542 イース、勝手に一歩踏み出す。
ゆらりと降りてきた針金細工の大型魚は、胸びれをゆっくりと動かしその場にとどまる。
「これフーリエ・ミノンの、魚だよーっ!?」
イースが恐怖だか驚きだか分からない、素っ頓狂な声を上げた。
フーリエ・ミノンとは、SSR型ダークエルフ 六兄妹の一人。
その身に、フィアフレイム・ドラゴンの力を宿す男だ。
以前カニポイとフーリエが戦ったとき、駆け付けた楽市と一緒にイースたちも現場にいたのである。
シルミス(ドラゴン形態)の掌の上で、その戦闘を観察していたのだ。
イースは赤い霧の中で泳ぎ回る、その魚影をはっきりと覚えている。
イース、リールー、サンフィルドは、緊張で身を強張らせた。
巨大魚はその場にとどまったまま、何をする訳でもなくじっとこちらを見ている。
何を考えているのか、分からないのが恐ろしい。
だがイースたちもダークエルフなのだ。
同種族として、何を恐れる事があるだろうか?
しかしそんなものはタテマエで、やはり心穏やかではいられない。
ダークエルフにとって下級の者は、ゴミ同然に扱われるからだ。
「ねえ、サンフィルド。これ逃げたら不味いかな?」
「待てよ、上位種の使役する魚から、逃げるって不味くないか?」
「いつもなら、直ぐ逃げようって言うじゃないか」
「それとこれとは別だろうがっ。
何の理由で逃げるんだよ!? 後々面倒になるぞっ」
「そうだよねえ……」
「イース、サンフィルド、多分大丈夫。
もてあそんで、殺すなんて事は無いみたい。
するなら、もうとっくにやって――」
リールーが言い終わらぬうちに、魔法陣魚の胸びれが解けてするすると伸び、リールーへ巻き付き始めた。
「あっ」
リールーの手首ほどもある太い針金が、飴細工のように曲がり彼女を拘束する。
同時にイースとサンフィルドも、おんぶ状態のままで一緒くたにぐるぐる巻きだ。
「うわっ、意外と冷たいっ」
「イースっ、それ今言う感想かっ!?」
ワイヤーフィッシュは三人を拘束すると、尾びれをしならせ槍が降る中を泳いでいった。
飛び交う大槍を全く気にしていない。
当たりそうになると、最小限の動きでかわしていく。
何とか逃げようと動くサンフィルドを背中に感じながら、イースはリールーに尋ねた。
「リールーっ。
君が聞く泣き声って、どっちの方角だっけっ!?」
リールーは真剣な表情で、イースを見つめる。
「こっちよっ、この魚が向かう方向っ!」
「へー、ふーん……
何だろうね? 面白いっ」
「イースどういう事だっ!?
リールーの聞く泣き声って、それフーリエ・ミノンなのかよっ!?」
「う~ん……どうなんだろう?
あのフーリエ・ミノンが泣くってのが、あんまり想像できないんだけど……
あとサンフィルド、あんまりもぞもぞしないでよ。
背中に色々と当たるから」
イースは運ばれながら、辺りをきょろきょろと見回す。
すると同じく空を泳ぐ、ワイヤーフィッシュの別個体が見えた。
右に一体、左に二体。
皆、同じ方向に泳いでいく。
ワイヤーフィッシュはそれぞれ胸びれの針金で、何かを大事そうに運んでいた。
良く見れば、それはモスマンの千切れた手足や胴体。
千切れた部分からは、まだ赤い血がぽたぽたと滴っている。
一体何のつもりで、そんなものを運んでいるのか?
イースが訝しんでいると、イースたちを運んでいた魚の高度が下がっていく。
どうやら目的地へ着いたらしい。
イースはその場を見て、眉をひそめた。
とある山の峰に、大量のモスマンの死体が堆く積み重なっていたのだ。
重ねられた死体からは油を搾るように、血がじくじくと染み出し、峰の岩肌を赤く染めていた。
あまりそこへ降りるなど気乗りしないが、魚はお構いなく降りていく。
ワイヤーフィッシュは無理やり連れてきた割に、その扱いが丁寧だった。
ゆっくりと山頂へ降ろしてくれる。
イースたちの足が山頂へ着くと、巻き付けていたワイヤーを解いた。
そしてイースは見る。
山頂に座り込みうな垂れる、赤い男の背中を――
「お前らもういい……
余計なもんばっか、運んでくんじゃねえよっ」
その背中が不貞腐れたように、魚へ文句を言っている。
イース、リールー、サンフィルドは、無言で目配せした。
長い付き合いだ。
目を合わせただけで、お互い何を言いたいか分かる。
(リールー、サンフィルド、あれフーリエ・ミノンだよっ)
(そうみたいね)
(何でこんな所に、いんだよっ)
さてどうするか?
イースがその背中に何と声をかけるべきか迷っていると、不意に向こうが振り向いた。
イースのダークレッドの瞳と、フーリエのサンライトイエローの瞳がばっちり合ってしまう。
「ん?」
「あーえっと……お邪魔しております……」
「誰だお前ら? 何しに来た?」
「あっ、いえ来たと言いますか、連れて来られたと言いますか……」
フーリエはちらりと、その場に浮遊するワイヤーフィッシュを見て顔をしかめる。
「ちっ、お前らなんかに用はねえよ。
目障りだ、とっとと消えろっ」
フーリエはそう言って、羽虫を追い払うように手を振った。
なるほど、とっとと消えろ。
なんて素晴らしい、お言葉だろう。
それを聞いたサンフィルドは、目をキラキラと輝かせてしまう。
だがしかし――
そう言われて引き下がる、イースではなかった。
なぜなら、イースの好奇心がまだ満たされて無いからだ。
好奇心は、ヒノモトの猫をも殺す。
イースは己の欲を満たすため、勝手に死地へと一歩踏み出す。
「あのー……」
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