492 親愛の証として頬をこすり付け合う。 その頃、遠く離れた渓谷にて――
楽市は唸りながら、小首を傾げたり頷いたり。
「でも数百、数百かあ……
良い方なのかなあ? う~ん……」
「ラクーチ様?」
「モスマンってさ、多分一〇〇〇〇体近くいたと思うんだよね。
その中の数百だから、少ない方だと思う。
でもここから増えるかもしれないしなあ……う~ん。
全部は来ない。全部はないと思うんだよ」
「そうなんですか?」
「ほら上空で戦ったでしょ?
そしてモスマンの死体が、あちこちに落ちていった。
その落ちた位置が、大切になってくると思う。
がしゃたちが通った渓谷から遠かったら、そのまま復活しないと思うんだよ。
これさ、豆福の森の範囲がいまいち良く分かってないから、はっきりと言えないんだけど……」
「森の範囲……」
楽市の困り顔につられて、首だけのヤークトも難しい顔となる。
そんなヤークトの前で楽市はぺたんと正座し、豆福の背中を見守りながら話を続けた。
「がしゃの触れた箇所や通った道に、豆福の森は走る。
でも点々と空から落ちた死体は、道からの繋がりが切れてるから復活はしない……
と思いたいーっ。
多分、国つ神様の周りにいるモスマンは、渓谷に落ちたモスマン。
だと思う……
多分……
そうだと良いなあ……うっ」
自分の願望が入り混じる推測は、どうにも見通しが甘くなってしまう。
楽市は自分で言いながら自覚しているようで、段々と声が小さくなっていった。
正座で腕を組み、ヒノモトの将棋指しのように重々しく唸る。
「む゛~っ」
次の一手を、迷いに迷った。
豆福の森はモスマンをどかすなりして、本来ならしっかりと下準備してから呼び出すべきだった。
なぜそれが出来なかったかと言えば、楽市の体が後先考えずに動いちゃったからだ。
「……でもでもっ。
モスマンが国つ神様の前で大人しいのは、やっぱり北の森の住人になったからだよねっ。
そこ大事っ、うんうんっ。
ただ……あの女、がねえ……」
その言い回しにヤークトもピンときて、楽市を見上げる。
「あの女とは、あの女のことですか?」
「そうそうっ」
楽市は一度だけ顔を突き合せた、最後の瞬間を思い出す。
深紅の瞳をギラギラとさせて、吠えていた蛾の女王。
よほど悔しかったのか、歯ぎしりしながら口の端から血を流していた。
「ほんのちょっとの時間だったけど、はっきりと感じたよ。
あれは、すっごいタチが悪いと思う……」
あの女が復活して北の森の住人になったからと言って、大人しくしている姿が楽市には想像できなかった。
「もし復活していたら国つ神様の瘴気に気づいて、真っ先にくると思うんだよねえ。
それがこないって事は、がしゃの道から離れて落ちたってことだと思う……
そうだよね……そうなのかな? そうだと良いのにっ。
く~っ……」
「あっ、それは大丈夫ですラクーチ様」
「えっ!?」
「あたし、落ちる所を千里眼で視ていましたので」
「あっ!」
「落下した場所は、渓谷からかなり離れておりました」
「あーっ、そっか、ヤークトーっ!」
楽市は思わずタックルして、ヤークトの頭に抱きついた。
「ヤークトありがとうっ、そっか、そうだよねっ!」
「ぶふっ……はいっ」
何たるご褒美っ。
一瞬タックルで首が逝きかけたが、ヤークトの頭は今、楽市の匂いに 三六〇度包まれていた。
顔には楽市の胸が押し付けられ、頭の上には楽市の顎。
左右後方も腕を回され、どこを見ても楽市だらけだ。
ヤークトは首から下が見えないのを良いことに、思い切り尻尾を振っていた。
まさにご褒美、至福の時っ。
しかしそこへ、パーナが乱入する。
「ラクーチ様ーっ!」
勢い良く飛び出たパーナの頭が、ヤークトの顎へクリーンヒット。
GON!!
