序
麗らかな春の陽気の中、東雲陽斗(19)は教授の声をBGMにこっくりこっくりと舟を漕ぎ夢の中へと旅立っていた。
「――しの」
教授の声は艶のある低音ボイスでとても聴き心地がいい。幼い頃よく見ていた青い人面機関車のナレーターに似ていて、その声で小難しい講義をされるとあっという間に夢の住人になれると評判だ。
「おい、しの……」
あぁ……脱線した青い人面機関車が燕尾服のおじさんに怒られてる……脱線多すぎなんだよ。大体、ケンカだったり、調子に乗ったり、不注意だったり……お前らいい加減にしろ。
「おいって!」
「ぐぇ!??」
隣から脇腹をグッと押されて変な声が出た。
やっと目を覚ました陽斗はキョロキョロと辺りを見渡した。
「あれ……? 終わった?」
「とっくに終わったよ」と陽斗の脇腹を突いた犯人――大上一狼は呆れたような視線を陽斗に向けた。
「お前毎回この講義の時寝すぎだろ」
「いや、教授のヒーリング効果が高すぎるんだって」
実際この講義はいつも受講者の半数は寝ている。が、レポートさえ出せば単位が取れるので起きていても真面目に聞いている者は少なかったりするのだ。
「ま、いいや。しの、この後空いてるだろ? ちょっと話があるんだけど」
「あ~、講義は入ってないけどバイトがある」
「バイトってアレだろ? ちょうど良かった。その事で相談があるんだ」
バイトの件と聞いて嫌な予感がする。陽斗は眉根を寄せながら「分かった」と返事をした。
――――東雲陽斗のバイトは少々特殊だ。経緯は陽斗の大学入学当初、1年前まで遡る。
地方から上京し親元を離れ慣れない家事に孤軍奮闘しつつも漸くその生活に慣れてきた頃だった。
最近仲良くなり始めた友人を何人か誘って鍋パーティー(という名の宅飲み)をしている最中の事だった。
「ちょっとトイレ借りるわ」
友人のひとりが席を立った直後、「うわぁぁぁっ!?」という悲鳴とドタドタと人が倒れたような音が聞こえた。慌てて見ると友人はトイレの前で尻もちをついてトイレの方を呆然と見ている。
虫でも出たのか? と思ったが違った。
「お、お、」
「お?」
「と、トイレに、おっさんが……」
そう言われ、友人のさす指を辿り中を見るがもちろん誰もいない。そもそもトイレは窓もなければ玄関には鍵がかかっているのだ。侵入者なんているはずもなかった。
不思議に思いながらも、明らかに顔色の悪くなった友人をそのままにする訳にはいかず、その日はお開きになった。
その後も似たような事が続いた。
洗面台の鏡に女の影が映っただとか、皆が寝静まった後にシャワーの音が聞こえただとか、トイレにおっさんがいるとか、夜中に子供の遊ぶ声が聞こえるだとか、トイレにおっさんがいるとか…………。
陽斗は友人たちが言うような現象には1度もお目にかかれてない。だから、実は揶揄われているだけなんじゃ? 実害はないし放っておいても平気では? とそう暢気に思っていた。
しかし使っていない風呂場が水浸しになっていたり、排水溝に明らかに自分のじゃない髪が詰まっていたり、窓の内側に子供みたいな指紋が残っていたり、という事が立て続けに起き始めて流石に気味が悪くなった。
何より友人たちの証言通りだとすれば、毎日知らないおっさんに見られながらクソしてる事になる。とても耐えられそうに無い。
だから「お祓いしてくれる人知ってるけど、紹介しようか?」という言葉に迷わず飛びついた。
紹介された祓い屋――十六夜伊月の第一印象は一言で言うと"胡散臭い"だった。
肩まで伸ばしたアッシュ系の金髪を一つ結びにした髪型に耳にはジャラジャラといくつものピアス。服は黒を基調としたモード系で、祓い屋と聞いて和装の如何にもな人物を想像していた陽斗は面食らった。
「初めまして、東雲陽斗くん? 聞いてたけど、君、結構ヤバイねぇ」
笑顔でポンポンと肩を叩かれ、その軽薄な雰囲気に不安が増してくる。紹介者――オカルト好きな友人│(ここではオカケンとしておく)を窺い見ると『ウン』と大きくひとつ頷かれた。
(ほ、本当に? 本当にコイツ信用していいのか? 俺、騙されてない!?)
