9部目
イサキ少佐が出てきたとき、夕食の準備が行われている最中だった。
「あ、少佐。ようやく出てきたんですか」
金川大尉が言った。
お湯を沸かす傍ら、スケース少尉も手伝っている。
「時々、ああやって手伝ってるんですよ」
自分のすぐ横に座ったギガルテ大尉が言った。
「そうなんですか」
自分は、そんな二人をゆっくりと見ていた。
「なんか、姉妹みたいですね」
「…それ、初めて言われましたよ」
金川大尉が言った。
「あつっ!」
その直後、すぐ横でスケース少尉が手をさすっていた。
「火傷か」
すぐに立ち上がり、イサキ少佐が冷蔵庫から何かを取り出した。
「ほら、これで冷やしておきな」
それはウイスキーのビンだった。
中身は大部分が残っているものだった。
「あと4本ぐらいあるから、ぬるくなったらまた別のを使ったらいい」
「すみません…」
顔を赤くしながら、スケース少尉は謝った。
「大丈夫。ここにいるみんながスケースちゃんの仲間なんだから」
手をタオルで固定しながら、金川大尉が言った。
「そう…ですよね…」
そのとき、自分は彼女の見てはいけない内面を覗き込んだような気がした。
夕食を食べ終わると、いつものようにミーティングの時間だった。
イサキ少佐が立ち上がり、言い始める。
「さて、派遣隊も無事にここに到着し、それぞれの準備を始めたと思う。とりあえず、準備の進捗状況を報告してくれ」
時計回りに言い始めたので、最初は金川大尉だ。
「私の目的である地球環境の調査についてですが、やはり、現地に行かないといけないようです。大気成分など、上空から見て分かる範囲のことのデータは、全て入手しました。しかし、地質状態など、降りてみないと分からないことも多々あり、その為に着陸の準備をしているところです」
イサキ少佐が聞いた。
「着陸しなくても分かることは?」
「1900年代の大気成分に戻りつつあるようです。1000年間、一切の産業行為をしていない結果、全ては無に帰したようです。しかし、そこには自然の営みがいまだに残っています」
「なるほど…」
そういってから、次の人に回した。
次は、ギガルテ大尉だった。
「目的である地球周囲の環境調査は、全て終了しました。後は、報告書にまとめるだけです」
「どのような結果だった」
イサキ少佐がきいた。
「えっと…」
ギガルテ大尉は、あわてて持っているメモ帳の一番最後のページを開けた。
「地球周辺は、基本的な生活をするには支障は無い。地球を取り巻いていた人工衛星の数々は、どこかへ消え去った模様。火星は、いまなお人は住めない環境にある。太陽は輝いており、エネルギー源としては最適…です」
一瞬間が空く。
「分かった。では、報告書を書いたら、見せてくれ」
「了解です」
ギガルテ大尉が座った直後、自分は立ち上がった。
「先遣隊ロボットの回収と言う目的ですが、位置は捕捉しました。しかし、どうやら、南極の奥底に沈んだようです。精密に確認をしてみないと断言はできませんが、南極氷床の上に落ちた可能性も残されています」
「回収は可能か?」
「ええ。海の底にあったとしても、潜水ロボットを持ってきたので」
自分はそれだけ言うと、座った。
次に立ったのは、西海中尉だった。
キガイ中尉は、自分の補佐と言う目的だったので、飛ばされた。
「通信設備の設置と言う目的を果たすには、地球ー火星間にそびえる壁をどうにかしないといけません。その前に、機器を地球表面上に設置をしてから向かうのが一番だと思います」
「では、そう行こう」
あっさりと話が終わり、スケース少尉が立ち上がろうとした。
「ああ、そのままでいいから」
自分が持ってきていた包帯を巻き、氷で右手を冷やしている状態だった。
「すみません。私の目的は、放棄された衛星の調査及び確認なんですが、多少残骸が残っている程度です。動くかどうかは分かりません。報告書どうしましょ…」
イサキ少佐が、軽くうろたえているスケース少尉に優しく声をかけた。
「ありのままを書けばいい。後はどうとでもなるさ」
イサキ少佐はあっさり言った。
