007楽市、また起こされる~眠るなど、愚かなり~
無防備に、寝転がる狐の娘。
そんな楽市を見つめる、二つの影があった。
厳しい自然界で気を抜き眠るなど、愚かなり――
それは背を低くし、草むらに身を潜め、ゆっくりと楽市に近付いていく。
獲物から目をそらさず、細心の注意で風下に回り込む。
足音は立てない。
飛びかかれる距離まで時間をかけて近付き、二つの影は一気に楽市へと襲い掛かる。
「ん?」
楽市は襲われる瞬間まで、全く気付けなかった。
髪を引かれる感覚があり、楽市は仰向けのまま左を見る。
そこには、草むらに広がる自分の銀髪があった。
その毛先へいつの間にか、小さな獣が二匹じゃれ付いている。
「む……!?」
とても小さくて、生まれたての子猫のようだ。
しかし子猫ではない。
全く別の獣だ。
いや、獣でさえなかった。
全体的に色はなく半透明であり、毛は無くつるりとしている。
獣耳と尻尾のような、出っ張りが見える。
しかし目も鼻も口も無く、のっぺらぼうだ。
二匹は楽市と目が合うと――目は無いが――新たな獲物を見つけたとばかりに、楽市の顔へと飛びかかった。
楽市はそれを、難なく空中でダブルキャッチし、まじまじと見る。
すると楽市の表情が、驚きへと変わっていった。
信じられぬものを見たという顔で、二匹の匂いを嗅ぎ始める。
楽市の獣耳が、ぴんと立った。
すんすんすん。
二匹から、微かに仲間の匂いがする。
それだけではなく、この土地の匂いもして……
「妖し……の赤子?」
楽市は自分のつぶやきに、自分で驚き目を丸くした。
手の平にすっぽりと収まる大きさからして、まだ生まれて5日も経っていないだろう。
楽市は辺りを見回す。
斜面の上方、草むらに隠れて見えにくいが、自分の掘った大穴がまだそこにあった。
「あそこ……かな?ここら辺の澱が集まって……」
つぶやきながら、二匹のお尻を嗅ぐ。
お尻に鼻を突っ込まれて、二匹がイヤイヤした。
斜面を登り、大穴に首を突っ込んで、穴と二匹を嗅ぎ比べる。
「間違いない。ここで周りの澱が集まって、凝り固まったんだ……」
楽市の言う《澱》とは、命の残り滓である。
あらゆる場所で、命が生まれては死んでいく。
そのサイクルの中で、片隅に溜まるものがある。
それが澱だ。
例えそれが残り滓だとしても、凝り固まれば生まれるものがあった。
メインの生命サイクルとは、少し外れた命。
もしそれを残り滓ではなく――命の上澄み――と見るならば、そこから生まれたものは、生命サイクルの上位種と言える。
けれど――残り滓――と見たままならば、生命サイクルに寄生する下位種である。
どちらの見方が正しくて、どちらが間違いとも言えない存在。
それが妖しの類なのだった。
「噓でしょっ、この子たち、皆と国つ神様の合いの子なの!?」
妖しの子の匂いは、楽市にそう伝えてくる。
楽市は慌てた。
「どうしようっ、何百年かぶりに妖しの子だ!」
一人で興奮し始めた楽市に、掴まれている二匹は迷惑そうだ。
「本当に皆と国つ神様の……」
改めてまじまじと見る。
手の中で二匹はお腹を上にして、こちらへ手足をピンと伸ばしている。
指でお腹をくすぐってやると、暴れ始めた。
一人前に楽市の指を押さえ込み、短い手でパンチをかましてくる。
「そうなのかなあ……そうなのかなあ……」
楽市は嬉しそうに、二匹へ頬ずりをした。
「へへへ……」
強過ぎる頬ずりに、二匹は手足を突っぱね全力で抗おうとする。
「ふふ……いい子だねえ」
兄を、そして藤見の仲間を失った悲しみが、今も楽市の胸をえぐる。
なぜ皆が祟り神になってしまったか、分からないままだ。
けれど手の中の赤子たちを見ていると、微笑んでしまう。
何と可愛らしいことか!
楽市は宝物を扱うように、二匹をあやした。
実際、楽市にとって二匹は宝だ。
幾つもの分断を繰り返したヒノモトでは、ここ数百年、妖しが生まれることなどなかった。
人の世に、霊など存在しない。
神はいない。
ましてや、物の怪や妖しなどいるわけがない。
そんな常識が世にはびこると、凝り固まろうとした澱が霧散してしまう。
もうそれだけで、赤子の形が保てないのだった。
霊的存在は、物質世界に強く影響を受ける。
人々の意識が、妖しに形を与えもすれば壊しもする。
そんな中で赤子たちは、楽市にとって紛れもない宝なのだった。
楽市はふと景色を眺める。
どこまでも山が連なり、どれもこれも見たことの無い山ばかりだ。
気が滅入り、しゃがみ込みたくなる。
しかし今の楽市は、しっかりと立つだけの気力があった。手の中の二匹が、その力をくれたようだ。
楽市はもう一度赤子たちへ、頬ずりをする。
また始まった頬っぺたの暴力に、全身で抗う赤子たち。
「ふふ……いい子、いい子。ありがとね。君たちから元気を貰えたみたい」
この山に消えた兄や仲間のことを想い、この場所に居続ける。
それも良いだろう。
しかし何もかも分からないのが、気に入らない。
気に食わない。
楽市はじっと山々を見る。
「分からなければ、調べるか……ああこの感じ久しぶりだなあ……」
二匹を、そっと草むらに降ろす。
名残惜しいが、仕方がない。
「じゃあね、元気に育つんだぞ」
そう言って楽市は、ゆっくりと山を降りていくのだった。
すると赤子たちが、当然のように付いてくる。
「あ……」
妖しの赤子に親はいらない。勝手に育つ。
何もすることは無いのだが、一つ注意する事があった。
それは安定期に入るまで、生まれた土地を離れないこと。
足にじゃれる赤子たちを見て、楽市は困惑するのだった――