疑心暗鬼になりながらもオカケンの手前、伊月を家まで案内するしか無かった。
陽斗の部屋の前まで来てそれまで余裕そうだった伊月は頬を引き攣らせた。
「ハロウィンって今日だったっけ? それとも君はここでお化け屋敷でも開くつもり……?」
どうやら相当数のナニカがいるみたいだ。六畳一間の部屋にどれだけ詰め込まれているのか……見えないものは信じたくないが、聞いていてあまりいい気分ではない。
伊月は部屋に上がるとぐるりと部屋を見回した。途中トイレを覗いた時に「あっ、ホントにいる……」と呟いたのが聞こえてホントにおっさんいるのか……とゲンナリした。
「とりあえず、見た感じ悪いのはいなさそうだよ。数はちょっと多いけど……全部祓っちゃえば霊障は収まるから」
今すぐ始めていいのかと確認を取られ「お願いします」と頷けば、何やら儀式の準備を始める。洋装でも数珠や御札を持っていればそれらしく見えるものだと、陽斗はその様子を興味深く眺めていた。準備が整うと祝詞を上げ、残っている奴がいないか確認して部屋の四方と玄関に御札を貼り塩を撒いて終わった。正味30分程。あまりにも呆気ない。
「本当にこれで大丈夫なんですか?」
「うん。それにしても事故物件でもないのに随分溜め込んでたねぇ。こんなに好かれやすい人って中々見ないよ」
「え?す、好かれやすい……?」
「そうそう、挨拶の時も君の周りうじゃうじゃいたよ。取ってあげたから、肩楽になったでしょ?」
(あ、あの肩ポンってそういう――――)
あの行動と『結構ヤバイ』の意味が分かって背筋に冷たいものが伝う。お祓いをずっと見学していたオカケンも「そういえば東雲と一緒にいる時は身体怠いこと多かったな」とか言ってる。ま、マジか……。
「でもそれじゃあ今日お祓いしても、また元に戻るんじゃあ……」
「あぁ、それは御札貼ったから大丈夫だよ。でもくれぐれも剥がしたり、肝試しとか危ない所に行ったりしないでね」
すぐまた元通りなんてことは無いらしい事が分かり、ホッと息を吐く。
「というわけで、10万円です」
「は?」
「お祓いと御札で10万円でぇす」
「たっっっか?!?! え? 高っ!! 高くないですか!? ぼったくり!?!?」
咄嗟に陽斗が抗議の声を上げると、伊月は「むぅ」と頬を膨らませた。
「正当な技術料だよー。それに学生さんだから、これでも勉強してるよ?」
「そ、そんな……」
「大体あれだけいたら害はなくても相当怖い目にあってるでしょ? 喜んで払うレベルだと思うけど?」
「……コイツ、一度も見たこと無いみたいですよ。すげぇ鈍いみたいで髪の毛とか指紋が気持ち悪いって言ってやっと相談してきたくらいで」
オカケンが補足すると伊月は「ふむ……」と顎に手を当て思案し始めた。
「そういう人も中にはいるから最初に憑いてるの祓うようにしてるんだよ。大体体調良くなって信用してくれるんだけど……」
「すみません。正直全然分かりませんでした」
「えぇ……鈍いなんてレベルじゃないよ……。
ん~……じゃあ1週間! 1週間経って変わってたら払って! お友達にも見てもらって!」
「あの、値下げとかは……」
因みに所持金は3万だ。
「僕は自分の技術は安売りしない!」
とても清々しい宣言だった。
――――1週間後。
さっぱり何もかも無くなっていた事が友人たちに立証され、また陽斗が実感してた霊障も無くなった為、伊月の請求は正当な代金として支払う事になった。
当然、学生である陽斗に大金が支払える訳もなく、
「じゃあ、身体で払ってね」
とバイトが決まったのである。
お祓い金はほどなくして支払いが完了したが、その後もずるずるとバイトを続け結局1年も居座っている。伊月には振り回されっぱなしだがなんだかんだ楽しいし、それにしょっちゅう肩や背中をポンポンと叩かれるのだ。…………まぁ、そういう事だろうと理解すると中々辞め難かった。
そんな事情を知っている大上は"トイレのおじさん"を2回目に目撃した人物で、その時は多少驚いたものの「きしょ」と一言で切り捨てた強者だ。おじさんは暫くの間鳴りを潜めたらしい。(友人談)
