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**闇落ち白狐のあやかし保育園  作者: うちはとはつん
第6章 血糊の沼と炎の海
336/683

336 北の瘴気に魅せられて、誰に教わるわけでもなくそこを目指す。


血の沼地でのたくる、獣人たちの叫び声。


その叫びが大きなうねりとなり、取り返しのつかぬ大恐慌となる手前で、それは顕現した。


獣人たちは視認する前に、肌でその存在を知覚する。

全身を包み込む、圧倒的な安堵感。

誰もが叫ぶのを忘れて、そちらへ振り向く。


するとすぐそばで、巨大な黒蛇が鎌首をもたげて、上空からのしかかるようにこちらを見つめていた。


黒蛇の頭には目も口もなく、のっぺりとしている。


ウロコのない巨躯には、金の流紋が幾筋も走り、まるで金色の河をまとったかのようだ。


巨大な蛇は全身からドス黒い染みをまき散らし、白く煙るもやを追い流して、辺りを闇に変えようとしていた。


黒い繭から萌芽したばかりの獣たちは、ただただ黙って、黒い後光を浴びながらその場へ跪いてしまう。


そんな獣人たちの目の前に、赤い聖母像がせり上がってくる。


全身赤黒く、血塗られた獣人の女だ。

巨大な黒蛇を付き従えるように、女は辺りを睥睨する。


先ほどまで泣き叫んでいた獣人たちの心に、もはや恐怖はなかった。

沸き立つ黒い瘴気が、獣人たちの情緒を捻り伏せるかの如く、強引に切り替えたのだ。


獣人たちの心は今、強者に庇護される安堵感で、だらしなく呆けていた――



    *



ベイルフの城壁を、取り囲むように敷設された石畳の道。

そこを大型の荷車が、北へ向かって走っていた。


荷車を引くのは、

ツヤツヤな灰色の毛並みを持つ、一角の肉食獣“松永”である。


かなり大きな荷車で、通常なら数頭引きとするところだが、松永一体で軽々と引っ張っていた。


御者台に座る血みどろのイオが、すまなそうに松永へ話しかける。


「すみません松永さん。

普通のウマル(馬に似た家畜)だと、ゾンビを怖がっちゃって走ってくれないので、こんな事を頼んじゃって……」


イオの言葉をどこまで理解しているか分からないが、松永は一本角をゆるりとくゆらせた。


ぶっふふーっ


イオはちらりと、後方の荷台を見る。

そこには先ほどゾンビ化したばかりの、血糊で真っ赤に染まった、二十三体が乗せられていた。


荷台の手前にクローサ、後方にヤルナとサバルが乗っており、ゾンビたちが荷台から落ちないように見張っている。


ぱっと見、全員赤黒くて誰が誰だか分からない。


石畳の振動が荷台へ伝わる度に、ゾンビたちの頭がカクンカクンと揺れるので、辛うじてクローサたちとの違いが見てとれた。


「う゛~あ゛あ゛~」


ゾンビたちは荷台が揺れても構わず、折れた手足で立ち上がろうとする。

ヤルナがそれを慌ててとめた。


「危ないってっ」

「う゛あ゛~」


よろめいた所を支えられた少年のゾンビが、濁る目で不思議そうにヤルナを眺める。


「あ゛~あ゛~う゛~????」

「うんそうそう、あ~ぶ~な~い~」


ヤルナは自分で、何を言っているのだと思う。


もうゾンビとなってしまった少年に、これ以上何が危ないと言うのだ?

手足が折れ曲がり、腹の潰れた少年にかける言葉なのか?


