343 チヒロラが変な言葉を覚える。らくんちー
しゅる、しゅる、しゅる
血糊の沼に、黒いつむじ風が立つ。
かぼそい螺旋は次第に太くなり、その勢いを増していった。
充分に太くなったのち、つむじ風がパンッと勢い良く弾ける。
破裂音は、直径二メートルほどの空間が別の地より転移し、転移先の空間を四方へ押しのける音だ。
弾けた音とともに、一瞬でキキュールがその場へ立っていた。
一人ではない。
パーナ、ヤークト、クローサ、ヤルナ、イオ、サバルの六人が、キキュールにしがみついている。
一緒にベイルフ南地区より、戻ってきたのだ。
空間を押しのけた際、楽市が吹き飛ばされたらしく、ひっくり返っているが見なかった事にしよう。
キキュールは、シノへ抱かれたチヒロラにすぐ気付いた。
「チヒロラ、帰ってきていたのか」
キキュールの言葉に続き、乙女たちがチヒロラにお帰りなさいと声をかけてくれる。
「キキュールさん、皆さんただいまですー。うひひひひひっ」
「チヒロラ、何だその笑いは?」
キキュールは、チヒロラの奇声に首をかしげながら、辺りを見回した。
「キリノたちと一緒に、帰ってきたのではないのか?」
「うひひひっ、そうなんですー。
きりさんたちは、チヒロラの中にいます。
今まめさんが、出てこいって追いかけているんですが、きりさんたち逃げちゃうんですーっ。
くひひひひっ」
チヒロラはどうやら、体の中で追いかけっこをされて、くすぐったいらしい。
(うーな、まてーっ!!)
夕凪は豆福に追われて、心象内を逃げていく。
心象内は空間があって、無いようなもの。
狭いようでいて果てはなく、逃げようと思えば幾らでも逃げれた。
追う側も、距離があって無いような心象内なので、距離を無視して夕凪の腰にしがみつく。がしいっ
(ひゃー、まめに、つかまっちゃった。へへへっ)
夕凪は観念したようで、コロンと倒れて仰向けになった。
豆福は夕凪の腹へ乗っかると、なんだか満足そうに横たわる夕凪に、腹が立ってしょうがない。
(もー、うーなっ、もーっ。なんだ、もーっ!)
自分の腹をバンバン叩く豆福へ、夕凪が謝る。
(まめごめん、さびしかったろ。
でも、おしごとだ。
まめ、うーなぎは、知ってるぞ。
まめも、おしごと、がんばってたな。
まめすごいっ!)
褒められて、豆福の手が止まる。
それでも、おいて行かれた怒りは収まらない。
(もーっ、うーなっ。まめはねー、もーっ!)
霧乃と朱儀が、背後から可愛い妹へ抱きついた。
(まめごめん。きりも、会いたかったぞっ!)
(ごめんねっ。あーぎも、あいたかったよっ!)
姉たちの匂いが、豆福を落ち着かせてくれる。
抱きつかれると、とっても気持ちがいい。
豆福は怒りの矛先が鈍り始めると、どれだけ自分が頑張っていたか、聞いて欲しくなった。
(もーっ、まめ、いいこだったよっ!)
それを聞き、三人の姉がぎゅっとしてくれる。
(えらいぞ、まめ)
(よくやった、まめ)
(まめ、いいこ)
(もーっ、いいこだったよーっ!)
(そうだ、まめっ)ぎゅっ
(やったぜ、まめっ)ぎゅっ
(まめ、かわいーっ)ぎゅっ
(…………もっかい……ぎゅーしてー)
ぎゅっ、ぎゅっ、ぎゅーっ
(…………ふふふー)
豆福は正面の夕凪に頭をこすり付け、思い切り抱きつき力を抜いた。
チヒロラが、そのやり取りを感じてほっこりしてしまう。
「ふふ、良かったですー。
あれ?
今度は、まめさんが逃げてます。
あっ、うーなぎさんが、追いかけてますねっ。
これ普通に遊んでますね。
うひひひひひっ」
ひっくり返っていた、血糊まみれの楽市がぺちょぺちょと近づき、霧乃たちへ声をかけた。
「ほらっ、キキュールたちも戻ってきたから、そろそろ顔を出してっ」
楽市はそこで一旦区切り、チヒロラのお腹を撫でた。
「霧乃、夕凪、朱儀……
無理言って頼んだ、偵察のお仕事をありがとう。
あんたたちが行ってくれたお陰で、あたし、こっちの事に集中できたんだ。
本当にありがとう。 ねえ、ケガとかしてない?
何で、出てきてくれないの?
