377 ヴァーミリアと、ヴァーミリヤ。
「ねえ聞いてる? 死んでるとこ悪いんだけど、起きてくれない?」
気持ちよく眠っていた顔が、頬をくすぐられてフニャリと歪み、力なく泣き始めた。
「えっ、ちょっと待ってっ。
まさかもう赤ちゃんだから、喋れないとかじゃないでしょうねっ。
赤ちゃんの真似とか、止めて欲しいんだけどっ」
赤子の泣き声が、抗議するリールーの声へ被せるように大きくなっていく。
「うわー、本気で泣いてる」
(おいリールー、これは本当に赤子へ戻ったのでは!?)
「えー、そんなはずは……」
リールーが泣き止まぬ赤子に困惑していると、赤子を抱いていた女の“一つ目”が、パチクリと瞬きを始めた。
たった今起きたかのように顔をあげ、辺りをキョロキョロ見回し始めた。
レッサーサイクロプス種である彼女は、リールーと目が合うと、その大きな瞳をジト目にする。
「やめて頂けますかっ。
ヴァーミリア様を起こさないで下さい」
「うわ、喋ったっ」
(リールー、ひょっとしてこっちが本体か!?)
「あたし間違ってたの?
でもこっちの女は、レッサーサイクロプスなんだけどっ」
リールーにとって、一つ目の種族は珍しいものではない。
帝都に多く住む、他種族の一つに過ぎなかった。
一目見てすぐ分かる単眼。
そして抱いているのは、ダークエルフの赤子。
どう見ても臨死者は赤ん坊の方だと、リールーは思ったのだ。
なにせ精神潜航した相手が、元ダークエルフの赤い女なのだから。
リールーは未だ信じられぬといった顔で、サイクロプスの女を見つめた。
「あなたの方が、本体の恐炎妖精なの!?」
抱かれた赤子が“恐炎妖精”という言葉に反応して、火が付いたように泣き始める。
レッサーサイクロプスの女が、慌ててリールーを制した。
「やめてくださいっ。
ヴァーミリア様に、その言葉を聞かせるのはっ」
「え?」
(おいリールーなんだこの女は、やはり赤子が本体か!?)
「う~ん……これって、忌避なのかな?」
(忌避?)
リールーは後ずさり、刺激せぬよう距離を置く。
そのまま、壁側に置かれたソファーへ腰かける。
クッションの心地よい反発が、お尻にしっかりと帰ってきた。
リールーは背もたれに寄りかからず、前のめりで女を見つめる。
レッサーサイクロプスの若い娘だ。
藍色の長い髪を、邪魔にならないようアップにしている。
その特徴的な黒い一つ目には、濡れたようなトロリとした光沢があった。
「ねえ、あたしの名前はリールー。
あなた名前はあるの? あるなら聞いていいかしら?」
彼女は質問に答えようとせず、赤子をあやし続ける。
「あーよしよし、ヴァーミリア様大丈夫でちゅよ~」
「ねえ、ちょっと聞いてるの?」
「ヴァーミリア様、もう怖くない、怖くないでちゅよ~」
「…………恐炎」ボソッ
「やめてくださいっ」キリッ
女がリールーの言葉を遮るため、大きな一つ目で睨み付けてきた。
綺麗な瞳だなと、リールーは場違いに思う。
瞬きするたびに、金の粒子が黒い瞳の中でキラキラと舞うのだ。
レッサーサイクロプス特有の、美しい瞳。
リールーは優しく見つめ返して、小首を傾げた。
手の平を上にして、さあどうぞ、あなたの名前はと仕草でうながす。
「……私はこのお屋敷に、帝都留学でお世話になっている、レッサーサイクロプスのヴァーミリヤです」
「ヴァーミリヤ? ヴァーミリアではなくて?」
「ヴァーミリヤですっ」
「そうなんだ……」
(おいリールーどういう事だ? 帝都留学だと?)
(シルミス、あたしの心の声聞こえる?)
(ああ聞こえるぞ、話せっ)
(ダークエルフってさ、大概なにか嫌なことがあると、自分のせいじゃない、自分の事じゃないって考えがちなの。
それが様々な形で、精神潜航した心象世界に反映されたりする事があるの。
忌避抗体って言うんだけど)
(この一つ目の女は、恐炎妖精の忌避抗体だというのか?)
(多分ね……本体を守ろうとしている)
リールーは小首を傾げ、ヴァーミリヤに微笑みかける。
「ねえ、ヴァーミリヤ。
あなたはヴァーミリアの一体何なの?」
ヴァーミリヤは聞かれて、スッと遠い目をする。
しかしそれも一瞬で、直ぐにリールーへ微笑み返した。
「ヴァーミリア様って、とっても可愛いんですよ。
ですから学校が終わった後や、勉強の合間に、いつも抱かせてもらっています。
ヴァーミリア様は、私の丸くて大きな瞳が大好きなんです。
いつも私の目を見て、笑ってくれるんです。
もうそれが可愛くて、可愛くてっ」
「そうなんだ……あなたの瞳、本当に綺麗だものね」
そう言われてヴァーミリヤは恥ずかしがり、リールーは大きくうなずく。
(おいリールー、何を笑い合っているっ)
(シルミス聞いて。
このヴァーミリヤは、多分あたしが潜り込んでから生まれた“忌避抗体”だと思う。
完全に一から作り上げた虚構かもしれないけど、ひょっとしたら過去、本当にいた人物なのかもね。
赤ちゃんのころが大昔過ぎて、名前がちょっと適当っぽいけど。
そして当の本人は全く喋れない赤子で、恐炎妖精という言葉を凄く嫌がる。
よほど恐炎妖精になったことが、嫌だったみたい。
でも彼女だって元ダークエルフなんだし、こんな分かりやすく拒否の感情を出すなんて、ちょっと意外だわ。
ベイルフのハンレ様は、一度死んでスッキリしたとか言っていたけど、死ぬと一回リセットでもされるのかしら?)
(私に聞くな。分かるわけないだろう)
(こういう時は、あたしが頭を整理したいだけなんだから、ただ頷いてくれれば良いのっ。
イースなら、いつもそうしてくれるわ)
(ぐぬぬ……そうか)
(シルミスそうそれっ)
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