呪いの意味
連絡をすると、付与術士の吉良明梨は、翌日、恭介たちの家を訪れた。
一応、遥と彼方も、同席している。
「ああ、はいはい」
吉良は恭介の顔を一瞥して、即座に受け合った。
「これ、確かに呪われていますね」
「すぐにわかるものなのか?」
「そりゃあ、まあ」
吉良は、恭介の疑問に答える。
「言葉では説明しにくいんですが、オーラ?
っぽいものに、なんか変な色がついています」
「オーラねえ」
恭介は、鸚鵡返しにいった。
「あいにく、霊感とかそっち系の素養がないんで、なんともいえないんだが」
「わたしだって、こっちの世界に来るまでは、そんな素養なんざありませんでしたよ」
吉良は、そう答える。
「オカルトっぽいのも、まるで信じていませんでしたし。
でも、これ、本当に呪いなのかなあ?」
「って、いうと?」
彼方が、訊き返す。
「呪いではない可能性も、あるってこと?」
「うーん。
呪いか、そうでないのかを決めるのは、あくまでその呪いをつけた主ですからねえ」
吉良は、何事か、考え込む顔になる。
「それを馬酔木氏につけた者が呪いであるといいはるのなら、それは、呪いなのでしょう。
ただそれは、必ずしもわたしたち人間の基準では、デバフ的な効果をもたらすわけでもなく」
「祝福的な効果を持つ、呪いってこと?」
遥が、確認する。
「奇禍に遇いやすくなる、ってことが」
「そう。
その、奇禍ってやつですよ」
吉良がいった。
「一般的には禍の一種、なんでしょうけど。
わたしたちプレイヤーにとっては、どうなんでしょうね?
なんらかのアクシデントに遭遇しやすくなるっていうのは、いってみれば、それだけレアな素材やアイテムをゲットしやすくなるチャンスって側面もあるわけでしょ?
それって本当に、禍なんでしょうか?
呪いの形をもって、馬酔木氏の未来を明るいものにしようとしている。
そういう見方も、出来るわけで」
「ええと。
当事者として、確認しておきたいんだけど」
恭介は、吉良に訊ねた。
「この呪い、副作用とか、他の効果とか、ついていないよね?」
「ないと、思います。
あったとしても、ほとんど無視してもいい。
それくらい、小さな効果しか、ないです」
吉良がいった。
「むしろ、他の波及効果をこれだけ抑えて、目的の効果のみを付与しているってのが、驚異的ですね。
これ、人間の術者では、無理ですよ。
なんというか、パワーも技術も、人外のものです」
「そうなのか」
恭介としては、素直に頷くしかない。
「あと、この呪いをつけた者、おそらく、亥のダンジョンマスターなんだと思うけど。
その正体とか、わからないかな?」
「ちょっと失礼」
吉良は、自分が座っていた椅子を動かして、恭介の正面に座り直す。
「馬酔木氏。
この状態で、ステータス画面を開いてください」
「ああ」
恭介は虚空で手指を動かして、吉良にいわれた通りにする。
「開いた、けど」
「なるほど、なるほど」
吉良は、感心したような声を出す。
「ノイズが混ざっているんじゃなくて、情報の純度が高すぎて、ちょっと読み取りづらくなっていますね、これ。
ちょっと待ってください。
逆に、ノイズを混ぜて、情報の純度をさげてみます」
吉良は、恭介がステータス画面がある、と、そう認識している空間に視線を固定して、しばらくなにやらなにやらぶつぶつと呟いていた。
「なんとか読める程度まで、純度が落ちてきました」
吉良は、眼を細める。
「か、かお……違う。
こ、ん……と……」
「混沌、か」
恭介が、訊ねた。
「横文字だと、確かに、カオスだな」
「そう。
多分、そんな名前だと思います」
吉良は、いった。
「そんな名前の存在に、心当たりがありますか?」
「心当たりっていうか」
恭介は、渋い顔になる。
「妖怪、神霊、あるいは、そのものずばり、神様ってことになるのかなあ。
カテゴリー的には、どうなるのかわからないけど。
荘子の中にあるエピソードで、古代中国の、原初の神様だ」
「はあ、古代中国の」
吉良は、釈然としない表情で、頷く。
「そっち方面にはまったく明るくないんですが。
その、原初の神様っていうのは、具体的にどういう存在なのですか?」
「まだ他になにもない時代、すべての中心に、混沌だけが存在した」
恭介は、記憶を手繰りながら、説明する。
「混沌は、表面にはなにもない、のっぺりとした存在だったそうだ。
そのあとから現れた他の存在が、それではあまりにも威厳がないということで、混沌に七穴を穿った」
「七穴?」
「両目、両耳、鼻、口、あと、肛門。
つまり、生物としての体裁を整えた、ということだと思う」
「なるほど。
よくわからないけど、神話みたいなものですからね。
生物未満であった太古の存在に、生物としての属性を与えようとした、と。
それで、どうなったんです?」
「死んだよ。
七穴を与えられた混沌は、即死した」
恭介はいった。
「そこにどんな寓意があるのか。
おれにも、よくわからない。
その挿話を書き記した荘子も、なにかの意味があると考えていたのかどうか、わからない。
この挿話に、特に注釈とかつけていないからね。
ただ、そういう伝承がどこかに残っていて、そのまま書き記しただけかも知れない」
「なるほど」
吉良は、そういってまた頷く。
「まったく理解出来ない。
ということが、わかりました。
その、混沌、ですか?
他には、なにか伝わっていないんですか?」
「ないんだなあ、これが」
恭介がいった。
「荘子よりもずっと後世に書かれた山海経って書物の中では、四本足ののっぺりとしたまんじゅうの背中に、鳥のような羽が生えた姿で描かれている。
あくまで、荘子の記述から導き出した想像図、ってことなんだろうけど。
でも、混沌という存在に関して、他に伝わっている伝承とかは、ないんだ」
「なんていうか」
それまで、聞く一方だった遥が、いった。
「すっごく、曖昧。
すべてにおいて」
「まさしく、混沌だねえ」
彼方も、感想を述べる。
「でも、まあ。
今までのダンジョンマスターだって、神話や伝承上の存在みたいなのばかりだからなあ」
「亥のダンジョンにふさわしいマスターだとは、いえるかなあ」
恭介はいった。
「荘子っていうのは、道教の始祖の一人、ということになっているんだけど。
その道教の目的は、修行して仙人なること。
まあ、なにも考えずにぼーっとせよ、無為に任せよっていうことだから」
「あのダンジョンの性質、か」
彼方がいった。
「知性の放棄。
なるほど」
「ドラゴンさんいわく、自分は本来のドラゴンではなく、その劣化コピーであるとのことだから」
遥がいった。
「その混沌とかも、本物ではなく、劣化コピーなんでしょうね」
「本物だろうが偽物だろうが、プレイヤーにしてみれば脅威ではあることに変わりはないんだけどな」
恭介は、そうコメントする。
「ぶっちゃけ、どっちでもいいっていうか」
「ははは」
吉良は、乾いた笑い声をあげた。
「皆さん、たいそうな存在と渡り合っていらっしゃるようで」
「いや、君もプレイヤーの一員でしょ」
彼方が、指摘した。
「拠点に引きこもっていないで、たまには真面目にダンジョン攻略して来なさい」




