647 ダークエルフの原風景。
骨船では、空気が最悪だった。
ライカ・ユーヴィーが船尾にどかりと座り込んで、ブンむくれているからだ。
それはもう触れたら、棘が突き刺さるような空気を醸し出していた。
そんな中でイースはあまり気にせず、骨船に何やら耳を寄せて話しかけている。
リールーも澄ました顔で、膝にプチガシャを乗せ、イースの奇行を見守っていた。
そしてイースチームの良心ことサンフィルドは、船上の空気が居たたまれず、辺りを警戒すると称して、舳先のフチに座っているのである。
しかしサンフィルドが、警戒する必要など無かった。
神の集いし特殊な閉鎖空間の外では、モスマン軍団と恐炎妖精軍団が、待機し陣取っているのだから。
そんな状況で、サンフィルドがわざわざ気にする必要は――
「ん?」
西日が差す、廃墟の街並み。
薄闇に溶け込み始めた廃屋の屋根で、チカチカと光るものがあった。
ダークエルフの赤い瞳は、夜目が効く。
サンフィルドが良く凝らして見てみれば、モスマンに囲まれて顔を引きつらせる女が2人、瓦屋根に立っていた。
こちらに光を点滅させながら、手を振っているではないか。
「ええええーっ!?」
サンフィルドは驚きのあまり、船から落っこちそうになる。
「まじかっ!? アイとティカなのかっ!?
えええ、どうしてっ!?」
向こうもこちらが気付いた事に、気付いたのだろう。
大きな一つ目をまん丸く開いて、手を振る動きが激しくなった。
その必死さが、良く伝わってくる。
まあ、モスマンの巨大な複眼と、ガチガチと鳴る顎に囲まれたら、誰だって必死になるだろう。多分
「いや……驚くこともねえか。
ここは帝都だもんな、いて当たり前か。
しかしまじであれ、俺に手を振ってんのかっ!?
これはどうするっ? うわ、参ったなあ……」
手を振るアイとティカの必死なおももちが、段々怒りの形相へと変化していった。
恐らく気付いても座ったままで動こうとしない、サンフィルドに苛ついているのだ。
サンフィルドに無視されたら、傍で嚙み合わされる大顎の餌食となるかもしれない。
おおかたそんな恐怖が、アイとティカの怒りに火を付けているのだろう。
なに無視しとんじゃ、ゴラアッ!である。
サンフィルドは、そんな心の動きが手に取るように分かった。
ちらりと後ろを振り返る。
後方では、ライカ・ユーヴィーのせいで空気が最悪だった。
前へ向きなおればアイとティカが、怒り心頭で飛び跳ね初めている。
こちらも行ったら行ったで、最悪な気がした。
サンフィルドは両者を天秤にかけて、よりましな方を選ぶ。
そんな迷えるサンフィルドの隣に、イースが立った。
「どうしたんだいサンフィルド? 大きな声を出して?」
「イース、俺ちょっと行ってくる……」
「え?」
サンフィルドはフチから腰をずらすと、飛行魔法で元カノたちの元へと降りていく。
アイとティカのいる瓦屋根へ足を付けて、さてどうしようかと思い、結局昔と変わらぬような挨拶をした。
「よう、どうした?
アイ、ティカこんな所で?」
アイとティカの大きな一つ目が、恐怖で涙目となっていた。
漆黒の瞳にぬらりとした光沢が増し、ますます妖しく美しく見せているから困る。
虹彩に浮かぶ金の粒子の散り具合が、サンフィルド好みだ。
アイとティカが瞬きで涙を飛ばし、サンフィルドを睨む。
「あんた一瞬、私たちを見捨てようとしなかったっ?」
「酷いよ、サンフィルドっ!」
「あのなあ……久しぶりに会って、甘い言葉も無しかよ……」
サンフィルドは肩をすくめて溜め息をつき、モスマンたちへ顔を向けた。
「モスマンの方々。この2人は、私の古い知り合いなのです。
ですから、警戒を解いて頂けるとありがたい。
久しぶりに会いましたので、少々3人で昔話に花を咲かせようと思います。
ライカ・ユーヴィー様があちらでお待ちですので、どうぞそちらへ――」
サンフィルドが慇懃に頭を下げると、モスマンたちはガチンと顎を鳴らして、ぶぶぶと飛び立っていく。
モスマンが去ると、アイとティカがその場へへなへなと座り込んだ。
サンフィルドはちょっと考えてから、荒い息を吐く2人の隣へ腰を下ろす。
「モスマンは見た目ほど、怖かねえよ。
あれで意外と料理が上手くて、家庭的なんだぜ。
ふざけてるよな。
アイ、ティカ。
レッサーサイクロプスの居住区は、旧帝都だったろ?
