偉大なるアドバイスは受け取るが吉!ただし本物に限るし、選択式です!
こんにちは、または初めまして!
私しがないなろう書き手です!
エッセイによく出没しますが、私は小説がメインの人間なんですよ! ほ、ほんとよ……? そっち頑張ってる息抜きがエッセイなのよ?
元々、エッセイは小説のために読ませて頂いてました。だって良いもの書きたいじゃない?
だから参考になるエッセイ読んで!
自分でも見直すべく書いてみたりして!
そうやって、少しずつ成長しました。
みなさんに私の文がどう見えているか分かりませんけど、それなりに読める文にはなっている……はずです! 初期はヤバいぞ!
さて、その成長の立役者は。
何もエッセイだけではないのです。
感想をくれた方や、心優しい書き手仲間さんからーー改善点、つまりご指摘を頂きまして、そこを直してきたのです!
私はそれをアドバイスとして受け取ります。
ただし、納得できないものは受け取りません。
例えば「文が重い」と言われたとして。
客観的に見て、納得できるなと思えばその意見は反映します。
しかしそれが意図したものだったりしたら、直さない。そういう事ですね!
そうやって自分の小説のあらすじや、テコ入れ追加のプロローグをほぼ書き直したことがあります。指摘に納得したから!
その結果伸びたのが今の小説なので、とても感謝しています。アドバイス、偉大です!
ただまぁ、このアドバイスとは厄介者でもありますーー納得できるかどうか、という点について。
別にこれは、小説に限りません。
日常の仕事や些細なことだってそうです。
例えばあなたが料理を作ったとして。
それを相手に出してあげたら、「もっとこうすれば良かったのに」と言われたとします。
ですが、その人は料理しない人です。
いつも手伝いもしません。
……ってなったら、「お前が作らんかいっ!」って、多くの人は思うはずです。口だけなのに何がわかるのかってね?
とはいえ、それが盛り付けの仕方とかなら?
客観的に見てということになるので、一理あります。腹は立つかもだけど。そこはアドバイスとして、受け取れるところですね。
あとは、ちょっとしょっぱすぎるかもとか言われたら。そうなのかなぁと思って、見直しても良いかもしれません。
けれど。
実際の料理も分かってもいない人に、「これはこうやって作るのが正解なんだよ。絶対この具材が必要だったのに」とか言われたら?
多分、受け入れられないと思います。
しかもそれは、客観性もありません。
ただの又聞き、意見の押し付けです。
だって、自分で作った事もないのですから。そんなの、火の加減とかもよくわかんないでしょ? それで口を出せるのが驚きじゃんね?
プロの料理人とか、作り慣れてるなら仕方ないけど。一意見として聞いても、きっと受け入れず「へーそうなんだー」と聞き流すよねぇ。
しかしながら、中にはそもそもアドバイスを必要としない人もいます。
それは自分で成長したいのかもしれないし、まぁ……多くは「指図すんな!」って感じかなぁと思いますけど。
でも、私は思います。
全て否定するのは、違うのではないかと。
それはとても、成長の遠回りなのです。
別にそれで構わないなら、いいよ? たしかに傷付く事もあると思いますから、それを避けたい気持ちも分かります。
ただ、中には成長のタネもあるわけで。
つまり本当に必要なのは、そのタネを見つける事です。それが芽吹けば、一気に成長するーーそれが真のアドバイスというものです。
誰かに教わらずに、勉強ができる人はいますか?
そんな人は、ほとんどいません。
最初は必ず、教わったはず。
アドバイスを受けたはずです。
アドバイスは、指導と言い換える事もできます。指導されずに算数できる人、いないでしょ? 教科書だって、『指導』教材ですし。
算数の定理を、1から思いつくのは……凡人にはとても大変です。
それを先生や教科書の力を借りて、はるかにすっ飛ばして成長してきた訳です。私なら習わなきゃ、掛け算だけでも云億光年かかるね!
何事も、それと同じ事なのです。
正しいアドバイスは、成長のタネ。
ただし、指導する側も経験が必要です。
わかった風、ではなく。
本当に分かってる人の話。
それにこそ、価値があるのです。
それが本当のアドバイスであり、本当に相手を思っている行為というもの……だと、私は思います!
けれどそれ以外でも、客観性に基づいた話なら別。
やはり役に立つので、聞いて損はないと思うのです。客観性大事! 納得も大事! 正しい目線を持つことが、とっても大事‼︎
でもアドバイスって。
ほんっっっっっとに、難しくて!!!!
ただ正論を言えば良い、というものでもありません! だって相手は生きてる人間だもの! 配慮も当然必要よね‼︎
そこを履き違える人もいるんですけど、相手は自分ではなく他者です。だから、それを受け取るかは相手の意思ですよね!
相手が受け取らない!
それで怒ってはいけませぬ‼︎
それはアドバイスではなく、押し付け。
強制的な操作、と言い換えても良い。アドバイスはあくまで、アドバイスでなければなりません。選ぶのはあちらで、渡す側ではない。
でもこういうところを間違うから、色々現実は拗れるんですよね……。
さぁこれらを上手くやれる人が、一体どれだけいるでしょうか? 私は思います……。
多分、ほとんどいません!
私とて気をつけてはいますが! 受け取る側になっても渡す側になっても、上手くやれてないかもしれません。それくらい難しい。
けれど、あなたが成長したいなら。
もしくは、誰かを成長させたいなら。
これらを踏まえるべきだと思います。
ちなみに、安易な擁護も成長の妨げな時あるよね! 優しく守ることは、場合によりその武器となるはずの牙を折ることになるからさ。
時にぐっと堪えるのも、必要なんだよ……現実では……。励ますのはいいけど!(自分に言い聞かせつつ)
難しい。アドバイスは、本当に難しい。
特に信頼関係ない時のはほんとに……。
こっちだって、言うの怖いんやぞ……。
だから、しないというのもひとつの手です。私は気難しそうな人には絶対しません。あと捻くれた人と、あまりに傷付きやすそうな人ね!
しなくっても、私は生きていかれます。
極論はそういうことなのです。
だけどその人に期待したいとか。もっと伸びるんじゃないかな、素直に聞いてくれるかもなーーそう思った時は、多少口にします。
もちろんそれを受け取るかは、相手次第!
受け取らずとも、私は怒りません。そういう心構えをしています。仕事は若干別だけど。成長してもらわなきゃ、私も少し困るもんねぇ。
だからあなたが誰かからアドバイスを受けた時は、一度考えてみて欲しいのです。
それは、本当に自分のためになるのか?
客観性があって、納得できるのか?
自分を思っての意見だろうか?
もしその全てに当てはまるなら。そのアドバイスは、取り入れた方が成長できるかもしれません。一個もなけりゃ切り捨て御免よ!
逆もまた然り。
相手を一番に考えてないアドバイスは、アドバイスではなく自己満足でしょう? 付き合ってもらえなくて当然ですよね?
これを聞いた人の中には、まだ納得できない人もいるかもしれません。
そのプライドは心の鎧ですね。
守りには必要かも?
しかし、時には脱ぐ事も必要です。
何故ならその鎧は、視界を狭めるからです。
井の中の蛙は、1人で大海には辿り着けません。アドバイスという掬いーー救いの手が、大海に連れ出せるんじゃないでしょうか?
そうしがない弱小書き手は思うのでしたー!