それでもヤルナは言ってしまう。

よろけて頭をぶつけないように、危ないからと……


「危ないからさ……ごめんね……

ごめん……助けてあげられなくて。

ごめん……ごめんなさい……」


見かねたサバルが、うつむくヤルナの肩へ手をかける。


「ヤルナ、あんたが謝ることじゃないって。

もうベイルフに付いた時には、この子死んでたんだからさ。

それ違うと思うよ……」


「分かってる、分かってるけどさあっ。

ああ~っ、もお~っ、わっかんねーっ!」


ヤルナが感情を高ぶらせて語彙力を無くしていると、不意に背中から力強い波動を感じた。


ヤルナだけではなく他の乙女たちも感じたようで、皆で南へ振り返る。

松永も走りながら、ぶふふんっと鼻を鳴らした。


サバルが南の空を眺め、目を細める。

ちょうど城壁に遮られて見えないが、何が起きたのかは分かった。


「この距離でもハッキリと分かるんだね、ラクーチ様の御力……

凄いものだよねえ……」


黒き瘴気をまき散らす、楽市の巨大な尻尾。

感じ取ったのはヤルナたちだけではなく、荷台のゾンビ全てが楽市の後光を感じ取り騒ぎ始めた。


立ち上がり後光の差す方へ向かおうとするので、ヤルナとサバルがワチャワチャする。


「ほら危ないってっ、皆立たないでっ、落っこちるからっ!

クローサ早くあれやって、ほら早くーっ」


「危ない、危ないっ、皆しゃがんでっ。

クローサあれやってっ、うひゃうっ……」


「ちょっと待ってっ、えっとえっと、ティア・テ・メルトスっ。

えっとそれから、ハツクアロの湖畔っ。

ハニッツの島っ。

何だっけえっと、アハカ・テ・ファレスっ!」


クローサが発動に必要な言葉を唱えると、左手の薬指にはめられた“死者のリング”が効力を発揮する。


これはキキュールから借りた、死霊魔術のマジックアイテムだ。


基礎知識がなくても合言葉さえ言えば、お手軽に高位の死霊魔法がつかえる優れものである。


クローサが左手をかざして「しゃがめっ」と叫ぶと、荷台のゾンビ全てが大人しくしゃがんだ。

荷台の縁に寄りかかり、クローサはホッと一息つく。


「これ……合言葉が長すぎるよ、キキュールさん……ふう」


ヤルナとサバルも荷台の後方でしゃがみ込み、ハアハア言っている。


「ハアハア……ねえサバル。この魔法、私たちにも効いてない?」

「ふうふう……私たちもアンデッドってことかあ……運命感じちゃうな……」


イオが、御者台から振り返った。


「みんな大丈夫っ!?」

「大丈夫、イオこのまま行ってっ」


クローサが応えるとイオは前を向き、手綱を握り直す。


「マツナガさんっ、このままお願いしますっ」


ぶっふーーっ



南の城壁からベイルフをぐるりと迂回し、北の城壁を通り過ぎ、更に北へ走った所で荷車を止めた。


クローサたちのうなじに、チリチリと感じていた楽市の後光も、ここまで来るともう届かない。


クローサたち四人は荷台から飛び降りると、手分けして一体ずつ、ゾンビを地面へ降ろしていく。


中年のゾンビ、子供のゾンビ、老人のゾンビ。

皆で抱えても、大人しくされるがままだ。


抱える側も、抱えられる側も、お互い血みどろである。

ゾンビの腐臭など、とうに鼻がバカになって気にならなかった。


全てを降ろし終えても、ゾンビたちはしばらくボンヤリとしてその場を動かない。


表情は虚ろだが、朝日の中でポカンとする、その様子が可愛らしく感じてしまう。

少し前ならゾンビが可愛いと思えるなど、考えられない話だ。


四人で黙ってその様子を見つめる。


するとゾンビは、一体また一体と北へ顔を向け、折れた手足でゆっくりとにじり始めた。

北の森の瘴気に魅せられて、誰に教わるわけでもなくそこを目指すのだ。


北の森から溢れ出す瘴気は、アンデッドにとって万能と言うわけではない。

豆福の呼び出す森は死者を復活させるが、すでにアンデッド化したものは、そのままなのである。


再びクローサたちのようには、なれないのだ。

楽市が尻尾を出すまでの、三十ミル。

その僅かな時間が、クローサたちとゾンビの間に決定的な違いとして現れた。


せめてものと、楽市の瘴気に惑わされぬ山の麓まで送ったら、クローサたちに出来る事はもう何もない。


ゾンビたちは、赤子のように少しずつ這い進んでいく。

いつの間にかクローサ、イオ、ヤルナ、サバルは、その背中を応援していた。


声に熱が籠る。


「……がんばれ」

「どうか無事に……」

「がんばれっ! がんばれっ!」

「がんばれ……がんばれ……そう、そのままっ」

 ぶっふっ!


北を目指す這いずる跡が、木漏れ日の中へと消えていく――






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