「じゃあ、ミーティングは終了。翌日0700(まるななまるまる)から、船を動かして、衛星軌道上に移す。それから、着陸を試みよう。西海中尉は永嶋大尉とキガイ中尉に協力して着陸場所を探してくれ。じゃ、解散」
そういうと、テーブルの上におかれていた皿を片付け始めるすぐ横で、それぞれが好き勝手を始めた。
「ま、とりあえず、着陸場所ってどこがいい?」
自分は二人に聞いた。
そのとき、カタカタとかすかに聞こえる音が聞こえた。
よく見ると、西海中尉が貧乏ゆすりをしていた。
「…イラついているのかい」
自分は聞いた。
あわてて足の動きを止めた。
「…ええ、昔からの癖なんですよ。ヤク中時代からの…」
そのとき、ビクッとして自分のほうを見た。
「…まあ、昔の話なんで」
それから乾いた笑い声を上げて笑った。
「とりあえず、見てみましょうか」
キガイ中尉は、サラッと流して地図を広げた。
3時間ほどすると、着陸予定の場所も決まり、とりあえずの報告と思って、イサキ少佐を探した。
イサキ少佐は、運転部屋と呼んでいるコックピットに座っていた。
「どうしたんですか?」
自分は、そのすぐ横に座った。
「…昔のことを、ちょっとな」
「少佐の昔話ですか」
自分はわずかな違和感を感じた。
だが、それは無視できる程度のものだった。
「そうそう、とりあえず着陸地点は…」
自分が言う前に、イサキ少佐がサラッと答えを言った。
「南極半島だろ」
「聞こえてましたか」
「はっきりとな」
それだけ言うと、手に持っていたウイスキーをあおった。
「飲むか…っと、確か禁酒中だったな」
「ええ、この航行が終わるまで、お酒を我慢したら、結婚するって言う約束をしてるんですよ」
自分は、コックピットの窓を、全面オープンにした。
すぐに、美しい星が現れた。
「あれが、地球なんです」
自分は言った。
「1000年の間に、地殻変動も起こり、もともとの姿は失われました。着陸予定の南極半島も、昔は氷床があり人が住めない地域といわれていましたが、今では違います。もっとも、今でも氷床といえる部分は残っているので、完全になくなったわけではありませんが」
ウイスキーを握り、イサキ少佐は目の前の光景に魅入っていた。
「…そうか、これが地球…我らが太古の星か…」
イサキ少佐はその光景を目に焼き付けようとしているようだった。
「人類が残っているという記録はありません。地球上には、人類の痕跡は消されました。ただ、あの縮退炉を除いては」
自分は、イサキ少佐にその縮退炉を見せた。
「地球ー月間に浮かぶ真っ黒の物体。それこそが、縮退炉です。基本的には装甲で覆われますが、ここにあるのはいうなれば裸の縮退炉です。この画面は大半の電磁波を防いでいますので、直視することが出来ます」
この世界と異世界をつなぐといわれていたブラックホールをエネルギー源とする縮退炉は、常時この世界の物質を入れ続けないと、蒸発することが理論的に分かっている。
真の暗闇を見せるそれは、一度入ったら二度と出られないといわれている。
誰も試したことが無いので、本当のことは分からない。
「…西海中尉は、キガイ中尉と仲がいいんですね」
「ああ、あの二人は親友と呼んでも差し支えないだろう…」
イサキ少佐は、ウイスキーのビンを軽く揺らしていた。
ふと、画面を元に戻すように指示した。
自分は、黙って初期状態に戻し、地球は見えなくなった。
「…あの二人は、いろいろと生き抜いてきた。だからこそ、仲がよくなったんだろう」
イサキ少佐は、何か考えた表情を浮かべながら、自分に言った。
「…戦場を駆け抜けた兵士は、その後どう感じると思う」
唐突な質問。
自分が答える前に、イサキ少佐は言った。
「なぜ人は死ぬのか、なぜ人を殺しているのかって思うようになるんだ。なぜ、人を殺さなければならないのか…」
ウイスキーのビンを、椅子の傍らにあるケースに差し込むと、固定した。
「…あいつらは、二人とも似たような状況で育った。片方はアルコールにおぼれ、もう一人は薬物におぼれた…」
そこまで言ってから、自分に顔を向けて言った。
「この話は口外してはならん。いいな」
「分かってます」
自分は、そういって閉じられた扉の向こうを見た。
そのとき、警戒音が鳴り響いた。