660 ダブル藤見神楽。
突如現れた女の言葉を受けて、楽市は幻視する。
桜色の花弁が舞い散る、あの風景を――
あの景色を、フーリエも好きでいてくれた。
心の隅に留置き、大切に思ってくれていた。
楽市は下唇を噛む。
魔女の胸に湧きあがるのは、染み入るような嬉しさと、それとは真逆のちくりとした痛み。
そんな事で、バカな希望を抱いてしまう自分の単純さ。
「狐のあたしを、惑わさないでよ……」
身体の硬直は、数舜だったはずだ。
楽市は首をふり気持ちを切り替えると、後方の従者たちへ声をかけた。
「パーナ、ヤークトっ、あたしの中へっ」
「はいいいっ」
「ラクーチ様っ」
パーナとヤークトはそれぞれ豆福とチヒロラを抱いたまま、楽市の左右へかしずく。
楽市は2人に触れて取り憑くと、抱かれている幼子ごと、従者を強制的に火の玉化させた。
パーナとヤークトも己で火の玉となれるが、まだ慣れぬ者が自らするよりも、こっちの方が早いのだ。
楽市は4人分の火球を自分の中へ突っ込むと、左手を伸ばし、夕凪を咥える松永に触れた。
同じく強制的に火の玉にしながら、アイに群がる幼子たちへ声を張る。
「何やってんの霧乃、朱儀っ! 早くっ!」
「うわ、アイあとでねー」
「ふああ……きり、まってー」
寝ぼけていた霧乃と朱儀はさすがにシャキッとし、狐火、鬼火となって楽市の中へと避難した。
楽市は正面に浮かぶ女を見すえたまま、隣のライカへ確認する。
「あいつが、そうなんだねっ」
「…………」
反応が無いので見てみれば、ライカはシュミーアではなく、楽市を奇妙な目つきで見つめていた。
「なに、見てんのっ?」
「まさか、お前っ――」
ライカが何か言い終わる前に、皆を乗せた骨船から黒い瘴気が大量に噴出する。
辺りへ一気に拡散し、自分の手さえ見えぬ闇となった。
骨船の放出する瘴気の中で、シュミーア・ウィスローは平然とたたずむ。
大カケラの“3分の1”を丸まる吸収した彼女は、バーティス神並みの耐性を持ち、もはや北の瘴気など無力だ。
「あらあら、隠れんぼなの?
私は遊びに来たつもりでは、無いのだけれど」
シュミーアが人差し指をあげる。
するとその指先から、漆黒の瘴気が無色透明へと置き換えられていった。
瞬く間に闇が晴れると、瓦礫の海岸にはライカだけが立っている。
右手には蒼白い雷槍をたずさえ、その足元では雷光が激しく明滅し、瓦礫の小石を弾き飛ばしていた。
シュミーア・ウィスローは、それを見て目を細める。
「あら? ライカ、お友達はどうしたの?
逃げちゃったのかしら? あなた相当に嫌われているのねえ」
「戯言を」
ライカはからかいに乗らず、真っ直ぐにシュミーアを見つめた。
その瞳は、焼けた鉄の如く真っ赤に輝いている。
滾る血潮が駆け巡るライカの中で、その熱気に煽られて楽市たちがてんやわんやだ。
ライカはシュミーアを睨みつつ、体内で響く声へ耳を傾けていた。
ライカの心象内で、楽市の指示が飛ぶ。
(パーナ、ヤークトっ、あたしの瘴気を使って死霊ドルイドをっ!
ライカ・ユーヴィーを、ガードしてあげてっ!)
((はいっ))
(霧乃、夕凪、松永はライカの耳になってっ!)
(まかせろっ)
(ふああ……ねむー、なになに、何はじまんの?)
(ぶひんっ)
(朱儀は、ライカの体の動きを手伝ってあげてっ)
(ふああ……あふん……はーい)うとうと
(豆福とチヒロラは――あ、うんっ、そのままでっ)
(もー、うーるーさーっ!)めっちゃねむい
(むにゃむにゃ……いいお湯かげん、ですー)
楽市は最後に、隣に立つイカを見た。
(何を、笑っているの?)
(ふふ……楽ねえさんが、ライカに手を貸す理由がやっと分かった。
よりにもよって、あんな男にねえ。
ライカも完全に気付いたよ、さっきのあれで)
(いいからっ! そんな事はいいからっ! やるよっ。
10分で出すっ。ちゃんと踊れる?)
(あのさ、あたしも楽市なんだよ。バカにしないでくれる?)
(そうだった、じゃあ行くよ、せーのーっ!)
楽市と、ライカに潜んでいたイカ楽市。
2人の楽市が漆黒の尻尾を呼び出すため、藤見神楽を舞い始めた。
ライカの心象内で、
黒袴の起こす衣擦れの音が、しめやかにシンクロしていく――