旧帝都は城も何もかも、なくなっちまったよ。
2人とも、よく無事だったなあ」
「無事じゃないっ!」
「お?」
サンフィルドの言葉を、アイが強く否定する。
「私とティカは、一度死んで復活したんだよサンフィルドっ」
「……そうか、お前たちもか」
サンフィルドを睨み付けるアイの隣で、ティカが一つ目をパチクリとさせた。
瞬きするたびに、瞳の中の粒子がキラキラと舞う。
「そうかって、じゃあサンフィルドも!?」
「ん?」
サンフィルドは自ら進んで命を絶ったが、そこは伏せてティカに合わせる。
「まったく嫌になるよな。
イースもリールーも俺も、みんな起きたら灰まみれでやんの」
「イロック様や、レスクさんもっ!?
う゛……う゛う゛う゛……う゛ぐっ。
よ゛がっだあ゛あ゛……」
「おいティカっ、そこ違くね!?
良かったじゃねえだろ、フツー。
しんみりする所だろっ。
あと何、ぽろぽろ泣いてんだよ!?」
「だってだって、私とアイだけがさっ。
巻き込まれてさっ、それでさっ――」
ティカはレッサーサイクロプスの中で、自分とアイだけが死んで復活したこと。
そのため自分たちが、使い捨てのコマにされかけていること。
それがすっごく、心細かったこと。
でもサンフィルドたちも死んで復活したと聞き、自分と同じだと思ったら妙にほっとしてしまい、嬉しくなったことを一気に喋り倒した。
そこから調子に乗って昔の話をしようとしたとき、アイに止められる。
「まってティカ、その話は後だよっ」
「あっ、ごめん、そうだったっ」
アイは空に浮かぶ、船を見上げた。
「色々あるけど、色々あとっ。
ねえサンフィルド。
あの飛行艇にライカ・ユーヴィー様と、フーリエ・ミノン様がいらっしゃるんでしょう?
会わせてくれない?」
サンフィルドはそれを聞き、腕を組んで唸る。
「ん-、駄目だ」
「なんでっ!?」
「やっぱなあ、言うと思ったぜアイ。
細かく言えねえが、ライカ・ユーヴィーはこれからヤベエ事に、首を突っ込もうとしている。
まじでヤベエな。
だからそんな相手に、お前たちを会わせられるかよ。
商売なら他を当たれよ」
口調はとぼけていたが、サンフィルドの目は真っ直ぐアイの瞳を見つめていた。
先ほどアイとティカが感じた、サンフィルドの「一瞬見捨てるそぶり」は恐らくこのためなのだ。
サンフィルドは危険な領域に、アイとティカを巻き込みたくないのだった。
だからと言ってハイそうですかと、アイは引き下がらない。
アイにはアイの、都合があるのだ。
「サンフィルド、ティカの話を聞いていなかったの?
私たちは後がないんだよっ。
テキトーにやって、ぬるい情報を持ち帰ったら、私たちはきっと“地下送り”になる。
エルダーサイクロプス様に細かく砕かれて、再設計されるっ」
「うっ……」
ティカも一つ目を大きく見開いて、サンフィルドに迫った。
「もしここでお別れしたら、私とアイはもう二度とサンフィルドに会えないよっ
それでも良いのっ」
それでも良いのと言われても、もう別れて何十年と経っているではないか。
そんな突っ込みを入れるか迷うサンフィルドに、アイが駄目押しする。
「サンフィルドっ。
さっき城が、跡形も無いって言ったでしょう?
じゃあ、城詰めのレッサーサイクロプスも居なくなったんじゃない?
サンフィルド、あなたも分かっているでしょっ。
私とティカは、きっと役に立つ。
ダークエルフにとって、レッサーサイクロプスはそういう種族なんだからっ」
レッサーサイクロプスはここぞという時に、一切瞬きをせず見つめてくる。
サンフィルドは2人の一つ目に見つめられて、頭から話が飛んで見惚れてしまった。
漆黒の濡れた瞳に散る、金の粒子はまるで星空のようだ。
それは洞窟時代のグロウマッシュの天井、地上で見た星空に連なる、ダークエルフの原風景と言えた。
この瞳に心奪われたからこそ、サンフィルドは恋に落ちたのだ。
そして欲張って二股をかけたからこそ、アイの店から叩き出されたのだった――