霧乃、夕凪、朱儀……あたしにも、あんたたちの元気な顔を見せてよ……もう」
「らくーちさん……」
チヒロラは自分のお腹をさする、楽市の寂しげな表情に見とれてしまった。
チヒロラこの齢にして悟る。
憂いを帯びた美人も、イケると――
チヒロラはウットリしていたが、急にお腹を押さえて笑い出す。
「くふふ。えっ、そうなんですかー? うふふっ」
どうやら、体内の霧乃たちと話しているようだ。
「チヒロラ、中で霧乃たちが何か言っているの?」
「はい、えっとですね。くふふっ」
チヒロラは、シノの腕の中でもじもじした。
何か言い辛いらしい。
言葉に出すのを、恥ずかしがりながら楽市へ告げる。
「らくーちさんは、う〇ちより、ひでーって言ってますー。うふふ」
「はっ、う〇ちっ!?」
(そうだーっ、う〇ちよりくっさい、らくーちっ!)
(何だここっ!? う〇ちより、ひでーっ!?)
(やだよ、くさいもんっ! ぜったいでない、やだやだやだやだっ!)
(ふあー、まめもでないーっ)
さっきまで泣いていた豆福は、ただいま霧乃へ抱っこされてご満悦である。
追いかけっこもして遊んでもらったので、完全に姉たちへ寝返っていた。
チヒロラが、恥ずかしそうに楽市へ告げる。
「まめさんも、出ないって言ってますー。
うーなぎさんが、らくーちとう〇ちで、“らくんち”って言ってます。ふふふ」
「はあっ!?」
霧乃たちは、運河の臭さは耐えられても、血糊の沼の腐敗臭は耐えられないらしい。
五日も経てば慣れるものだが、今は聞く獣耳を持たないだろう。
「ふふふ……皆さんどこで、う〇ちになったんですか?
へー、臭い川へプカプカ浮いたんですねっ。
すっごい面白そうですーっ!」
(あーぎが、かんがえたっ!)
(らくーちの、う〇ち、う〇ち、らくんちーっ!)
(へへへ……あーぎ、かんがえちゃったっ!)
(まめもー、やーりーたーいーっ!)
いつの間にかチヒロラも、角を揺らして口ずさむ。
「う〇ち、う〇ち、らくんちーですー♪」
チヒロラを抱くシノが、困惑気味に楽市を見る。
キキュールも楽市を、睨んでいた。
「あの……ラク殿。チヒロラが変な言葉を覚えるのは、困るのですが……」
「ラクイチ、なんとかしろ」
「すっ、すみませんっ!」
*
チヒロラは、右手にお師さまの手を、左手にキキュールの手を握っていた。
シノとキキュールは高身長なため、チヒロラの足はプラプラと宙に浮いている。
楽市がチヒロラの前にしゃがみ込み、お腹に触れてチヒロラを見る。
「いいよ、チヒロラお願い」
「はいっ、分かりました。それじゃあ……」
「あの……ラクーチ様っ」
「少し、宜しいでしょうかっ?」
しゃがむ楽市が振り向くと、パーナとヤークトが立っていた。
「どうしたのパーナ、ヤークト?」
楽市が見つめると、ヤークトがおずおずと前にでる。
「あの……あたしたちも御一緒させて頂いても、宜しいでしょうかっ?」
「え、でもこれは……」
「大丈夫です。お手間はとらせません。少し失礼します。
さあ、パーナもっ」
「うんっ、失礼しますっ」
パーナとヤークトは楽市の隣りにしゃがむと、手を伸ばし、チヒロラの足をそれぞれ一本ずつ握った。
二人が意識を集中すると、手と足の接触面が淡く緑色に発光する。
すると握る手とチヒロラの足が、一体化していった。
「ええーっ、パーナ、ヤークト、いつの間にできるようになったのっ!?」
楽市が一体化を見て素直におどろくと、ヤークトが恥ずかしそうに頬っぺたを赤くした。
「あたしたち火の玉になれるのなら、ひょっとしてラクーチ様のように、他の事もできるのではと思ったんです。
それでちょっとずつ、パーナと練習をしていて……」
パーナもできた喜びを嚙みしめながら、顔が真っ赤だ。
しゃがみながら、楽市へにじり寄る。
「あの、頑張りましたっ。
ラクーチ様、これ間違ってないでしょうか!?」
「うん、パーナ、ヤークト大丈夫っ。
ちゃんとこれ“取り憑いている”よ。凄いっ」
「ありがとうございますっ、ラクーチ様っ」
「むふうっ、ありがとうございますっ」
ちょっとチヒロラが、両手両足を持たれて磔のようだが、気のせいだろう。
楽市、パーナ、ヤークトは、膝小僧をくっつけあい喜び合った。
「よし、じゃあチヒロラ改めてお願いっ」
「はい分かりましたー。
ではきりさん、うーなぎさん、あーぎさん、お願いしまーすっ!」
チヒロラのかけ声で、霧乃たちの見てきた情景が、繋がる者たちへ同時に流れ込んでいく――




