱えて蹲っていたアトォは、名前を呼ばれて慌てて立ちあがった。
よほど慌てたのか、返答が、噛んでいる。
「あんた、何日か先行してこっちに来ているんだ!
とっとと偉大な師匠を案内しな!」
「は、はい」
アトォは、恭介たち三人の方に目線をくれながら、どうにか返答する。
心なしか、
「この窮状から救ってくれ」
的な表情をしていたように思うが、師匠の方に深入りしたくなかったので、恭介たちはあえて無視した。
アトォは、ダッパイに引きずられるようにして連れていかれる。
「助けなくていいの?」
完全に二人の姿が見えなくなってから、遥がそんなことをいい出した。
「本当に助けが必要な状態だったら、あの師匠を連れて拠点に来ると思うよ」
彼方は、そんな風に答える。
「アトォちゃんを保護していたのは、保護者がいないからでさ」
恭介は、そういった。
「その保護者が来たんなら、引き渡すしかないでしょ」
「それもそっかぁ」
遥は、あっさりと頷いている。
あとでアトォから、
「あの時はとくも見捨ててくれましたね」
とか、怨まれそうな気がしたが、それはそれである。
「とりあえず、することもないし、拠点に引きあげようか」
恭介がそういうと、彼方と遥もその意見に賛同する。
これからダンジョンに、という気分でもなかった。
中央広場は、相変わらず集まった人たちが好きに動いている。
一応、口実があってはじまったものの、今この場に集まったのは、騒ぐのが好きな人たちだった。
用件が済んだからはい終わり、といきなり中断する理由もなく、おのおの、好きなことをして楽しんでいる。
結構なことだ、と、恭介もそう思う。
こういう平和な時間は、ある意味では貴重なのだ。
恭介たち三人は中央広場の喧噪をあとにして、拠点へと引き返した。
その日、日が暮れてしばらくしてから、アトォだけが拠点に戻って来た。
「よくも見捨ててくれましたね」
案の定、開口一番に恨み言を口にした。
「それはそうと、師匠の方はどうしたん?」
遥が確認する。
「市街地の方を一通り案内してから、生徒会の人たちに押しつけてきました」
アトォはいった。
「お風呂とお酒が、お気に召した様子です。
こちらにはお酒を嗜む人が居ないので、今頃は一人で飲んで生徒会が用意した寝床で高鼾かいていますよ」
そういえば、はじめて接触した時も、向こうの人たちはマーケットで調達した安酒で酒盛りをしていたっけな。
などと、恭介も思い返す。
大容量の、紙パックとかペットボトルの焼酎をお好みだったようだ。
つまりは、アルコール度数が高い蒸留酒が、好きなのだろう。
そして、こちらのプレイヤーたちは、少なくとも表立ってアルコールを嗜む人はいない。
ひょっとしたら、一人でこっそりと飲んでいる人は居るのかも知れないが、少なくとも公然と誰かが飲酒している、という噂はまったく耳にしていなかった。
「アトォちゃんは、お風呂にはあまり興味を示さなかったのにね」
遥は、そんなところを気にする。
「個人差、だろうね」
彼方がいった。
「異世界人だから、そうした嗜好まで一律同じ、ってわけでもないと思うし」
アトォは当然のように、その夜も恭介たちの家に寝泊まりした。




