I-1
バタフライ効果を皆さんはご存じだろうか?僕たちの行動が1つ違うだけで、未来が大きく変わってしまう理論のことだ。
僕たちの人生は幾千もの可能性を秘めている。そして、その無限大の分かれ道の中から、ただ歩いてきた1本の道が僕たちの人生と呼ばれる。
道を分ける事柄は大小さまざまだ。例えば、ある会社員が寝坊してしまって、いつもより1本遅い電車に乗ると、たまたまその電車に高校生の頃の元カノがいて、その出会いをきっかけにデートを重ね、結婚し、子どもが生まれるかもしれない。しかし、彼が寝坊しなかったら、その赤ちゃんはこの世に存在しなかっただろう。また、中学受験をし、中高一貫の環境で育った少女は、入学式で隣に座った初めての友人が吹奏楽部でトランペットをするからという理由で、自分はトロンボーンを始め、その才能が開花し、将来世界をまたにかけるトロンボーン奏者になるかもしれない。しかし、彼女が中学受験をしなかったら、公立中学校では吹奏楽部はメジャーではないので、トロンボーンに触れることなく、青春を過ごしたかもしれない。
人生を語るとき、人は自分の過去を振り返る。つまり、人生とはただの結果なのである。僕たちは、もしかしたら多くの潜在的可能性を顕在化できないまま、自分の人生に満足しているかもしれないし、またその逆かもしれない。
なら、どうすれば僕たちは自分の可能性を広げることができるのだろうか?自分の価値を見つけることができるのだろうか?それは行動あるのみなのだ。砂漠では歩き回らないとオアシスは発見できないし、新種のキノコは食べてみないと、毒があるのか美味しいのかはわからない。できるだけ多くの人に出会い、できるだけ多くの環境でストレスを受ける。そうすることで、自分の得意不得意や好き嫌いが見つかる。
僕は、日本での生活に不満は特になかった。しかし、中学高校と学んだ英語を話せないまま、社会人になるのはなんだかもったいない気がしたし、幼稚園から大学まで敷かれたレールを疑いなく進んでいることに、違和感を覚えた。このような些細な理由で僕はこの快速特急を途中下車することを選択したのだ。
その結果、僕はある程度英語が使いこなせるようになり、たくさんの出会いに触れることができた。また、今はパソコンに向かって小説を書き始めている。これも僕がほんの少しの好奇心で行動したことによるバタフライ効果なのだろう。
これは、大阪に在住する僕が、9月から半年間セブ島に語学留学した中の、たった初めの1カ月間の物語である。
******
セブ・マクタン国際空港第2ターミナルは少し肌寒かった関西空港と違って湿気と熱気が立ち込めていた。9月1日21時頃国際線の出口を出ると、そこには大勢の人が学校名の書かれたプラカードを持って立っている。彼らはみんな語学学校のスタッフだろう。セブ島には150校以上の語学学校が軒を連ねており、語学留学はセブの主要産業の1つである。僕は自分のこれから行く学校のプラカードをいち早く見つけ、スタッフと合流した。同じ便の生徒が何人かいるみたいで、彼ら彼女らの合流後、僕たちは学校へ向かう。
僕たちの乗ったバンは空港のあるマクタン島から、橋を渡ってセブ島に入る。信号待ちの間、顔中を布で覆った人が車内の僕たちをのぞき込んできて、驚いた。彼は、肩に250mlのペットボトル水をいくつか入れたかごを持っており、どうやらそれを売りたいらしい。これは、セブでは日常の光景で、よく路上で水や食べ物などが販売されているのだ。他にもストリートチルドレンが手を器にして車窓の前で佇んでいたりもする。この光景を注視している僕に気づいたスタッフが、
「1人に物を渡すと、大量の子供たちに囲まれることになるから気を付けてね。」
と注意してくれた。僕のセブに対する第一印象は《物騒》で、目に入るすべてのものが僕の不安と好奇心を掻き立てた。
