381 ねえシルミス、あなたが一々釣られないでくれる? なっ、にーっ!?
ヴァーミリヤは泣き止まぬ赤子をあやすため、立ち上がり赤子を優しくゆすり始める。
ヴァーミリヤの大きな瞳には、涙がにじんでいるものの、もう溢れることはなかった。
代わりに赤子の目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
「ヴァーミリア様、びっくりさせてしまいました。
ごめんなさいっ」
(泣き止まぬ自分を、自分であやして自分に謝る。
器用なものだな)
シルミスが率直な感想を述べていると、リールーがスッと立ち上がり、テーブルを回り込んだ。
「ヴァーミリヤ、ちょっと代わってくれる?」
「え?」
「うんうん、よしよし、もう怖くないぞー」
リールーはヴァーミリヤより僅かにゆするテンポを早くし、赤子のお腹に自分の手を当てた。
すると大泣きしていた赤子が、泣き止み始め、再び静かな寝息を立て始める。
「うん、いい子いい子」
リールーの手際の良さを、ヴァーミリヤが目を丸くして見つめた。
(上手いじゃないか、リールーっ)
シルミスも感心すると、リールーがまんざらでもない顔をする。
(ふふふ……あたしこれでも、毎日イースを抱っこしてあやしてたんだからね。
ゆする早さは、歩くリズムと同じにするといいの。
母親のお腹の中で、揺られていた感じを再現するわけ。
それとお腹に手を当ててあげると、温かくて気持ちがいいのよ)
(おおっ)
リールーは赤子をゆすりながら、ヴァーミリヤに声をかける。
視線は、赤子に残したままだ。
「ねえヴァーミリヤ。
いま山脈のシルバーミスト・ドラゴンが、北の魔女と手を組んでいるのは知っているかしら?」
リールーのあやす手を見つめていたヴァーミリヤは、突然の質問に戸惑ってしまう。
「え? あ、はい。
ヴァーミリア様が、北の魔女の資料をご覧になっておりましたから」
「そのドラゴンたちはね、いま北のベイルフの都市を中核として、新しいダークエルフの国を造ろうとしているの」
「えっ、国? ですか!?」
「そう……ドラゴンたちは気が付いたの。
ダークエルフによって、自分たちの大切な記憶が奪われた事を……
当然ドラゴンたちは、ダークエルフを恨んだわ。
でも私たちの全てを、恨み切れなかった」
「え!?」
ヴァーミリヤは困惑してしまう。
リールーは、一体なぜそんな話をするのか?
「ドラゴンたちは、大切なものを奪われたと知った今も、あたしたちダークエルフを大切に思ってくれているのよ。
そして出した結論が、ダークエルフの帝国とは全く別の国を作ること。
そこには自分たちの記憶を消した、建国世代のダークエルフは含めない。
その世代だけは、どうしても許せないから」
そこで言葉を区切り、リールーは顔を上げた。
ヴァーミリヤの黒い瞳をジッと見つめる。
「はい、赤ちゃんを返すわね」
「あっ、ありがとうございます」
リールーは赤子を抱くヴァーミリヤを見つめながら、ふと思い出したかのように笑う。
「あたしの知っているシルバーミスト・ドラゴンは、初め記憶が消えたぐらい何だって顔をしていたわ。
けれど後からジワジワ効いてきたみたいで、今頃になって物凄く落ち込んでいるの。
でもね、普段はそういう様子を周りに見せないの。
カッコ付けているのよ。
やせ我慢してるの、ふふふ……
ねえ、大きなドラゴンがやせ我慢してるって、ちょっと可愛いと思わない?」
思わない?と聞かれても、ヴァーミリヤはどう答えて良いか分からず、一つ目をパチクリとさせた。
漆黒の瞳の中で、金色の星が揺れる。
「聞いてヴァーミリヤ。
そんなドラゴンたちが今、ダークエルフの国を造ろうとしているの。
でもドラゴンには、ダークエルフの習慣がほとんど分からないのよ。
種族が違いすぎて良く分からず、戸惑っているわ。
だからヴァーミリヤ。
あなたがドラゴンを、手伝ってあげてくれない?」
「えっ!?」
リールーは、ヴァーミリヤへ熱い眼差しを送る。
「まだ遅くないわっ。
まだ何も終わってないっ。
ヴァーミリヤ、どこにも場所がないなら、あたしたちで造ればいいっ」
ここからリールーは、意識的にヴァーミリヤをあなたと呼んだ。
ヴァーミリヤの抱く赤子へと、届くように。
「あなたはまだ終わってない。
あなたは全てを失った訳じゃないわ。
あたしたちと一緒に、もう一度場所を造れば良いのよっ。
お願い、あなたの力を貸して欲しいっ。
あたしもドラゴンを手伝っているけれど、たかが一四五歳のダークエルフじゃ、建国について色々と分からないことがあるの。
だからあなたの、一〇〇〇〇年以上生きた経験と知識を、新しい国造りに貸して欲しいのっ。
あたしはそのために、ここへ来たのよっ」
「……リールーさん」
リールーの熱い眼差しを受けて、ヴァーミリヤの瞳が瞬く。
視線を泳がせて逡巡する。
突然の提案で、どう答えて良いのか分からないのだろう。
リールーはヴァーミリヤを急かす事なく、ゆっくりと答えを待った。
その間に、またドラゴンの女が、リールーの釣り針に一本釣りされてしまう。
リールーの内側から、歓喜の声が響いた。
心の甲板の上で、ピチピチと跳ねている。
(おおっ、リールーお前というやつはっ!
私は今、激しく感動しているぞっ。
お前は我々のために、ここへ来てくれたのかっ!)
(え? そんな訳ないでしょ。
今思いついて、言っているだけよ。
ねえシルミス、あなたが一々釣られないでくれる?)
(なっ、にーっ!?)
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