635 我思う故に我ら群がり、我として我がある。
シュミーアは両腕を大きく広げて、我こそがシュミーアであると高らかに名乗り上げた。
固く閉ざされていた“女王の記憶”は、解けて星座へと戻り、シュミーアの周りへ群がり始める。
我こそが我であると強く自負し、女王の記憶もまたシュミーアを我と認めた。
我思う故に我ら群がり、我として我がある。
さあ、あんあー、我となってー、おーどろー♪
らんらんらーらーらー、我は、我がすきー♪
*
「ちょっと待って、モールスムーンっ!?
なんで!? なんで僕は追い出されるのっ!?」
チェダーの主張も虚しく、彼の前で小屋の扉が固く閉ざされた。
チェダーには突然の事で、何がなんだか分からない。
モールスムーンに撫でられてウトウトしていたら、いきなりゴキンと金管アームで頭をはたかれた。
続けて金管アームで脹脛を連打され(カーフキック)、小屋から追い出されて今にいたる。
普段はとぼけて、掴みどころの無い妹があんなに怒るとは?
一体自分が、何をしたというのか?
チェダーは扉をあけて訳を聞こうと思ったが、妹の怒りに油を注ぎそうで思いとどまる。
これは暫く、時間を空けた方が良さそうだ。
チェダーは小屋の前に腰をおろすと、ぼんやりとした顔で海を見つめる。
寄せては返す波音を聞きながら、いつまでも明るい沖を眺めた。
沖合にはライカの幻が、逆光でシルエットとなり幾つも浮かんでいる。
「はあ……フーリエ。
ライカを連れてくる前に、アレをどうにかするべきですよ。
あんなの見たら、ライカ怒りますよ絶対。
僕知りませんからね」
「本当に困った子ねえ、フーリエは」
「そうですよっ。
あんなもの僕やモールスムーンに見せて、平気なんですからっ。
頭がどうにか……えっ、その声っ!?」
いつもなら頭の中で響いていた母の声が、チェダーの鼓膜を外から震わせる。
振り仰げば、そこに輝くような女王が浮かんでいた。
いや、実際に輝いているのではない。
その実在感が、今までとは比べられぬ程に増して、チェダーの眼に神々しく映ったからだ。
チェダーは、その美しさに見とれて息を呑む。
きらめく銀の髪は、一筋一筋が風になびいていた。
紅い瞳は、その虹彩がくっきりと花のように広がり、チェダーを見つめている。
ハニーブラウンの肌からは甘やかな匂いが立ち、チェダーの鼻腔をくすぐった。
身にまとう深紅のドレスには、優美な襞がはしり、表面を彩る刺繡と共に繊細な光沢をたたえている。
もうチェダーには、幻とは決して思えない。
「母上、そのお姿は実体化してっ!?」
「いいえチェダー、まだ実体には至りません。
ですがチェダーが私を思ってくれるから、私はここまでくっきりと現れるようになりました。
全てあなたのお陰ですよ、チェダー。
そしてチェダーが思い続けてくれるから、急に色々と出来るようになりました。
急に、色々とやり方を思い出したんです。
見ていて下さいねチェダー……ふふふ」
シュミーア・ウィスローが指先をくるくる回すと、空中に小さな魔法陣が現れた。
サイズは金貨ほどの物で、数は9つ。
シュミーアがそれをピポパと押すと、PURURU……と奇妙な音が鳴り響く。
それがぷつりと途絶えたかと思えば、どこからともなく異様な叫び声が聞こえた。
†GASHAAAAAAAAAAAHH!†
シュミーアは気にもせず、挨拶をする。
「あーはい私です、ご無沙汰しております。
ソービシル家の8代目、シュミーア・ウィスローでございます。
いつもダークエルフが、お世話になっております。
そちらは、如何なものですか?」
†GGUWASH! GSAHAAAAAAAAA!†
「あら、そうなんですの?
3つに分裂して、逃げていらっしゃる?
