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闇落ち白狐のあやかし保育園  作者: うちはとはつん
第1章 異界の異物
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065 楽市は数える


街の片隅で〈澱〉の前に立ち、桔梗(ききょう)が目を赤く腫らしていた。

そんな桔梗に、楽市が声をかける。


「桔梗、またここに来ていたの?」


桔梗がいないと知り、楽市は見当を付けて迎えに来たのだ。


「楽姉さま……」


桔梗は藤見の森で一番小さく、その精神はまだ脆い。

桔梗は、姉のように慕う楽市に声をかけられて、再び瞳を潤ませた。


楽市は桔梗を抱いて、その背をさすりながら語りかける。

桔梗を、慰めるための方便を紡いだ。


「桔梗、あんたが心を痛めることは無いんだよ。

澱は、この段階じゃまだ意識が無いんだから」


「ほんとうに……?」


桔梗が、濡れる瞳で楽市にすがる。

楽市は朗らかに笑った。


「本当だともっ、苦しんでいるように見えるだけなんだよ。

桔梗が気にすることは無いんだ。

そのうち霧のように消えるから、もうここに来てはいけないよ。ねっ」


桔梗は楽市の明るい声に、涙ながらも笑顔を返してくれた。


「楽姉さま……」

「さあ帰ろっか。みんなが心配しているよ」


それから幾日か経ち、楽市は、藤見の皆が「あの段階じゃ、意識なんか無いのさ」と、口にするのを聞くようになる。


皆がそれを信じて、疑いもなく口にしていた。

そうやって、澱に見向きもしなくなっていく。


しかしその輪に、楽市だけが取り残されそうになった。


あれは桔梗を落ち着かせるために、楽市がその場でついた方便なのである。

本当の所など、分かりはしなかった。

なのに、それを皆が言い合い笑っている。


――本当に信じているのだろうか?


楽市は、心の中で何度も同じ問いをした。

フリをしているだけ? そう信じたいから、信じているだけ?


けれど楽市は、それを皆に聞けない。

皆の心がそれで軽くなるのならば、それで良いのではないか?


わざわざ、問う必要があるだろうか?

そう楽市は自問する。


自分は黙っていた方がいい。

楽市はそう考えて、仲間の輪に入っていった。

しかしずっと、心のどこかで燻り続けてしまう。




ある晩のこと――

飲みに行くと言って出かけ、澱の場へ向かう。


楽市は闇の中で、じっと澱を見つめた。

澱に変化はない。ただ不規則にうごめくだけだ。


一瞬、頭や手足を成すように見えるが、月明かりの当たり具合でそう見えるだけである。

すぐに、不規則の中に埋もれてしまう。


自分は、いつまで見ているつもりだろうか?


楽市はそう思い、肩の力を抜いた。

楽市がいつまでも気にする自分を笑い、森へ戻ろうと背を向けたとき、それが耳もとで聞こえた。


――ふええっ


楽市は、慌てて振り返る。


「今のなにっ!?」


澱の前にしゃがみ、耳を澄ます。

両耳をピンと立て、何も逃がすまいと集中した。

しかし何も聞こえない。


「今のは声なのっ?  泣いていた!?」


その後は、どれだけ耳を澄ませても、聞こえることは無かった。

翌朝には、澱が楽市のまえで消えていく。

ある程度、時が経つと澱は霧散してしまうのだ。


朝日の中で、呆然とする楽市。

たった一夜明かしただけなのに、酷い顔をしていた。


あの声は何だったのか?

確かに、耳もとで聞こえたのだ。


「いや、耳もと? 後ろからではなくて?」


ひょっとして、幻聴だったのではないか?

獣の耳が、音の位置を間違えるはずがない。


楽市はそう考えて、乱れる心を落ち着かせようとする。


「確かに後ろからではなく、耳もとだった……」


自分が余りにも気にし過ぎたから、聞こえてしまったのか。


「聞こえるはずのない声……幻聴だ……」


現にあの後、一度も聞こえなかったではないか。

楽市は、そう自分に言い聞かせる。

あれは幻聴だったのだ。


その後、楽市は誰よりも飲むようになった。

陽気になり、最後には酔い潰れる。

そんなだらしのない楽市に、兄はいつも付き合ってくれて――




「らくーち、らくーち!」


夕凪の元気な声で、楽市は物思いから引き戻される。


「らくーちっ、ほらっ、ほらあ!」

「あっ、あー!」


霧乃が尻尾をふくらませて楽市を手招きし、朱儀がなぜか地面を転がっていた。

もうすぐ生まれる。


妖しの子が、むずがるように体を揺らすと、地面からぷつりと切れた。

そのまま、緩い傾斜を転がっていく。


「でたー!」

「よくやった!」

「ふあー!」


霧乃が、慌てて妖しの子を拾い上げた。

まだ生まれたばかりなので、霧乃の小さな手にすっぽりと収まってしまう。


夕凪と朱儀が霧乃の手の中を覗き込み、頬を緩ませている。


朱儀の服の隙間から、石の方々も顔を覗かせていた。

松永が匂いを嗅ごうとして、鼻息がうるさい。


みんなが、順に手の平へ乗せて喜び合っていた。

楽市は眩しいものを見るように、目を細める。

みんなで、楽市の元へ見せに来てくれた。


「らくーち!」

「らくーち!」

「あはは!」


楽市は膝をつき、三人まとめて抱き締める。

その中心に、朱儀がもつ新しい妖しの子がいた。


「あんたたち良くやった。あたしだけじゃ、何も出来なかった。

あんたたちが居たからこそ、あたしは……」


その先が出てこない。

唇をかみしめて、強く目を瞑る。


「ふふふ」

「へへへ」

「はっはっはっ」


楽市は言葉の代わりに、いつまでも三人を抱き締めるのだった。

楽市はそっと数える。


霧乃、

夕凪、

朱儀、

松永、

石の方々、


そして新しい妖しの子……


楽市の瞳は微熱を帯び、妖しく輝く。


「あと、二十五人……」





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