329 もうドキドキして、夜しか眠れないですーっ。
天から降る雨もまばらとなり、今は霧雨となっていた。
もやのように煙る霧雨へ穴を穿ちながら、狐火と鬼火が北を目指して突き進む。
憎き輩の顔は覚えたので、後はまっすぐ帰るだけ。
簡単なお仕事である……とは行かなかった。
火花を飛び散らせながら、霧乃、夕凪、朱儀が口々に叫ぶ。
「なんでーっ、ここ、どこだーっ!?」
「わかんないっ、とにかく北だっ! きたに、まっすぐだっ!」
「べいふー、わかんなく、なっちゃったっ!」
行きは良いよい、帰りはどっちだ?
取り憑いていた偵察部隊が、転移で帰還したものだから、霧乃たちはここがどこだか、サッパリ分からなかった。
分からないけれど、とにかく北を目指す。
それは多分間違っていないと、幼女たちは思った。多分
*
「すー、すー、すー、すー」
愛らしいチヒロラが、ぐっすりと眠っている。
仰向けとなり分厚い木製テーブルの上で、可愛い寝息を立てていた。
ここはベイルフ、ツシェル城内にある、ダークエルフ兵舎の食堂である。
現在兵舎にダークエルフはおらず、チヒロラのお家となっていた。
建物にはちゃんと寝室があるのだが、手狭で不便なため、兵舎の食堂を部屋として使っているのだ。
食堂に八つある長テーブルは、食事、ベッド、木箱に楽市グッズを詰める作業台、などに使えて何かと重宝した。
チヒロラの傍らには、フィア・フレイムドラゴンの赤子“タミエラ”が、丸くなり眠っている。
タミエラは身じろぎすると、目を閉じたまま、顔の前にあるチヒロラの手を舐めはじめた。
おやつの朱い炎を、貰っている夢でも見ているのだろう。
しばらく舐めていたが、パチリと目を覚ます。
目の前のチヒロラの手に気づくと、小さなあくびをした。
ちょこんと座って、チヒロラを見る。
だいたいいつも、タミエラが先に起きるのだ。
きゅるる~と呼ぶが、チヒロラはピクリともしなかった。
タミエラは起きたので構って欲しいのだけれど、チヒロラが起きないのはいつもの事だった。
朱儀にも言えることだが、鬼の子はなかなか起きないらしい。
なのでタミエラは、一人遊びを始めた。
「きゅる~ん」
鼻先で、自分よりも大きなチヒロラを押し始める。
グイグイ押す。
するとチヒロラが押されて、一メートルちょい下の床石に落っこちる。ごちんっ
「きゅる~?」
タミエラが下を覗くと、チヒロラはまだ寝ていた。
「きゅきゅ~んっ♪」
タミエラは、楽しそうな声を上げる。
そう来なくては、まだまだ起きてもらっては困る。
その後もタミエラは、チヒロラを鼻先でグイグイ押し続けた。
食堂から外へ出て、いつも座るベンチの脇を通り、放置された菜園の前を通りすぎる。
城内の石畳の上を、どこまでも押していく。
夢中になって押し続けていると、そのうちチヒロラが起きた。
「ふあ……ふ……あれ? おはようございますー」
「きゅっきゅっ~」
チヒロラは目をこすりながら座り込むと、辺りを見た。
左手に兵士たちが出入りする、通用門が見える。
チヒロラの住む兵舎からは、少し離れた所にある門だ。
「タミエラすごいですっ。今日はすっごく押したんですねっ」
「きゅる~♪」
チヒロラはタミエラを膝に乗せて、人差し指に朱い炎を灯した。
タミエラが、嬉しそうに一鳴きして舐め始める。
「えらい子ですー」
一体何が偉いのか良く分からないが、チヒロラはここまで頑張ったタミエラを、褒めてやりたいのだ。
炎をやり終えると、すくりと立ち背伸びをする。
チヒロラはドラゴンの赤子を抱きあげると、自分の背中で垂れるフードへ押し込んでいった。
「タミエラ、それじゃ行きますよー」
「きゅきゅ~いっ」
フードの中から、タミエラの返事が聞こえる。
チヒロラはぴょんと飛んで、素早く鬼火へ転じると垂直に上昇していった。
そこから直角に曲がって、南の城壁塔へ飛んだ。
真夜中に出店で盛り上がる北の塔とは、正反対の位置である。
チヒロラはゆっくりと進む。
全力で飛ぶと、すぐに通り過ぎてしまうのだ。
