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487 我らが将よ。その凶悪なる力を、あの棘山にて存分に振るわれるが良い。


霧乃たちを「ほどほどに」とたしなめつつ、楽市もしっかりと巨人の舌に味覚をリンクさせていた。

子供たちに呆れながらも、ペロリ。


甘みが強く適度な酸味もあって、まるで果実を煮詰めたジャムのようだ。

どうして毒がこのような味となるのか不思議だが、カニポイへの小細工で知恵熱が出そうな楽市には有難かった。


甘みが、頭の疲労を癒してくれる。

ペロペロペロペロ。


(でも何だろうこの味? 何かに似ているかも。

あ、苺かな? 

いやでも……山桃の風味もあるような。

桑の実かな? 山葡萄は違うか……

サルナシに、ツツジの蜜を掛けたような……)


疲れたときは、どうでも良いことを無性に考えたくなる。

楽市が無駄に味の例えへ拘っていると、霧乃が楽市の袖を引っ張った。


(らくーち、黒いのきたっ、あれかっ!?)

(あっ、そうそう、幽鬼たちきたっ)


正面の南方から帝都を覆うように、黒い霧が広がっていく。

瞬く間にカニポイの作り出した赤い街並みまで達すると、霧の進行はそこでピタリと止まる。


霧は巨大幽鬼が変化した姿であり、意思を持っていた。

カニポイが立ち昇る黒い霧に驚いていると、その一角が頭をもたげて半透明となり、一体の幽鬼の姿となる。


カニポイは眼前で浮遊する幽鬼を見て、思い切り首をかしげた。

首が短いので、体ごと左に傾いている。


事情が全く分からず、困惑しているのだろう。

それでもクルリと首を回して、後方の楽市を見た。

いつまでも見つめる。


顔が骨なので、表情は分からない。

しかし態度が、

どうせお前なのだろう? 何の真似だらくーちー? と言っていた。


楽市は目を細めて、朱儀へ指示をだす。


(朱儀、がしゃの手を胸の前で組ませて。

何かこう、祈ってる感じでっ)


(はーい)


そうしておいて巨人の足下から、瘴気の帯をコッソリと伸ばす。

カニポイに悟られないよう家々の影を走らせ、幽鬼たちの黒い霧へ繋げた。


(うん良いね、ここからは雰囲気作りが大事っ)

楽市はカニポイを見つめながら、幽鬼たちへ指示をだす。




いつまでも楽市を見つめるカニポイの腹を、幽鬼が半透明の指でつついた。

カニポイがびくっとし、小さな方の手でお腹をさすりながら、ぐるりんと前を向く。


「なに」


幽鬼はカニポイへ頷くと、目深に被っていたローブのフードを降ろす。

いつもは瘦せぎすで枯れ木のような幽鬼だが、今は違う。


滑らかな肌を持つ端正な顔立ちが、フードの下から現れた。

こんな時はガリガリより、見目麗しい男に限る。


これは楽市の指示だった。幽鬼に見た目を変えさせたのだ。

アンデッドのカニポイに、効果があるかは分からない。


しかし小細工のリアリティは、拘ってこそという所がある。

美青年の頭の上で、獣耳がパタパタと動いていた。


「あ、おまえー」


カニポイが獣耳を指差すと幽鬼は悲しげに頷き、憂いある瞳でカニポイの小さな手を、両手で包み込むように握る。

言葉を交わさずとも、その意味は伝わってくれるだろう。


私も獣人なのですと――


ここまで、楽市の指示の賜物である。

幽鬼自身は悲しくもないし、何とも思ってない。


なので楽市が「はいそこで悲しい顔っ」とか、「優しく手を握って」とか、事細かに心象を通して演技指導していた。

その後も、楽市の演技指導は続く。


幽鬼はカニポイの小さな手をそっと広げると、彼女の手の平にダークエルフの死体を幾つか乗せる。

皆、壮年を越えた男の死体だった。

この者たちだけ特別に苦痛を持って殺し、特に酷い死に顔を浮かべさせてある。


「ころしたー?」


幽鬼はカニポイの問いに力強くうなずくと、自分と一緒にやってきた黒い霧を、紹介するように両手を大きく広げた。


ここより南。

黒い霧に覆われた領域は、我ら幽鬼が皆殺しにした――


幽鬼はカニポイの前で、何かを強く砕くような仕草をする。

両手を強く捻るようにして揉み合わせ、最後に手の内で砕いた命をばら蒔いたかのように、両の指先をひらひらとさせた。


これをもって、帝都に住まうダークエルフの殲滅完了である。


「えー!?」


カニポイは思わず、不満の声を漏らしてしまった。

皆殺し完了は喜ぶべき事柄だろう。しかし素直に喜べないっ。


それが、積年の恨みと言うもの。

やはり自分の手で復讐を果たさなければ、実感が湧かないのだ。


「なんでー!?」


突然のことで拍子抜けするカニポイの手を、幽鬼は再び優しく握った。

幽鬼は微笑みながら、不平を漏らす騎上の(カニポイ)の手をゆっくりと引いていく。


それに合わせて姫を乗せる獣がしゃが、一歩二歩と前へ進む。

幽鬼のエスコートする騎上の姫が、赤い街と黒い霧の境界へ差しかかったとき、後方で楽市が他の幽鬼へ激しくGOサインを出していた。


(今ーっ! 早く、早くっ! 

ちゃんと揃えてねっ、綺麗にねっ!)



その瞬間、カニポイの眼前で世界が開けた。

霧の大海原が、左右へ真っ二つに割れていく。


視界をふさぐ霧が晴れて、遠方まで一気に見渡せた。

それはどこまでも真っ直ぐに伸びる、黒い霧の回廊。


まだ踏み荒らされていない、まっさらな石の街並みが、高い霧の壁に挟まれて細く一直線に続いている。

夏の空も、霧の壁に細く切り取られて真っ直ぐだ。


そして霧の回廊の先には、カニポイを迎え打つように、ダークエルフの精神を具現化したような針山が見えた。

巨城“マージュ・ディタニオン”である。


「ふあ」


カニポイは思わず声を漏らした。

楽市はカニポイをエスコートする幽鬼を介して、幽鬼に成りすましカニポイへ心象を送る。


それは言葉を介さないイメージの塊だが、しいて言葉に置き換えれば――


(我らが、がしゃ軍団の将よ。

あなたのために、余計な雑魚は片付けておきました。


あなたがその憎悪でもって復讐を成すべき相手は、あの目の前にそびえる岩の(とげ)にいます。

あそこにダークエルフの貴族たちが、みっちりと詰まっているのです。


我らが将よ。

その凶悪なる力を、あの棘山にて存分に振るわれるが良い。

どうかご武運をっ!)





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