20分ほどすると僕たちは学校に到着する。少し大きめの道路に面した校門が開かれ、バンはその暗闇に吸い込まれる。校内に入ると、暗くてよくわからないが、目の前に2階建ての校舎がたたずんでいるようだ。中には個別指導の教室とグループ教室を含めて約200室あるのでまあまあ大きな規模である。校舎前で僕たち新入生はバンを下り、空港に迎えに来てくれたスタッフに先導され、校舎を横目に歩いていく。隣には煌々と蛍光灯が灯った食堂と<カンティーン>と呼ばれる外でご飯を食べるスペースがある。カンティーンの隣にはプールが設置されていて、南の島っぽいデザインが施されている。しかし、パッと見た感じ雨水がそのまま溜まっているようで、蚊の温床になりそうだ。現在は、そこに数人生徒が、たむろして、楽し気に英語で話しているのが耳に入った。国籍は韓国と日本だろうか。その中の一人が日本語で「あっ!新入生だ!今週は多いんだよねー。」と言っているのが耳に入った。まだ環境にも異国人にも慣れていない僕は、緊張から何も反応せず、ただ前を行くスタッフについていった。食堂に沿って歩いていくとその隣には3階建ての建物がある。そこで僕たちは立ち止まり、スタッフが、
「こちらが皆さんのこれから滞在していただく寮になります。細かい説明は明日のオリエンテーションでいたしますので、本日はゆっくりお休みください。」
そう言って、僕たちにそれぞれ名前の書かれたカギを渡し、各々カギに書かれた部屋番号に向けて解散した。
僕の部屋番号は《113》なので1階を歩き回り、自分の部屋を見つける。僕は3人部屋で申し込んでいたのだが、部屋に入るとすでに入居者がいた。
「やあ!僕は韓国から来たヒョヌンだよ!よろしくね!僕は今日の昼にここに到着したんだ!」
「こちらこそよろしく!僕は日本から来たYusukeだよ!」
ヒョヌンは高身長で、ガタイがよく、少し丸顔で細目ととがった鼻が気のいい人格を物語っていた。僕は緊張していたが、初めて英語でコミュニケーションを取れたことにやや興奮し、お互い拙い英語同士ではあるが、しばらく自己紹介やヒョヌンの1年前の東京旅行の話などをして、僕たちはすぐに打ち解けた。
部屋は縦長で、ベットが3つ並んでいる。その間を縫うように、各々の勉強机やクローゼットなどが配置されていて、入口のすぐ左手にはシャワーとトイレの併設された洗面所がある。僕はその真ん中のベッドに腰を下ろし、この日は荷物を整理して、すぐ寝ることにした。
※もう一人の同居者はベトナム人で、すでに滞在4週間を迎えていた。この話では重要度が低いので紹介は省かせてもらう。
******
6:00am、初の環境なので、朝は早めに起床した。本日の予定は、8時までに朝食を済ませ、その後ダイニングで入学テストを受ける。その後は各国の生徒とスタッフに分かれ、オリエンテーションが行われる。昼食を間に挟みながら、校舎案内、注意事項、学校周辺のショッピングーモールの紹介を経て、4時頃にすべて済む予定になっている。
ヒョヌンも僕と同じく新入生なので、僕らは同時に起床した。
「おはよう~」
彼の目覚ましは朝のテレビ番組のイントロのような愉快なメロディーに韓国語で何かを語り掛けるアラームで、何を言っているのかわからないが、耳に残った。なぜ、目覚ましの音楽はいけ好かないのだろうと思いながら、洗面所で一通り準備を済ませ、彼と一緒に朝食を摂りに食堂へ向かう。この学校では、朝昼晩すべてバイキング形式であり。朝食では、米、パン、ソーセージ、卵料理、野菜、果物など、豊富に用意されていた。
ゆっくり朝食を食べ、部屋に戻り、時刻が8時に近づいた頃、もう一度、食堂に向かうと、そこには大量の新入生がいた。後でわかったが、この日は約80人が入学し、この数字はまれに見る大人数だったらしい(普段は約10~20人ほど)。テストはESL(日常会話)、TOEIC、IELTSとコースごとに分かれている。僕は、自分はTOEICコースを受講するので、スタッフに従いTOEIC専用の別教室へ行った。だが、教室に入ると人数が合わないから確認すると言われ少し時間ができた。ほとんどの生徒がESLを受講するため、TOEICの人数は5人ほどしかいない。そのため、待ち時間の間みんなぼちぼち会話し始めた。正面では、同年代らしい日本人の男が隣の女の子に話しかけている。
