変化の予兆
各ダンジョンの攻略は、大局的に見ると完全に停滞している。
だが、個々のプレイヤー的には、レベルもあがり、ポイント収入に対する不安がなくなっていた。
現在の状況は、大勢のプレイヤーたちには、おおむね好意的に受け止められている。
頑張れば頑張るだけ成果があがる、そんな環境になったのだから、無理もなかった。
大勢のプレイヤーがポイントに困らなくなった結果、市街地は一種の好景気みたいな雰囲気に包まれている。
恭介たちトライデントの三人には、あまり関係なかったが。
「十分なポイントゲットしたら、割と他のプレイヤーと関わらずに済む今の状況って、かなり特殊じゃないか?」
恭介が疑問を口にする。
「つまり、経済活動的な側面から見て、ってことだけど」
「特殊といえば、特殊だけど」
彼方が即応した。
「元の世界だって、ネット上だけで完結する経済圏は成立していたわけでしょ。
こっちは、マーケットが存在しているから、そうした異質性が際立って見えるけど、そんなに特殊な環境とも断言出来ないかな。
たとえば、自宅内部で完結可能な仕事をして、買い物はすべて通販を使って生活している人が居たとする。
元の世界でもそういうライフスタイルは実現可能だったけど、だからといってその環境からの独立性について、異常だとはいわないでしょ?」
「マーケットがあるがゆえに、特殊な状況に見えすぎているってことか?」
そういって、恭介は考え込む。
「なんでこんなことをいい出したかっていうと、マーケットがある限り、別に市街地という環境に依存する必要もないじゃね?
とか、思ったからなんだけど」
「コミュニティとしての市街地に、どこまで価値があるのかって問題になってくるよね」
彼方は頷いた。
「ぼくも、考えたことはある。
でも、現状だと、市街地から離れて暮らしても、あんまりメリットがないっていうか。
それどころか、他の人の意見とか見識に触れる機会がなくなるから、そうした情報面では明らかにデメリットが存在するわけで。
市街地自体が接触するだけでデメリットが生じるような事態になっているのなら、ともかく。
現状では、今のような距離感を保つ感じでいいんじゃないかな?」
「あのさ」
遥が、口を挟んだ。
「市街地自体が接触するだけでデメリットが生じるような事態、って、具体的にどういう状況を想定してんのかな?」
「んー。
具体的な例を一つあげると、パンデミックだね」
彼方は、これにも即答する。
「恭介が何度も指摘しているように、現状、この世界の医療環境は、ひどくお粗末なわけだから。
伝染病とかが流行したとしたら、大勢のプレイヤーが一カ所にまとまって暮らしているいる状況は、かなり危うい。
回復術っていうのは、あれ、治すのは外傷だけみたいだし」
「治す、っていうより、生体の傷ついた部分だけ、時間を遡行させているんじゃないのか、あれ」
恭介はいった。
「かなりの無茶振りだし、だから、回復術をかけられた部位にも、相当な痛みを感じる。
回復術のお世話になった人はみんな、あれをもう一度かけられたくはないっていうしな」
それほど、回復術の評判は悪かった。
「病気も、だけど」
彼方は続けた。
「毒状態を解除するスキルなんかも、今のところ見つかっていないよね。
特定の毒だけを分解するポーションなんかは、ごくまれに見つかっているようだけど」
「それについて、なんだけど」
恭介は意見を述べた。
「これはあくまで予想に過ぎないんだけど。
このスキルとかジョブとかの設定考えたやつ、人間というのがどういう生物なのか、あまりよく理解出来ていないんじゃないのか?