リアルお化け屋敷と呼ばれた陽斗の家の怪異に普通に(?)接する強メンタルの大上が伊月に相談したいという。これはよっぽど厄介な案件なのではと嫌な予感がしていた。
「それで相談って?」
場所を中庭のベンチに移して話の続きを促すと大上は頭をガシガシと掻きながら話し始めた。いつも明朗快活な彼とは違って要領を得ない話し方だった。
「女……多分、女なんだけど、近付いて来んだよ」
「う、うん?」
「初めて見たのが、駅前の交差点のとこで、次が東口の方にあるスポーツ用品店の近くで」
「??」
「何回か見ているうちに、あ、これオレん家の方に近付いて来てんじゃね? って気付いて」
「えーと……ストーカー的な?」
「…………生きてる人間だったら、そっちの方がまだマシだったかも」
「す、すまん」
何時にない落ち込んだ表情の大上を見て、よく考えずに軽口を叩いたことにやってしまったと焦る。
しかし近付いてくるソレは本当に大上が目的なのだろうか。向かっている方向がたまたま一緒なだけで大上狙いではないかもしれない。何しろ"おっさん"をバッチリ見た大上である。たまたま人に憑いた霊的なものを見かけただけかも……なんて希望的観測をつらつらと考えるが、どちらにしろこれは伊月に相談する案件だろう。
(あの人、喜びそうだなぁ……)
何となく反応が想像出来て、ついでに振り回される未来まで見えて若干遠い目になる。
その時、背後からポンと肩を叩かれた。
「なになに? 面白そうな話してるねぇ。僕も混ぜてよ」
聞き慣れた軽薄そうな声。
恐る恐る振り返ると、たった今思い浮かべていた人物がそこに立っていた。とてもいい笑顔で。
「…………伊月さん、あんた何で大学にいるんですか」
「たまたま近くを通りがかって、そういえば陽斗の大学ここだったなぁ〜って、迎えに来ちゃった! いやぁ、大学って初めて入ったけど結構広いねぇ」
その広い構内を目的地まで迷いなく真っ直ぐ来たっぽい様子に背筋が寒くなる。
この人の存在自体がオカルトじゃないのか。ほんと怖い……。
「しの、この人って……」
「ああ、この人が"祓い屋"の十六夜伊月さん」
陽斗が伊月を紹介すると、大上は目をまん丸く見開いて視線だけで陽斗に「マ?」と聞いてくる。多分、1年前の陽斗も同じ様な表情をしていただろう。懐かしい気持ちになって、1年前のオカケンと同じ様に「うん」と大きく頷き返した。
改めて伊月に大上を紹介し先程の相談を詳しく話した。と言っても内容は差程変わらない。ある日ソレがどうやら自宅に向かっている事に気が付いた事。切っ掛けも目的も、最終的に家に来たとしてどうなるのかも分からない事。……必ず夕方に姿を現す事。
「情報は少ないけど、聞けば聞くほど時限爆弾式の怪異っぽいね。夕方――逢魔が時に現れるなんてセオリー通りって感じ」
真面目な顔を作ろうとしているが口端が上がっているのを隠せていない楽しげな伊月を見て眉根が寄るが、3人揃って暗い顔をするよりも伊月が余裕を見せてくれた方が大上が安心するかもしれないと思い直し、続きを促した。
「時限爆弾式って?」
「徐々に距離を詰めてくる所を見ると、恐らく何らかの法則に従ってるはずなんだ。そしてそういう手合いは大体それが発動するスイッチがあって、大上くんが彼女? の地雷を踏むような何かをしたはずなんだよねぇ……で、一旦ソレが発動したら目的を完遂するまで止まらない」
「そ、そんな……オレっ、何もしてないっすよ!?」
「本当に何も無い? よく思い出して。原因が分かれば僕が何とか出来るかもしれないんだからさ」
「…………は、……い」
一応返事はしたが、全く心当たりの無いらしい大上は顔を青くさせ頭を抱え込んだ。
どうしてくれる。この空気。
「まぁ、それはそれとして」
嫌な予感…………。
「僕も見てみたいなぁ」
「な、何を……」
1年もこんなのと仕事をしてたんだから何を言い出すかなんて分かってる。分かってるのに聞き返してしまう自分の性が悲しい――――。
「その少しずつしか近寄って来れないって言う、奥ゆかしいお嬢さんさ」




