364 千里眼の乙女たちは時間を合わせると、楽市の命を実行するため、張り切ってゴロ寝した。
血糊の沼――
その近くを流れる、フリンシルの大河。
深夜のため見えづらいが、河の流れは復活者の洗い落とす血糊で、真っ赤に染まっていた。
その河原に、楽市が立っている。
パーナ、ヤークト、松永が、骨の手の平から、角つきの頭蓋へ乗り込んで行くのを確認すると、楽市はシノへ振り返った。
見送りはシノ一人だ。
キキュールや他の獣娘たちは、復活者の面倒でテンヤワンヤだった。
「それじゃ行ってきます、シノさん」
「まだ、襲撃前だと良いのですが……
ラク殿もし戦闘が始まっていたら、相手はダークエルフの道から外れた者たちです。
充分にお気を付け下さい」
シノはそこで視線を下げ、楽市の腹部を見つめた。
「チヒロラを頼みます」
「あの……シノさん……」
楽市は自分のお腹に触れて、すまなそうな顔をする。
チヒロラは楽市の眷族であるが、シノの大切な娘と呼ぶべき幼子なのだ。
楽市はそのチヒロラを、道から外れた者たちとの最前線へ連れていくことになる。
「ラク殿、良いのです。
これは、チヒロラが望んだことですから。
今更ですが、それを言うならば、キリ君たちも同じことでは?」
「うっ、うぐ……そうなんですけど」
「ふふ……意地悪な質問でしたかな?
大丈夫、理解しておりますよ。
キリ君たちはまだ幼い。
ですが神位の高い山脈ドラゴンを、大量殺戮する幼女など、世の理の外ですよ。
そしてそれは、チヒロラもまた同じ事。
ふむ……
確か“アヤシ”は、見かけによらないもの。でしたかな?」
「あはは」
「ラク殿。
私はチヒロラを、大切に考えております。
しかしそれ以前に、チヒロラはラク殿の眷族なのです。
ここ最近チヒロラの中で、急速にその認識が強まっているようです。
私が止めても、ラク殿を追いかけて行くでしょうな」
「すみませんっ」
「確かに心配していないと言ったら、噓になります。
ですが意外と、楽観もしているのですよ。
端的に言えばラク殿が消滅しない限り、チヒロラもまた消滅しない。
ラク殿の“タタリ”がある限り、チヒロラは眷族として、何度でも復活すると考えています」
シノはせせらぎに耳を傾け、復活者の血で赤く染まる、大河を見つめる。
「だからですラク殿。
私に引け目を感じてくれるならば、あなたが消滅せず、必ず帰ってきて下さい」
「……ありがとうございます。
分かりました必ず帰ってきますっ」
楽市は強くうなずき頭を下げると、狐火となって角つきへ乗り込んでいった。
上空でドラゴン形態の白龍が、巨大な転移門を開く。
空間に穿たれる、直径一六〇メートルの大穴だ。
穴のフチでは病的な紫色の火花が散り、闇夜に真円を浮かび上がらせる。
白龍は両手でお椀を作り、その上にイース、リールー、サンフィルドを乗せていた。
彼女の他にもう一体、シルバーミスト・ドラゴンが付いて行く。
楽市の乗る角つきが、骨の翼を広げて飛びあがった。
その後ろから星への眼差しの七兄弟が、宙を泳ぎ付き従う。
魚型がしゃの兄弟たちは、がしゃの運搬用に連れて行くのだ。
巨獣たちは次々と、白龍の開けた大穴をくぐっていく。
転移した先も全くの時差がなく、山々が続く真夜中の大森林だ。
さて、ドラゴンの山脈を越えて南へと転移したが、ここからは探りながらとなる。
霧乃、夕凪、朱儀の三人は、がしゃの大集団がいると伝えたが、具体的に距離を聞かれると、揃って首をひねった。
幼女たちは主張する。
そんなもの、分かるはずが無いではないかっ。
火の玉でずっと飛んで、ずっと南のどこかであると。
楽市が角つきの眼窩から身を乗り出し、辺りをうかがった。
「もっと南かな?」
楽市が首をかしげたその時、付き従っていた七兄弟が突然ビクンと跳ねた。
そうかと思えば身をくねらせ、角つきの両側をすり抜けて、南へぶっ飛んでいく。
七兄弟は競うように飛び去り、あっという間に闇夜へ消えてしまった。
兄弟の起こした突風が、楽市の銀髪を巻き上げる。
「ぶっはっ、何々なにっ!?」
楽市は七兄弟が消えた方角へ、金色の目を凝らす。
すると分かりづらいが、遠くの稜線が微かに赤く色づいていた。
「山……火事?」
それにしては、色が少し変だ。
炎の赤より、もっと深く暗いような……
楽市は振り返り、可愛い従者たちを見る。
「パーナ、ヤークトお願いっ」
「かしこまりました。ラクーチ様っ!」
「お任せください、ラクーチ様っ!」
指示を受けた二人は、キラキラと目を輝かせてしまう。
「ヤークト、五ミルでっ」
「分かった、五ミルっ」
千里眼の乙女たちは時間を合わせると、楽市の命を実行するため、張り切ってゴロ寝した。
待つこと五ミル(分)。
パーナとヤークトは飛び起きて、主へ報告する。
「ラクーチ様っ、ここから六十キリルメドル(キロ)先で、大規模な森林火災が起きていますっ」
「ですがその火災を、正体不明の紅い霧が覆いつくして、見えづらくしていました。
ハッキリとは分かりませんが、恐らくそこが、ガシャたちのいる場所かとっ」
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