でなけりゃこんな、盲腸にも虫歯にもろくになれない環境に、長期間大勢のプレイヤーを放り込んでおくことって、ないだろうし」
「別に悪意があるわけでもないけど、完全に理解しているわけではないから、結果として劣悪な環境が出来上がっている」
彼方が、頷く。
「まあ、可能性としては、十分にあり得るよね」
「ああ、宙野」
たまたまそばに居た鹿骨が、遥に声をかけた。
「この二人、いつもこんな会話をしているのか?」
「別に、いつもってわけでもないけど」
遥が答える。
「時間があって、それにこういう興味が持てる話題がある時は、二人とも割と口数が多くはなるね」
「そうか」
鹿骨は、どこか納得のいかない表情で頷いた。
「それで、われわれは、もう数日もこのプールで、演習みたいなことをして来たわけだが。
それがどこまで実戦に応用出来るものなのか、そろそろ試してみたいと思う」
「うん、わかった」
遥は、あっさり頷く。
「今から?
ここに居る全員でいくの?」
「流石に今から、ではない。
明日からだ」
鹿骨はいった。
「それに、まずいくのは、そちらの三人とこちらの三人。
トライデントと、墨俣ジョーズの選抜メンバー三人だ。
その六人パーティでまず中の状況を確認して、大丈夫そうだとなったら、他のプレイヤーにも開放しようと思う」
「そうかあ」
遥は、頷く。
「それくらい、慎重な方がいいのかもね」
なにしろ、ダンジョン内部は、プレイヤーが死傷しかねない環境なのだ。
入るのならば、十分な準備をして、可能な限りリスクを減らしておいた方がいい。
今回の先行する六人は、後続のための実験台として機能する形になる。
ここ数日の演習でわかったことを、いくつか列挙すると。
水中での魔法は、属性によっては大きく減衰するか、あるいは、大きな危険を伴う。
火属性魔法なども、水中でも使えはする。
が、使用者周辺の水を急激に沸騰させるため、魔法の使用者自身が大きなダメージを受ける結果となる。
使わないに、越したことはない。
雷撃系の魔法も、同じようなものだった。
威力は大きいが、魔法の使用者にも大きなダメージが返ってくるので、火魔法と同じく、封印しておいた方が無難だ。
風魔法は威力が大幅に減衰するし、土魔法は威力こそ変わらないものの、水中だと速度がかなり制限される。
どちらも、あえて使うべきメリットが見当たらない。
結局、水中でも実用に耐えられる属性魔法は、水属性のみ、ということになる。
そして、別に水中で、という条件が問題になるわけでもないのだが。
「魔法の威力や効果は、魔法を使用する個人により、かなり明確な差異が存在する」
ということが、確認された。
これまで、まとまった人数に対して魔法の威力などを確認する機会がなかったため、こうした適性の有無については、漠然とした認識しかなされていなかったのだが。
改めて、確認された形となる。
そうした調査結果を踏まえた上で、集まったプレイヤーたちは各自、自分の適性に応じた装備や武器などを整えていった。
マーケットから水中銃を購入した者が居た。
再装填に時間はかかるが、攻撃力としては相応に頼りになる武器ではある。
彼方は、両腕に装着する、重くて硬い手甲を酔狂連に発注した。
水中では抵抗が大きいため振り回すことが出来ない、盾の代わりとなる装備になる。
「近接戦闘とか、やらない方がいいくらいなんだけどね」
彼方は、そうコメントする。
「備えあれば、っていうしさ。
後悔するよりは、その前に準備だけでもしておいた方がいい」
恭介は、短い水属性のステッキを、遥かは、投擲用の短剣をダース単位で酔狂連に発注している。
それぞれ、
「近場の敵を切る用途としては、ZAPガンよりもステッキの方が取り回しがいい」
「トライデント、水中で投げるの、ちょっとモタつくんだよね。
その点、短剣だとよほどスムースに動けるっていうか」
という理由による。
恭介たちが卯のダンジョンにアタックするための準備を進めている間に、他のプレイヤーたちも着々とレベルをあげ、すでに何人かの上位職も誕生しているらしい。
らしい、というのは、例によって個人情報に属する情報であるため、生徒会側が詳細を濁して伝えているからだった。
そうした上位職のプレイヤーが、どういう風に転職に必要な条件をクリアしたのか、恭介たちは知らなかった。
いずれにせよ、ぼちぼち、そういう時期にさしかかっている、ということなのだろう。
少しずつ、市街地を取り巻く環境は、変わっていく。




