593 白い胸に黒い水着が良く映える。 柔らかそうな谷間から目が離せない。
天をも貫かんとする白き巨影。
針山城より出でし、バーティス神の大カケラ。
初代ダークエルフ女王の似姿で美しき巨神だったが、千の腕を持つ異形となり、今や見るも無残な不定形の肉塊と成り果てた。
それが闇の奥へと逃げていく。
もはや足とは思えぬ何かで海底を蹴り、無数に生えた腕のような何かで海面を搔く。
その一掻き一搔きが凄まじかった。
醜悪な姿と言っても、今もなおカニポイたちが芥子粒に見えるほどの巨神である。
一搔きすれば逆さの瀑布と見紛うほどの勢いで、海水が巻き上がり、辺りを雨と霧の世界に変えた。
何も見えやしない。
雨と霧に混じって巨大な魚が降ってくる。
恐らく海水と一緒に、搔き上げられたのだろう。
(えっ、えっ、ええええええっ!?)
角つきの中で楽市が事態の変化に付いていけず、ダンス途中のまま固まった。
逃げたっ!? なんでっ!?
楽市の頭の中で、?マークが幾つも飛び交う。
そんなフリーズしてしまう大人をほっといて、霧乃と夕凪がすぐさま獣耳を激しく動かす。
大カケラの起こす飛沫の音を捉えて、皆へ正確な方角と距離を心象で伝える。
パタタタタタタタタッ
(あいつ、3コに分かれて、にげてるぞ、らくーちっ!)
(でかいのに、早いっ! うーなぎたち、どれ、おいかけるっ!?)
(えっ、3個ってどういう事っ!?
どれを追いかけるって、言われてもっ!?)
楽市は無意味にステップを踏みながら、逃げていく方角を見て、カニポイを見て、赤ら顔の巨人を見た後に、真下に広がる霧を見た。
霧越しに、黒い海面が微かに見える。
楽市は数舜ためらった後、角つきへ指示を出す。
(がしゃっ、あたしたちの周りに結界をっ!)
*
シルバーミスト・ドラゴンは海水の雨と霧の中、全身に陽光ハチドリを張り付かせたまま、弱々しく夜空を羽ばたいていた。
未だ海に墜落してはいない。
しかし長い首は力なく項垂れて、その目は眠るように閉ざされていた。
周りを飛び交う、ハチドリの羽ばたきと鳴き声が煩わしい。
シルバーミストには追い払う気力も無かったが、通常の鳴き声の中に、ハチドリの悲鳴が混じり始めたことに気付く。
ぴりりりりりりーっ!
ぴりりっ、ぴりりーっ!
銀霧の巨龍は鋭敏な感覚で、何か大きな力場が近づいて来るのを感じた。
それが飛び交う異形のハチドリを跳ね飛ばし、悲鳴を上げさせているのだ。
その力にシルバーミスト自身も押し退けられるが、全長三十メドル(m)のドラゴンの質量は重く、体に張り付いた軽い陽光ハチドリたちから、弾き飛ばされていった。
「がしゃ今だよっ、結界を一度切ってっ!」
ハチドリの悲鳴に混じって、聞き覚えのある声がした。
「白龍お願いっ、こっちに手を伸ばしてっ!」
薄く目を開けると、目の前に黒い骨の手がこちらに向かって伸びている。
「手を伸ばして、白龍っ!」
その声に従うのは癪だが、かぎ爪の付いたドラゴンの腕を伸ばすと、ガシリとその手首を掴まれた。
「いいよがしゃっ、結界を戻してっ! 白龍もちゃんと入れてねっ!」
声を合図に白龍は、自分が大いなる力場に包まれて行くのを感じとる。
ここで白龍は、不覚にも気を失ってしまった。
あの癪に触る声を聞いて、思わず気を抜いてホッとしてしまったのだ。
白龍は意識が途切れる瞬間、自分を回収できて泣き笑いの顔をする、白狐を見た気がした。
「GURURU……」
フーリエ・ミノンは元の姿に戻り、カニポイの頭の上で座り込んでいた。
ちらりと周りを見れば、未だ無数のハチドリ共が襲いかかってくるが、それが悉く不可視の力場で弾き返されている。