「え!まじで!?」
少し大げさな関西弁訛りにムッとしてそちらを見ると、その女の子と目が合った。日本人らしいその子は、シンプルな服装で化粧っ気がなく、髪は肩の上で切りそろえられていて、目が大きくきれいな二重をしている。そして、少し丸顔で肌が白いため、うさぎのような印象を受け、血色のいい唇が調和している。隣の男が高身長だったこともあり、全体的に少し幼い印象を受け、かわいらしい人だなと思った。おそらく、僕と同い年かそれ以下だろう。すると続いてその男がこちらを向き、
「あ!君日本人!?聞いてよ!この子中国人やのに日本語ペラペラやねん!すごない!?」
「ふふふ、よろしくー」
確かにそう言われると彼女の発音は少し片言で、大きな二重目も中国人っぽいか、と思うようになった。認識で印象ってすぐ変わるんだなと思っていると、スタッフが入ってきてTOEICの受講者一覧表から名前を呼び始められる。
だが、僕の名前がなかった。確認するとどうやら僕のコースはESLだった。ここでは僕は6カ月の滞在でESL、TOEIC、IELTSを2ヵ月ずつ受けるので少し混乱していたと言い訳をしておく。
ーーーーーー
入学テスト、オリエンテーションが一通り終わり、部屋に戻ると、ヒョヌンが先に帰っていた。
「Yusuke、今週末一緒に旅行かない?韓国人の友達とbantayan island に行くんだよね。」
来て間もないのにもう旅行の計画立ててるの。と驚いている僕に、
「そうそう!今企画してくれた友達がカンティーンにいるから一緒に行こうよ!」
そう言って、彼は僕を半ば強引に連れていく。
韓国人ばっかりだとアウェイだし、嫌だなと思いながらカンティーンに行くと、そこには韓国人の旦那と日本人の奥さんの夫婦がいて、
「おおー!君がヒョヌンのルームメイトかよろしくー!俺はケヴィン!そしてこっちが妻のユキちゃんだよ!」
あまりにも流ちょうな日本語で話しかけられて、驚いたが、この肩幅の広く、高い鼻が顔のバランスをよくしている笑顔のかわいらしい韓国人曰く、奥さんと話しているうちに、日本語をマスターしたらしい。すげえ。ちなみに、奥さんのユキさんも韓国語がペラペラだ。
「もっといっぱい誘いたいねえ。人が多いほうが楽しいし、安く済むから。あっ、そうだ、今朝少し話したイケメンの中国人を呼ぼう。」
そう言うと、ケヴィンは電話で彼を呼び始めた。
新たに加わった中国人の彼は、18歳のときから京都に住み始め、日本語学校に2年間通い、現在、東京の大学の3年生で、彼もまた日本語がペラペラだった。確かにくっきりとした目鼻立ちといい、滑らかだがはっきりしている頬と顎のラインといい、整った顔をしている。
「よろしく!僕はロイ!誘ってくれてありがとう!人数多いほうがいいんだよね、じゃあ僕も一人誘うよ!」
そう言うと、中国のチャットアプリで、中国語で電話をし始めた。日本語では柔らかな話し方だが、中国語に変わると、語気があふれて、眼付も鋭くなる。
しばらくしてやってきたロイの友達は、僕がTOEICの教室で話したあの中国人の女の子だった。少し話してみると、どうも彼女は僕より4歳年上の23歳で、見た目で幼く見ていた分、意外としっかりしているんだなとギャップを受けてしまった。彼女は19歳の時に家族と千葉に来て、1年日本語を学んだのち、現在、千葉の大学に4年間通っているらしい。
「私の中国語の名前は難しいので、私のことはリョウちゃんって呼んでください。」
このメンバー6人で日本語が話せないのがヒョヌンだけになってしまいかわいそうだ。しかし、彼はよく話すし、僕たちも英語の練習をしながら旅行を楽しみたいので、できるだけ英語で話そうと決め、僕たちは旅行に行くことになった。