南の城壁塔へ近づくにつれて、辺りに朝もやのようなものが目立ち始めた。
チヒロラは気にせず進み、城壁塔のてっぺんへ元の姿になって降り立つ。
降り立ったと同時に、フードからタミエラが顔を覗かせる。
その口元には、何やら白いものが咥えられていた。
「タミエラ、ありがとですっ」
チヒロラはそれを受け取ると、両手で包んでゆっくりと揉み始める。
「今日のきりさんたちは、どうでしょうかーっ?」
チヒロラが嬉しそうにモミモミするソレは、楽市たち五人の髪の毛を、切って編んだ“髪の束”だった。
白銀の中に一房、黄緑が混じっているのは、豆福の髪の毛だろう。
これは楽市たちが、以前ベイルフを去るときに、別れを寂しがるチヒロラへ残した髪の毛だ。
髪の毛は充分な呪物となり、シノが手を加えてマジックアイテムにしてくれた。
この髪の毛をもっていると、楽市たちがどの方角にいるのか、分かるようになる。
チヒロラの持つ迷子防止用の“指の骨”と、同様の効果を付加されているのだ。
これがあればたとえ離れていても、その存在を感じることができるのである。
楽市たちがベイルフを去ってからは、しょっちゅう髪の毛を揉みながら、その方角を確かめたものだ。
チヒロラが“通い”を許されてからは、楽市たちの元へ通うために使っていた。
今はそれを、霧乃たちの方角を感じるために使うのだ。
「チヒロラも、やっぱり行きたかったですーっ!」ぴょん
「きゅる~?」
潜伏スキルが全くないチヒロラは、霧乃たちと一緒に行くことができない。
それは仕方ないとしても、やはり羨ましくて堪らなかったのだ。
最近めっきり暴力の魅力に目覚めたチヒロラは、きっと三人は凄いことをしているに違いないと考えていた。
「あーぎさんは、きっと凄いパンチを、出してるんですよタミエラっ! ふふふー」
「きゅい~?」
気になって気になって、妄想がふくれてしまう。
そうなるともうドキドキして、夜しか眠れないっ。
だから朝起きると一番に、霧乃たちの方角を確かめるようになっていた。
毎朝しらべて、昨日とちょっとでも方角が違うと、あふう……とため息をついて妄想し、ほっぺを赤く染めるのだ。
チヒロラがいつものように確認していると、おかしなことに気づいた。
昨日と方角が全然違っている。
昨日も方角が、かなり左寄りになっていると感じていたが、今日はそれどころではなかった。
完全に白銀の髪が、南(↑)から左に向きすぎて東(←)を指している。
というかちょっと東を超えて、北側(↙)に入っていた。
「あれ、あれ、あれー?
これって何だか、迷子になってませんかーっ!?」
「きゅきゅ~?」
チヒロラ一人では判断しづらいので、お師さまに相談することにした。
髪の毛モミモミで、らくーちさんの方角も確認済みだ。
きっとそこに、お師さまもキキュールさんも一緒にいるだろう。
チヒロラはそう考えた。
「タミエラ、お師さまの所へ行きましょうっ」
「きゅる~ん」
チヒロラは城壁塔から、ぴょんと街の外へ飛び降りた。
鬼の足腰でらくらく着地すると、足下でペチャリと湿った音がする。
チヒロラは慣れて気にもしないが、そこには見渡す限りの“赤黒い血の沼”が広がっていた。
辺りには、吐き気をもよおす腐臭が漂っている。
チヒロラはこれも気にせず、白いもやが漂う赤黒い沼を、素足で歩いていった。
遠くでベイルフの有志たちが、虫よけの魔法を発動させ、辺りへ散布しているのが見える。
腕から白い煙を炊き出し、ゆっくりと赤黒い沼を横切っていく。
辺り一帯を包み込んでいる、白いもやの正体はこれなのだ。
血糊の沼には、至る所に腕や足、内臓の一部が落ちており、肉食獣や鳥たちが群がる影が見えた。
草食の獣たちも、粘度の高い血糊をぺちゃぺちゃと舐めている。
チヒロラはシノの影を見つけたらしく、元気良く腐臭の中を走っていった。
「おー師ーさーまーっ、お早うございまーすっ!」
「きゅい、きゅい~」
今日から第6章となります。
緊張しております。
皆さま、よろしくお願いいたしますーっ(・v・)