これは、お忙しい所をすみません。
つかぬ事をお伺いしますが、この奇妙な閉鎖世界は、貴方様がお造りになられたとか?」
†HOOOOOO! GSAAAAA! GYYAAASHUUU!†
「すみません、手短に済ませますので。
貴方様の苦しみを、このウィスローが何とかして差し上げようと思いまして。
どうでしょうか?
この世界の理を、私に委任して頂けませんか?
†ZIIIIII! YYYAAAHHHHHHHHH!†
「ああ、申し訳ございません。
差し出がましい事を申しました。
え、宜しいのですか?
ええ構いません、それだけでも……
はい、宜しくお願い致します。
はい、有難うございます。
では、失礼しますー」ぺこり
†GISHAAAUUU!†
ぷつり……つーつーつー
「ふう……
世界を創造しながら逃げていらっしゃるので、そんな余裕はないと怒られてしまいましたわ。
なかなか上手くは、行かないものですのねえ。
ですがほんの少しだけ、分けて頂きました。
まあ大丈夫でしょう。少しで充分……」
「あのっ、母上今のはっ!?」
「今逃げているというバーティス神様と、直接お話をしたの。
これも代々バーティス神様と契約している、女王の特権かしらね。
少しだけ、力を譲り受けたわ。
これで距離を無視して、連絡ができるでしょう」
「連絡ですか!?」
「そう……こうやって瓦礫を――」
シュミーアが瓦礫を持とうとして、指がすり抜ける。
「あらやっぱり、駄目なのね。
仕方がないわ、チェダーそこの瓦礫をこっちへ置いてくれるかしら?
そうそう、次はその瓦礫をそっちへ――」
チェダーは言われるがままに、瓦礫の岩を自分の前へ並べていった。
その数は20と4つ。
「母上これはっ!?」
「綺麗に並べたわね、良い子。ちょっと見ていてね」
シュミーアが岩の上でくるくると指を回すと、先ほどと同じように小さな魔法陣が、それぞれの瓦礫に9つづつ浮かび上がった。
シュミーアの指が、それを素早くプッシュしていく。
プッシュした先から、岩からPURURUと軽快な音が鳴り始める。
「いいチェダー?
私の声はあなたにしか聞こえないから、あなたが代わりに現状を話すのですよ」
「誰とです!?」
「海の向こうの同盟国たち。
その王や女王の脳内に直接繋がっているから、この大陸の現状を話してあげて。
そしてこの災いは、世界へ広がると忠告してあげてね。
あなたが、世界へ情報を拡散するの」
「えええええっ!?」
何だか外が騒がしい。
モールスムーンは興味がわいて、こそっと扉を開けてみる。
するとチェダーが瓦礫に向かって、必死に話していた。
何をしているのだろうと興味がもっとわいて、コロコロと近付いてみる。
モールスムーンは怒っていることも忘れて、チェダーへ話しかけた。
モールスムーンの興味は、何よりも優先されるべき事柄なのだ。
「チェダー、ナニシテル」
「ああ良かったモールスムーンっ!
僕一人じゃ、対応しきれないよっ。
触れるだけで繋がるから、手伝ってっ!」
「ナンダソレ、ナンダソレ、ナンダソレ」
チェダーが手短に話すと、面白そうだからモールスムーンも手伝うことにする。
金管アームで、岩の一つに触れてみた。
すると触れるなり、向こうから怒声が飛んでくる。
「貴様っ、いつまで待たせるのかっ!」
「ダレダ、オマエ」
「誰だとは何だっ、そちらから掛けてきておいてっ。
貴様こそ誰だっ!」
「ナンダト」
モールスムーンは、口喧嘩を始めた。
息子と娘がてんやわんやしている横で、シュミーアはふわふわと浮かび寛いでいる。
差し当たって他の子供が戻って来るまで、やる事がなくなった。
「ライカとフーリエが帰って来るのは、いつ頃になるのかしら?
まあいいでしょう。
それまでは新しい記憶を、ゆっくりと味わうことにいたしますわ」
シュミーアはそう言って、
読書をするように、手に入れたばかりの記憶をめくり始める――




