604 それは昏き水面に咲く、妙なる一輪の花。
ぽーん、ぽーん
こっちにおいでと、桃色の人が呼んでいる。
気付けばカニポイは、六本足ではいはいしていた。
「わ」
最近は龍の頭で跳ねたり、獣がしゃに乗って移動しているが、シールドが手に入るまでは、こうしてよく這っていたものだ。
はいはいするのは頭がでっかくて重いからであり、頭がでっかいのは、元々赤ん坊のがしゃ髑髏だったからである。
今この場で飛び跳ねて移動するのではなく、はいはいを選んだ。
それは小さき尻尾たちや、ナランシアの影響と言うよりも、カニポイと呼ばれるがしゃ髑髏自身の疼きのせいかもしれない。
今のカニポイはそんな事を考えもせず、とにかく夢中で這った。
頭がゴチンとぶつかるほど勢い良く、桃色の人の胸元へと飛び込んだ。
カニポイは桃色の胸へ両手を乗せ、桃色の人を覗き込む。
近いっ、顔がとっても近くなった。
嬉しくて桃色の人の胸を、ヒノモトの子猫のようにモミモミしてしまう。
「ちかいー」
獣がしゃも寄って来て、桃色の人の脇腹へ乗っかった。
桃色の人は獣がしゃの背中に手を添えると、そのままの姿勢でゆっくりと背を床に付けて仰向けとなる。
獣がしゃは短い骨の尻尾をふりふりして、カニポイとは逆側に飛び降りた。
そうして改めて両の前足を桃色の胸へかけ、桃色の人の顔を覗き込むのだ。
寝転がる桃色の人が、カニポイと獣がしゃを両脇に抱えて、幸せそうに笑ってくれる。
「あれ?」
カニポイはでっかい頭を傾げる。
あれれ何だろう? 帰ってきた?
何だか分からないけれど、そんな気がする。
誰が? 自分が? なんで? どこから?
カニポイが?マークを浮かべながら、頭をぐりぐり一八〇度動かしていると、向かいで獣がしゃが口をパクパクさせていた。
多分、声は出なくても、何か尋ねているのだろう。
カニポイも同じ気持ちだった。
カニポイだけではなく、彼女の中に住まう小さな尻尾たちも一緒の気持ちだった。
その思いを代表して、カニポイは尋ねる。
「おまえだれー?」
(ここか? ここかなっ!?)
楽市が桃色キキュールさんの中で、こちらを見つめてくるカニポイを見つめ返す。
(ここな気がする、いやまだかな? もうちょっとタメるかっ!?)
楽市は何かのタイミングを、見計らっているらしい。
そのGOサインを出すかどうか、考えあぐねているようだ。
そんな躊躇する楽市がじれったくて、夕凪が勝手にGOサインを出した。
(よしっ! あーぎ、やってしまえっ!)
(はーい)
(えっ、ちょっと夕凪、勝手にっ!?)
楽市の戸惑いなど放っといて、姉の言いつけに素直な朱儀である。
(いーちゃ、いしさま、やーち、やっちち)
朱儀の特殊巫女言語に反応して、朱儀の頭の上で待機していた不定形の方々が動き始めた。
ぐにぐにしたスライムこと“石さま”たち二柱が、腰らしき部位を振る。
その一糸乱れぬふりふりが、石さまたちの御意志を、外でぼんやりしている同族亜種へと伝えるのだ。
もう良いぞ、あれを繋げるのじゃと――
神々の集う、特殊な心象空間。
その世界において、バーティス神の大カケラが戦いに破れたあとは、もう空から“太陽や月”が落ちてくる事は無かった。
しかし残された多くの“朝日や夕陽”が、それぞれに青空と夕焼けを纏いながら、満天の星空の中を這いまわっていた。
幻想的と言えば聞こえは良いが、かなり気味が悪い。
その様子はまるでヒノモトのゾウリムシが、プレパラートの中で泳ぎ回っているようだ。
そんな狂った夜空の事情など無頓着に、もう一柱の黒い大カケラが、あぐらをかいて黒い海に座り込んでいた。
頭からすっぽり、全身ラバースーツを着込んだような御姿は、表面に“黒き国つ神”が張り付いているからである。
そのお陰で、大カケラは正気を保てているのだ。
ボーリングピンのようなツルリとした頭の上では、敵を見失った無数のハチドリたちが旋回し、大きな光の輪を描いていた。
大カケラの手には己の頭ほどもある、桜色をした珠が抱えられている。
珠は大カケラの御体に生えた“♡マーク”を千切り、集めて重ねしつらえた宝珠だった。
大カケラにとっては、自分の一部と言って良い代物だ。
そこへ今一度、千切られた“黒い茎“が伸びてきて、大カケラが抱える真下から桜色の珠へ繋がろうとする。
大カケラが手を離すと、珠は茎に支えられてふわりと浮かんだ。
大カケラ本体と繋がった桜色の宝珠は、息を吹き返しその身に生気が宿る。
幾重にも重ねられた♡マークが張りを戻し、まるで花弁の如く開いていく。
それは昏き水面に咲く、妙なる一輪の花のようで――




