649 楽市は、穏やかに腑抜ける。
楽市は、穏やかに腑抜けていた。
フーリエがライカを追って飛び去り、愛する幼子たちから正直な感想(〇ンチみたい)をぶつけられて、体の芯から力が抜けてしまった。
実際ライカとの、ぐだぐだ7日間抗争ですごく疲れているし、非常に眠たい。
だから寝る。
草原で、そのまま不貞寝する。
ぐっすりと眠ったら、おでこの辺りでチリチリしている、イヤ~な感じも治まるだろう。
眠りの力で、気持ちをリセットだ。
すーすーすー、くふうううん……
そのつもりなのに、眠りが妙に浅かった。
体は疲れ果てて寝たがっているのに、気持ちの棘が睡眠の邪魔をするのだ。
狐の獣耳が周りの音をついつい捉えて、ぴくぴく動いてしまう。
霧乃たちの、鈴の音のような声が聞えてきた。
どうやらチヒロラに、「またね」のご挨拶をしているようだ。
「気をつけて、かえれ、チロっ」
「またあしたな、チロっ」
「チロ、またねーっ」
「チー、まーたーっ」
「皆さん、また明日なんですーっ」
鬼の子チヒロラは家から楽市たちの間を、時速500キリルメドル(㎞)で行ったり来たりする、通勤幼女なのである。
そのチヒロラが帰るということは、もう日が暮れて宵闇なのだろう。
眠りが浅いとはいえ、何だかんだ微睡んで時間が過ぎていたようだ。
チヒロラが松永にも挨拶をすませて鬼火となり、「それじゃあ」と飛び立とうとしたその時。
楽市は伏せたまま、チヒロラを呼び止めていた。
「あ、チヒロラ~」
「あれ? らくーちさん、起きてたんですか!?
チヒロラ、そろそろ帰りますー。
また明日なんですっ」
「あーうん、あの、ちょっと待って……
あたしたちも一緒に、ベイルフへ帰ろうかなーなんて……へへへ」
「え、そうなんですかー?」
帝都はまだごたごたしているし、楽市はライカの件が済んだあと、一度帝都に戻るつもりでいた。
しかしそれが何だか、ひどく億劫に感じてしまう。
今は南部の担当として“南の楽市”もいるし、だからまあ、任せればいっかなーと言う気持ちが湧いてくる。
逃げたバーティス神の件もあるが、現在それは棚上げ案件となっていた。
草原へ来る前、楽市はどうしたものかと思い、“石さま”たちにお伺いした所、
「ほっとけ」と御神託を承ったからだ。
今の大カケラは、逃げるのに全集中するあまり、
逃げ出した理由、更にはそもそもの原因である“1気圧下の恐怖”も、頭からすっぽ抜けているらしい。
現在の大カケラは、恐怖を怒りで塗り潰すのではなく、ランナーズハイで塗り潰しているのである。
だから「そのままにしておけ」と、石さまたちは巫女の朱儀を通して語ってくれた。
それでは、まるでアホの子では!?――などと楽市は思ったが、
それこそが人知を越えた、巨大な存在のおおらかさなのだろう。多分
そういった訳で楽市たち一行は、チヒロラ特急号に揺られてベイルフへと帰っていく。
その揺れで寝付けなかったはずの楽市が、深い眠りへついて行った。
帝都へ行かなくても良いと、思った途端にこれだ。
何だかんだ理由をくっ付けていたが、何のことは無い。
楽市はただ、帝都で仲直りしたであろう、フーリエとライカの姿を見たくなかったのである。
夢の中で、♡マークの花吹雪が舞う。
楽市はその美しさに、ほうっと息を付いて見惚れていた。
楽市の隣には赤ら顔の乱暴者が座っており、楽市の幼子たちが、男へたいへんに懐いてじゃれ合っていた。
男は嫌な顔もせずに、霧乃たちの相手をしてくれる。
楽市は男の横顔を見て、また吐息を漏らす。
その夢は、楽市の心をとても穏やかにさせた。
男がむずがる豆福に困り果てて、こっちを見たので、楽市は笑って豆福を受け取るのだった。
*
「ほう……それでラク殿は、チヒロラの中で寝ているのかね?」
「そうなんですーっ」
エルダーリッチのシノは小首を傾げ、チヒロラは楽しげに自分のお腹を叩いた。
ぽこん。
それを合図に、霧乃たちがチヒロラの中から出てくる。
「だめだ、らくーち、おきないやっ」
「きり、ほっとけほっとけ。おしさま、ただいまーっ」
「ただいまー、あーぎ、おなかすいちゃったっ」
「まめもーっ」
「ぶふー」
そして最後にぬる~りと、パーナとヤークトが出てきた。
「「「「「 あーーーっ!? 」」」」」
「ぶふ?」
その姿に、一緒に出てきたはずの幼子たちが、とっても驚いてしまう。
なぜならパーナとヤークトは、この7日間ずっと“楽市の中”におり、霧乃たちも会うのが7日ぶりだったからである。
幼子たちはただ驚いたのではなく、その憔悴しきったパーナとヤークトのゾンビ顔に、ドン引きした。
眼が血走りギラついていて、落ちくぼんでいるではないか。
どうやら2人は、まだ一睡もしていないようだ。
シノが、再び小首を傾げた。
「どうしたのかね、パーナ君、ヤークト君?」
「どうしようシノさん……花吹雪があ……ぶるぶるぶるっ。
いっぱい降ってきて、ラクーチ様が幸せそうでっ。
あれじゃ完全に、ミノン様をーっ!?」
「待ってパーナ、落ち着いてっ!
あれは夢だよっ、ただの夢だってっ!」
「だって、ヤークトっ!」
「だってじゃないっ! とにかく、と~に~か~く~っ!
すみませんシノさんっ。
あたしたち千里眼の宿舎で、頭を冷やしてきますっ。
寝てきますっ!
ねっ、パーナっ、ねっ!」
そう言ってヤークトは、悶えるパーナを引きずって家から出ていった――