「うぐっ!」「うぎっ!」「ぐへっ!」
パーナの脳天がヤークトの顎へアッパーを繰り出し、弾かれたヤークトの頭が楽市の顎へ直撃した。
玉突き事故を起こしたパーナは、痛みをこらえて涙目になりながら謝る。
「すみませんっ、ラクーチ様~っ!
ヤークトの横にでるつもりが~っ!?」
パーナは心象内の空間把握が、まだ上手くできないようだ。
楽市は顎をさすりつつ、横倒れのまま微笑む。
「大丈夫……みんな最初はそうだから……
それよりパーナも偵察をありがとうっ。
向こうはどうだった?」
パーナにも千里眼で、カニポイの偵察を頼んでおいたのだ。
パーナはヤークトにも謝りながら、千里眼で視てきた事を報告する。
楽市は話を一通り聞き終わり、座り直して顔をゴシゴシこすった。
「う~ふ……」
ヤークトが、楽市を見上げて尋ねる。
「いかが致しましょう。
待機させていたガシャドクロたちを、こちらへ呼びますか?」
楽市はモスマンの事を考え、国つ神様の下にがしゃ髑髏一〇〇体以上を残してきたのだ。
しかしモスマンの脅威が無いとなると、話は別である。
その戦力を、城攻めへ回すのはどうかとヤークトは聞いていた。
現在カニポイに付けているのは、がしゃと幽鬼の計 一〇体。
巨大な城を落とすには、心もとないと言える。
ここは戦力を集中させて、城を攻めるべきだろう。
しかし――
楽市はゆっくりと頭をふった。
「確かに、その方が良いんだけれど……
幽鬼がさ、帝都の南半分を殺したって知ったとき、あの子すっごくガッカリしたでしょ?
やっぱりそうなっちゃうんだよ。
多分、ただ城を落とすだけじゃ駄目なんだと思う。
あの子とあの子の中にいる子供たちに、しっかりと復讐させなきゃ。
恨みをその手で、晴らさせないといけない……」
楽市は寝そべって、パーナとヤークトへ顔を近づけた。
「パーナ、ヤークト、すっごく大変かもしれないけど、がしゃ髑髏たちはこっちに呼ばない。
あの子の手で、しっかりと城を潰させたいから。
そのためにあたしたちは、全力であの子を手助けするっ。
どうかな?」
先ほどまで自信なさげだった楽市が、真剣に二人を見つめてくる。
パーナとヤークトは、その金色の瞳にしばらく見とれて微笑んだ。
楽市が成すべきことを決めたのなら、パーナとヤークトはそのお役に立つべく全力で支えるのみ。
「やりましょうラクーチ様っ、パーナは何処までも付いて行きますっ」
「このヤークト、とことんお手伝いさせて頂きます。
あの子たちに、復讐の喜びをっ」
「ありがとう、パーナ、ヤークトっ」
主と従者の三人で親愛の情として頬をこすり付け合っていると、後ろから幼子の勝利宣言が聞こえてきた。
「きーーたーーっ!!」
*
遠く離れた渓谷にて――
崖のフチに墜落したモスマンから、大量の血液が岩肌を伝い、谷底へ流れ落ちていた。
谷底まで流れ着くと、北の森が血流を伝って逆に岩肌を登っていく。
北の森は頂上までたどり着くと、モスマンの死骸を苗床とした。
数メドル先に、瘴気に侵された千切れた羽がある。
北の森はその程度の距離なら、じりじりと這い進み繋がることができた。
そこからまた数メドルさきに、千切れた足。
足から流れる血は、他のモスマンの死骸まで繋がっていた。
豆福から呼ばれた“北の森”は、飛び石をゆっくりと渡るように、モスマンの残骸をじりじりと伝っていく。
じりじりじりじりじりじりじりじりじりじり……




