332 赤ダルマ、再び血糊の沼へ横たわる。
髪をお団子にした楽市が、血糊で赤ダルマのようになって座り込む。
チヒロラは、流石に寝るのって気持ち悪くないのかなと思い、口をあんぐりと開けてしまった。
「チヒロラ、お願いできるかな? 霧乃たちを迎えに行ってくれる?」
「は……はいっ、分かりましたーっ!」
欲しい言葉を、楽市からも貰ってしまったっ。
チヒロラは目の前の赤ダルマを脇に置いて、気持ちが霧乃たちの元へ舞い上がる。
「それじゃ行ってきますっ! タミエラ行きますよーっ」
「きゅきゅ~ん」
チヒロラの掛け声で、タミエラが頭を引っ込めてフードの中に隠れた。
それと同時にチヒロラが鬼火となり、火花を散らしながら垂直に上昇する。
一気に高度を上げると、空中で一度元の姿へ戻った。
自由落下の風の中、“銀髪の編み込み”を取り出し、両手でモミモミする。
霧乃たちの方向を確認し終えると、再び鬼火となり、時速五〇〇キロの朱い線を空に描きながら、北東の方角へぶっ飛んでいった。
楽市は、空を見上げて感心する。
「はあ……本当に、チヒロラって速いんだね。もう見えなくなっちゃったよ」
座ったままぼんやりと眺める楽市の背中を、キキュールは静かに見つめた。
「ラクイチ……マメフクも起きたのか?」
「んー、まだあたしの中で、寝ているよ」
楽市は、自分の胸に手をやる。
「そうか、ならラクイチも、もう少し寝ておけ。
どうせ死体が全て集まるまで、お前の出番は無いからな」
「大丈夫だいじょうぶー。良く寝たからさ」
楽市はキキュールに振り返らず、空を眺めたまま答えた。
そんな楽市の背を、キキュールは見つめ続ける。
「ラクイチ……山脈の向こうでの、お前の様子はパーナとヤークトから聞いたぞ。
その結果として、ガシャの回収を後回しにして、死体回収を始めたことも。
私は突然のことで腹を立てたが、その選択自体はとても感謝をしているんだ……」
「なになに……どうしたの? あたしを褒めるなんて?」
「ラクイチ、背中が丸まっているぞ。
元気なようでいて、気を抜くと最近ぼんやりとしている。
どうした?」
楽市の丸まった背筋が、のびていく。
顔は見えないが、少し笑ったようだ。
「なにそれ? 気を抜いたらぼんやりするの、当たり前じゃない? みんなそうでしょ?」
「ラクイチ、思考が揺らいでいるのか?」
「揺らぐ?」
「ラクイチ……最終的な絵図はあるんだ。
ならば後は、そこへ向かって進むだけだろう?
そこまでへ至る、途中の方法にまで善性やら道徳を求めたら、最後の絵図までたどり着けないぞ?」
キキュールの言う絵図とは、大陸の生者を北の森の魔力によって、全て作り変えることである。
「何度も言うがガシャの殺戮行動は、北の森が作り出す自然現象だ。
お前に、どうこうできる代物じゃない。
地道にガシャを回収するか、こうやってガシャの殺した死体をかき集めて、復活させて回るしかない」
「分かってるって」
「いや、分かっていないっ。
ラクイチ……いまさら生者のように、善人ぶって悩むことか?
そういった甘えは捨てろっ。
私は永く存在してきて、お前のようになる奴を腐るほど見てきた。
これしかないと分かっていても、いざ現場で厳しい目にあうと、尻込みしてグズグズする奴をな……
グズって立ち止まっても、何の役にも立たないぞ、ラクイチっ」
楽市が初めて振り返り、尻尾を膨らませて立ち上がった。
血糊を飛び散らせて、キキュールを睨み付ける。
「あたしは、立ち止まってないだろっ!」
「ふらふらするなと、言っているっ!
つまらない良心は捨てろ、邪魔なだけだっ。
今更、悪名から逃げようと思うなよ?」
「キキュール……あんたは根っからのアンデッドなんだね」
「当たり前だろうがっ。エルダーリッチをなめるなよ?
そしてお前もそうだ、ラクイチっ。
大陸中の生者を殺して、アンデッドとして復活させる。
お前はこの世界の生者にとって、どうしようもない悪なんだよっ。
どう転んだって悪なんだ。だったら胸を張ってろっ。
受け入れろ、認めろっ、自分が世界の邪悪だということをっ」
「ぐっ……」
「ふんっ、情けない顔をする……私がこう言っても、どうせお前はこれからもフラフラとするのだろうな。
だから私が、お前の悪名を支えてやる。お前の穴を、埋めていってやるっ。
ラクイチ、お前は前に言っていたよな?
自分は“タタリガミ”になったんだと。
私がその、訳の分からんタタキリみたいな名を、ぶん殴ってでも支えてやるよっ。
このキキュールが、全力でお前を支えてやるっ。
エルダーリッチは執念深いんだ、覚悟しておけよっ」
「…………キキュール」
息がかかる程に近づいて凄むキキュールを、楽市もにらみ返すが、もうその瞳に激しい怒りは見られない。
楽市は、自分を全力で支えると言ってくれた相手から目をそらし、拗ねるように言う。
「支えてくれるんだ……。あ……あり、が……」
「ラクイチ勘違いするなよ?
私は獣人のために動いている。そのためにお前が必要なだけだ。
お前の悪名を、キッチリ利用してやる」
「なっ……このっ、その言い方キキュールっ」
「なんだ?」
「初めて会った頃のことを、思い出したよ。
なんだコイツって思うほど、嫌な奴だったってっ。
でも…………た……頼りになる(ボソッ)」
「そうだろう? 何せ私だからな」
「くっ……ふんっ、あたしもう寝るからっ」
「ああ、さっさと寝ていろ」
楽市はそっぽを向き、再び血糊の沼へ横になった。ぬっちゃり
キキュールはその寝顔だか、赤ダルマだか分からない顔をしばらく見つめていたが、すいっと視線をはずす。
その時、眠る赤ダルマから声がかかった。
「ねえ、キキュール」
「なんだ?」
「タタキリって何?」
「生の赤身魚を厚切りにして、様々な薬味をのせて塩を振ったものだ。
大陸の沿岸部では、名物となっている」
「あっそ、ふんっ!」
「なんだこのっ!」




