656 地獄のどじょうすくい。
(プチたち何してんの!? 何で盆踊り!?
あのイカが教えたのかな。
あたしが来て、喜んでくれているの?
ぐっ、可愛いーっ。
でもやめてっ。
いま分かんないけど、勝負みたいになってるからっ。
やめて笑っちゃうからっ。
ほんと、本気なとこだからっ!)
楽市を櫓代わりにして、周りを回るプチがしゃたちが、楽市の視界の隅↓を通り過ぎていく。
そんな中、ちょうど角と翼を持つ、プチ角つきが正面を通った。
プチ角は皆が手をひらひらさせ踊るなか、一人だけ腰を深く曲げ、キレッキレで両手を出したり引っ込めたりしている。
(なぜ一人だけ、どじょうすくい!?)
楽市の心が叫ぶ。
これはちょっと無理だった。
「ふひっ、ぷすーっ」
これは駄目だと、楽市は悟る。
(これ2回目、アレが回ってきたら絶対に笑うっ。
どうしよう負ける、何かに負けてしまうっ。
どうするっ!?)
*
ライカは奥歯を嚙みしめ、発作のように込み上げる衝動をねじ伏せた。
決して笑わず、北の魔女を睨み続ける。
しかし心の隅では、そんな自分にうんざりしていた。
瓦礫の海岸を、独りで歩いたときの事をライカは思い出す。
北の魔女へ助けを求めるべきと進言されたとき、それは到底飲めぬ話だと突っぱねた。
ライカは苛立ちのままに、掴んでいたリールーを投げ捨てると、独り海岸を歩いたのだ。
しかし他にフーリエたちを、助ける手立てはあるのか?
考えてもライカには、特殊空間で探し出す手立てなど出てこない。
出てこないのに、どうしても北の魔女の力を借りたくなかった。
だから只々足を瓦礫に取られながら、怒りに任せて海岸を歩いた。
憎々し気に海を見つめたとき、沖合にポツンと浮かぶ人影に目が留まった。
特殊空間へ入ったとき目にはしていたが、すぐ小屋へ入ったので気にも留めていなかったものだ。
逆光でよく見えない。
しかしそれでも、よくよく眼を凝らして見れば――
ライカは北の魔女を睨み付けながら、改めて思い返す。
あの時沖に見たものは、自分のあられもない姿たちだった。
どういう訳で、自分の姿が沖に浮かんでいるのか分からないが、特殊空間では強い想いが実体化すると聞いていた。
ならばこれは、フーリエの仕業だと直感が告げる。
下着姿や裸でのシチュエーションが、モロにそれだった。
何てものをと真っ赤になって腹を立てたが、同時に自分との思い出を忘れないでいてくれたのかと、妙に温かい思いが込み上げた。
ならば早くフーリエを見つけて、この不埒者と殴り付けなければならない。
そう思ったとき漸く心の棘が抜けて、リールーの進言を受け入れる気持ちになったのだ。
それなのに今また北の魔女と、意地の張り合いをしてしまっている。
そんな事をしている場合じゃないと、分かっているのにだ。
自分は自分の意地に、囚われ過ぎている。
自分が真に誇り高き者ならば、この下らぬ意地に縛り付けられている現状こそ、破壊すべきものではないのか?
ライカは北の魔女と7日間争ったあと、そのように考え始めていた。
ライカは魔女を睨み付けながら、大きく息を吐く。
眼は絶対に逸らさぬが、ライカが魔女へ語りかけようとしたその時――
「あ~、アイだ~」
*
寝ぼけていた霧乃が薄っすら目を開けると、見知った大人たちの中に、特別綺麗な一つ目を見つけた。
体が斜めに傾きながら、嬉しそうな声をだす。
「あ~」
霧乃はヨタヨタしながら楽市の手を引っ張り、アイ・エイチ・ジャマーンの元へ向かった。
「らくーち、みて~。アイがいる~」
「えっ、アイって、前に霧乃が言っていたアイさん!?」
楽市は引かれるがまま、一つ目の女へ近づいていく。
反対の手で繋がっている夕凪は、まだ夢の中らしく、布袋のように引きずられていた。
霧乃は楽市の手を離すと、アイの足に抱きついて寝ぼけ眼でニンマリする。
「アイのめ、す~き~」
「うわっ、本当にキリだっ。マジで北の幹部だったんだ、うわあっ」
アイが大きな一つ目を見開き、数度瞬きした。
瞬く度に、瞳の中の金の粒子が舞い上がる。
光り物好きの幼女は、その瞳を見てもうたまらない。
もっと近くで見たくて、アイの体をよじ登り始めてしまう。
「わわっ、ちょっと待ってキリ、ちょっと待っ――」
「ア~イ~♡」
楽市が見かねて、霧乃の襟首を掴んだ。
「こら霧乃っ、直ぐに登ろうとするんじゃないのっ。
すみません、躾がなってなくて。
あの初めまして、あたし楽市と言います。
霧乃たちから、お話を聞いていました。
その節は大変にお世話になったようで、本当にありがとうございました」
ぺこりと頭を下げる北の魔女に、アイは度肝を抜かれる。
アイは獣人と同様、こんなに腰の低い支配者を見たことが無かったからだ。
「はうわっ、頭を上げて下さい、はわわっ」
大いに焦る、一つ目の商売人であった。
焦ったのは、楽市が頭を下げた事も確かにある。
だがそれ以上に、楽市に無視された形となったライカ・ユーヴィーが、こちらを恐ろしい目で睨み付けていたからだ。
今のライカに、北の魔女から頭を下げられる自分は、どう見えるのだろうか?
アイはそう思うと、ゾッとしてしまう。
くつじょく
いかりのほこさき
さかうらみ
あとでころす
様々なワードが、アイの頭の中に飛び交う。
膝から崩れ落ちそうになるアイを置いて、楽市は顔を上げてゆっくりと振り返り、強張った顔のライカを見つめる。
「で、何の用なの、ライカ・ユーヴィー?」
楽市は結果的に、2回目のどじょうすくいを見ずに済み、大物ぶった余裕のムーブをライカにかましてやった。
楽市は心の中で、額の汗をぬぐい尻尾を立てる。
多分、楽市の勝ち。