「はあ……はあ……はあ……」
戦闘が終わって、なけなしの魔力で回復魔法を使ったが、やはり体内に残る“太陽熱”に阻害されて効き目がイマイチ。
今のフーリエは体力の消耗、魔力切れの魔力酔い、全身の傷の痛みに耐えながらむすっとしている。
そんなフーリエの前に、北の魔女がやってきた。
幼子たちを引き連れて、カニポイの赤い頭蓋骨をてくてくと歩いてくる。
始め見た全裸ではないが、それとあまり変わらぬような黒い水着姿だった。
フーリエは深くため息をつき、北の魔女を見つめる。
魔女は硬い表情でフーリエの前までくると、彼の前で膝を揃えて座り、深々と頭を下げた。
「何のまねだ?」
訝しむフーリエの前で、北の魔女がゆっくりと頭を上げ、膝で更ににじり寄ってくる。
膝と膝が付きそうなほど近づくと、フーリエの太腿にそっと手を置く。
フーリエはぴくりと方眉を上げて、渋い顔を作った。
「何をしている!?」
「ありがとう、あたし達と一緒に戦ってくれて……
今のあなたなら、これが効くでしょう?」
そう言って北の魔女は、掌からフーリエへ瘴気を流し込んだ。
掌を当てられた太腿から柔らかな温もりが広がり、全身の傷の痛みが噓のように引いていく。
「これはっ……」
フーリエが目を見張りまじまじと北の魔女を見つめると、魔女はすっと視線を外し、恥じらうように俯いてしまう。
銀の前髪でその表情は隠されたが、ちらりと見える桜色の唇が、何か言いたげに動いては閉ざされた。
「なんの……まね……だ?」
恥じらいだとっ!?
馬鹿なっ!?
フーリエは自分でも良く分からず焦り、更に問おうとするが言葉が出てこない。
全身に魔女の瘴気が回って、ぽかぽかしてきた。
急激に瞼が重くなってくる。
今のフーリエはまるで大浴場の湯船に、肩までじっくり浸かっているかのような心持ちだ。
じわりと骨まで染み入る、快感に包まれていた。
溶けて行きそうな意識の中で、我知らず魔女の胸元を見つめてしまう。
白い胸に、黒い水着が良く映える。
柔らかそうな谷間だった。顔を挟んだらどれほどの心持ちだろうか。
「こ……こんな魅惑で……
この俺が……どうなる……とでも……
思って……い……」
フー何とかが、まじまじと見つめてくるものだから、楽市は気まずくなって目を逸らした。
この男には感謝している。
本当に感謝しきれぬほど、感謝している。
それは噓ではない。
だが戦闘の最中だったので、この男の手伝ってくれる理由をまだハッキリと聞いていないのだ。
けれど何となく見当は付いていた。
物凄く嫌だが、察しは付いている。
それを自分から切り出したくないが、ここまで命がけで戦ってくれた男なのだ。
このフー何とかを無下にはできない。
何度か口をもごもごさせた後、こちらから切り出してみる。
「えっと、あれでしょ?
手伝ってくれたのは、ここには居ないもう一人。
あの女……じゃなくてあの人の為でしょ?
ここに居ないって事は、多分復活してないんでしょ?」
楽市は最後に見た、あの女の顔を思い浮かべる。
恐ろしく気が強そうな女で、もう二度と会いたくない。
「えっと、まあその……あれだよね。
やっぱり復活させたいのかなー? なんて……
あのー、他の人とか居ないかな?
えっとあの人が、駄目というわけじゃ無いんだよっ。
誤解しないでねっ。
あーえー、どうかなあ……他の人というか、別のひとー……
うん……えっと…………ん?」
もごもご煮え切らぬ楽市に、苛立ちの罵声一つも入れて来ないので、楽市がちらりと顔を上げて見ると……
こっくり こっくり こっくり こっくり
共に戦った勇敢な男は寝落ちして、気持ちよさげな船を漕いでいた――




