610 楽市の独り言。
狐火が縦にくるくる。
すぐ後ろで青白い火の玉が回っているというのに、赤ら顔の男は気付きもしない。
それだけ豆福をあやすのに、気を取られているのだろう。
それもあるが、楽市は辺りに舞い散る♡の花弁が、感覚を鈍らすのだと考えた。
ここはどこもかしこも、神々から生れた♡で形作られている。
どこを見ても桃の色。
この中では愛と言うか欲というか、そんな感情が充満しており四方八方から浴びせられるのだ。
恐らくそれに埋もれて、他の気配が分かり辛くなっている。
かく言う楽市も、周りから放射される愛だか欲だかに当てられて、感情が走り気味なのを自覚していた。
精神攻撃にタフな楽市も、流石に世界全てが桃色だと調子が狂うようだ。
豆福を抱っこする、男の背中。
楽市の子をあやす男。
楽市は「何だそれっ」と内心焦る。
どうなっているのか?
それではまるで、楽市のはんりょ――
おっと、いけないいけない。
間抜けな錯覚に、気を取られている場合ではない。
楽市は自分にそう言い聞かせて、狐火の回転を加速させる。ぎゅるるる
愛欲のデバフに背を向けて、努めて冷静に男を見つめた。
そう言えば、この男は一体何なのだと。
楽市は黙考する。
(こいつは、エスエスなんちゃらのダークエルフだ。
それは間違いない。
最上位のダークエルフ。
はっきり聞いてないけど、こいつはあの女を復活させたいんでしょ?)
そう考え、楽市は“天空”での戦闘を思い返す。
モスマンの大群を引き連れていた、あの女を――
(あの女、復活させて大丈夫かな!?
危ないでしょ、ヤバいでしょ!?)
そう心で喚きながら、だがしかし。
だがしかしである。
楽市は、男の背中を凝視した。
男の背中は、未だ傷だらけである。
楽市の瘴気と今は♡マークの加護で、傷口は塞がっているが完治はしていない。
陽光ハチドリの太陽毒は、この世界で生まれただけあって神の加護に耐性を持ち、傷の修復も阻害しているようだ。
背中へ刻まれた傷の一つ一つが、カニポイを庇ってくれた証拠だった。
彼は体を張って、カニポイを守ってくれたのだ。
赤い男に思惑があろうとも、その傷を見て楽市はただただ感謝の念しかない。
それにこの男はエスエスなんちゃらと同時に、今はもう北の森の眷族なのである。
(あたしたちの為に、体を張って死にかけた。
あたしの眷族……
そう思うと、この人が望むなら叶えてあげたい)
あの女を復活させるとすれば、あの女もまた楽市の眷族となる。
そこに蛾の女の意志など、入り込む余地はない。
敵であった目の前の男。その変化を基にして考えてみれば――
(う~ん……何とか大丈夫、か、な?
でもなあ……そんなにあの女が良いの?
いや、知らないけどさ……)
楽市は豆福をあやす、傷だらけの背中を恨めし気にながめた。
なぜか気持ちが安らぐ。
子供をあやす男の背中を見つめているだけで、こうも心安らぐものだとは思わなかった。
赤い男の頭や肩に、たくさんの♡の花弁が乗っかっているのも、ポイントが高い。
何だか、のどかさに拍車がかかっている。
いつも威張り散らすような男が、あたふたして背中を丸めているのだ。
(背中、大きいな……)
困っている姿が、正直可愛らしい。
この男……口は悪いが、その時がくれば良い“おとうさん”と言うヤツになるのだろう。
そしてまた何かがあれば、傷だらけになってでも子を守ってくれるのだ。
そんな想像を、楽市はぼんやりしてしまう。
(はあ……あたしの豆福を、抱っこしているくせに……)
楽市はそこでハッと我に返った。
(……えっ!? あっ!?
今なにを考えてた!?)
楽市は自分の不満気な思考が、自分で理解できない。
(なに今の!? 訳わかんないっ!?
今のなしっ、ちょっと勘弁してよもうっ!)
自分を惑わす邪気を追い払うように、狐火を加速させ、舞い散る花弁を吹き飛ばした。
この桃色世界にいると、感化されて気持ちが桃色に走り気味だ。
その気がこれっぽっちも無いのに、おかしな事を考え始める。
自分の感情が煩わしい。
(ああもうっ、ああこのっ、ややこしくなるっ!)
楽市が必死にぎゅんぎゅん回っていると、いつの間にか赤い男が、怪訝な顔をしてこちらを見つめていた。
「あっ」
男の腕の中で、豆福が頬を膨らませてのけ反り、楽市の狐火へ両手をのばす。
「らくーち、だっこ」




