620 一族の恥、裏切り者。
一瞬呆けたライカ・ユーヴィーの紅い瞳が、フーリエを映しながらすうっと冷えていく。
「ちょっと待ってフーリエ。
お前が頼んだだと? 北の魔女に?」
「違う、マメフクだ」
「マメ?」
「フクだ」
「…………」
ライカは一度ゆっくりと瞬き、押し黙る。
胸中で何を思うのか、その表情は能面のように冷えて固まり、うかがい知れない。
フーリエにはライカの視線だけで、陽光が陰り、辺りの空気が重くなったように感じた。
その重みを肌で感じながら、フーリエはゆっくりと立ち上がる。
二人の合間は1メドルもない。
恋人の距離である。
手を伸ばせば、すぐそこにライカがいる。
再会できた喜びを、フーリエはライカを引き寄せ強く抱擁で示せばいい。
ただそれだけで良いはずなのに――
それができない、ライカがさせない。
ライカから、殺意がじわりと立ち昇りはじめた。
どうして、こうなってしまうのか。
フーリエは胸中でため息をつく。
何事もなく、ただ抱き合えれば良いと思っていた。
しかしライカの気性を知る者として、そうは行かないだろうと……復活させると決めた時から分かっていた気がする。
今のライカは、北の魔女の眷族。
つまり彼女は魔女の軍門に下り、その存在を許された下位者となるわけだ。
フーリエは、ライカがその境遇を甘んじて受け入れる姿を想像できない。
できなければ、ライカはどうするのか?
フーリエは甘く疼く思いを一旦切り捨て、ライカを見据えた。
季節が変わり始めて、涼やかな風が和毛のような草原をゆらし、フーリエとライカの間を通り過ぎる。
新たな命をえて飛び交う羽虫たちが、二人を避けるように草の陰へ隠れた。
ライカがここからどう出るのかと、フーリエが探りを入れようとしたその時、ライカが胸に当てていたドレスを手放す。
黒のドレスが草原に落ちて、ライカは再び一糸纏わぬ姿となった。
ライカの長い銀髪が、風の中で踊っている。
つんとした張りのある、ハニーブラウンの乳房。
ほど良いくびれから連なる豊かな腰。
下腹部の白銀の陰り。
何もかもが美しい。
正面に立つフーリエがその魅力に抗い切れず、思わず視線をちらりと下げた瞬間、ライカが動いた。
指先を硬質化(ケラチン化)させ、右の貫き手を放つ。
狙いはフーリエの頸動脈。
フーリエは予期していたのか、顔色を変えず、ぎりぎりで貫き手をかわす。
ライカは突き出した貫き手の指を、熊手のように曲げて、首を刈り取るべく左へ薙ぎ払った。
フーリエは、それもぎりぎりでかわす。
しかしかわし切れずに、左耳と左頬を切り裂かれてしまう。
フーリエは数歩下がって、距離をとった。
それは恋人ではなく、完全に殺し合いの間合いだ。
フーリエが、口から血の塊を吐き出す。
恐らく頬の傷が、貫通しているのだろう。
ライカは指先にからみつく肉片を爪で弾きながら、眉間にしわを寄せた。
「よけるな、フーリエ」
「よけなきゃ、くたばるだろうがっ。
つーか、始めんなら服ぐらい着てからにしろっての。
それぐらいの、時間はいいだろう?
おまえも裸族かよっ」
「…………」
ライカは落ちているドレスへ、一瞥もくれず呪を唱える。
「来たれ、モスの子供たちっ! “黒き手ごね師”っ!」
ライカの呪と共に魔法陣が浮かび、そこから6つの黒い繭が躍り出る。
形は艶のある楕円形。
大きさは、生まれたての赤子ほど。
モスの子供たちは、ライカの周りをじゃれるように飛び交った後、彼女を水平に取り囲んでぎゅんぎゅん高速回転する。
回りながらライカの肌へ、黒い糸を吹きかけていった。
6体の糸が寄り合わさり布地を形成して、ライカの裸身を上から順に包み込んでいく。
衣服が装着されるその間、ライカは燃え盛る紅い瞳でフーリエを睨みつけた。
「なぜ私を、北の眷族として復活させた!?」
フーリエは、口を尖らせ言い返す。
「会いたいからに、決まってんだろうが」
「ふざけるなっ、薄汚い北の眷族になり下がって、何が会いたいだっ。
お前は、誇りまで捨てたのかっ!?」
「俺は、何も捨ててねえよ」
「私がこんな事をされて、喜ぶとでもっ!?」
「…………駄目なのかよ」ぼそっ
「何がだっ」
「俺が会いたいってだけじゃ、駄目なのかって言ってんだよっ!」
「気が触れているのか、お前はっ!?
私が屈辱にまみれた眷族へ落とされて、お前を愛すとでも思っているのかっ!?」
「それでも俺は……っ」
「この一族の恥っ、裏切り者めっ!」
フーリエの声はライカに届かず、モスの子たちの漆黒のドレス作りが終わる――




