327 アイ、強欲の天秤をひっくり返す。
レッサーサイクロプスのアイ・エイチ・ジャマーンは、化粧台の椅子に座り、眠たげな一つ目で台に置かれた赤い珠を見つめている。
もう何度、ため息をついただろうか。
昼を随分と過ぎたが、あれからまだ同族へは連絡をしていない。
「何……どうしたらいいの?
なんかトンデモナイ物、貰ってるんだけど!?
何なのこれ!?」
アイはキリから手渡された珠を、一目見てただならぬ物と感じ、幾つかの探査魔法をかけていた。
「属性探査っ。
材質探査っ。
魔力量探査っ」
その結果分かったことは、この指先ほどしかない赤い珠が、とんでもないアイテムだということ。
まず属性は火属性だった。
次に材質を調べて、アイは大きな一つ目を瞬かせてしまう。
通常のマジックアイテムは、何かしらの依代を使い、そこへ魔力を封入して、効果を安定させるものである。
帝都では良く、鉱石や獣人の尻尾が使われていた。
しかしこの赤い珠は、混じり気無しの純粋な炎だけで作られていたのだ。
実際に触ってみると、ほどよい弾力があって、確かに鉱物などではなかった。
アイは珠の表面に刻まれた、文様にも見覚えがある。
これは、ドラゴンが好んで使う文様だ。
と言っても、一部の神域に近い龍種のみが使う代物である。
つまりこの珠は、神域クラスのドラゴンブレスのみで造られた宝玉なのだ。
そんな“エス”が三つ付きそうな超レアアイテムを、小さな子供が持っていたなど、とてもではないが信じられなかった。
最後に魔力量を調べたとき、アイは腰を抜かしてしまう。
探査の結果は視覚情報として入ってくるのだが、アイの視覚いっぱいに魔力量がオーラとして立ち昇った。
それはアイの部屋を越えて、通りを超えて、辺り一面に広がっていたのだ。
もしこの珠が、何らかの切っ掛けで割れた場合、街の数区画がチリも残さず消し飛ぶだろう。
それほどの膨大な魔力が、指の先ほどのサイズに圧縮され、アイの前に転がっていた。
赤い珠がこの状態で安定しているのが、アイにはとても信じられず、もう触るのも恐ろしい。
こんな超レアアイテムを、いとも簡単に他者へ譲渡できる者など、そうそう居るわけがない。
間違いなく、キリ、ウーナギ、アーギの三人は、報告書に記された北の魔女の眷族だ。
アイはそう確信する。
そう思うと、恐ろしさで身震いしてしまう。
「私……北の魔女の側近たちと、一夜を共にしたんだ……うそでしょ!?」
しかし身震いはするものの、アイにはそれ以上の恐怖が湧いてこなかった。
なぜなら側近三人が、とても凶悪な化物には見えず、可愛すぎたのだ。
「私を騙す、演技だったのかな?
でもそんな必要ある!? 私なんかに?」
今思い返しても、実感が湧かない。
カンオケを喜び、自分にじゃれ付いて甘える三人が、凶悪な眷族だったとは――
アイは頭で眷族だったと理解しても、心が納得していなかった。
「やばいね……本当はすぐにでも、仲間へ連絡した方がいいんだけど……」
アイはそれをためらう。
“きょうだけ、考えないで、おねがいっ”、キリはそう言っていた。
一方的な頼み事だったが、夢の中で別れるとき、キリは確かにそう言っていたのだ。
そしてもしアイが動いたら、アイを殺さなければいけないとも言っていた。
「今日、何かやるつもりなんだ。
そして一日で仕上げて、即撤収か……」
自分の命のこともある。
一日ぐらいなら、黙っていても良いではないか?
アイはそう考える。
出会って触れ合ったのは、僅かな時間だった。
しかしそれでもアイは、しっかりとキリたちに情が移っているのだ。
そして、ただそれだけではない。
「私……すっごいコネ、作ったんじゃないのっ!?」
アイは、せわしなく一つ目を瞬かせた。
黒い瞳に散る金の星々が激しくきらめき、大きな瞳の中を飛び交っている。
何やら必死に、考え込んでいるようだ。
「ダークエルフと敵対する、北の魔女と特権的な交易……が……できる?
この私に、そんな事ができるの!?
うわっヤバ過ぎだよねっ。
調子に乗って怒りを買って、即惨殺だって十分あり得るっ。
ダークエルフにバレても、すぐ惨殺っ。
綱渡りすぎるっ……でも」
うまくこの綱を渡れたら……
アイは湧き上がる強欲と、現実のリスクを天秤にかけては、天秤をひっくり返し思考が乱れに乱れた。
うつむいて頭をかきむしる。
「ああ、分かんないっ、どうしよーっ!?」
「あい、あそびかた、わかんないの?」
「ああ? うん、分かんないよこんなのっ……えっ!?
えええええええええっ!?」
驚いて顔を上げれば、化粧台の三面鏡に霧乃たちが映っていた。
振り向いて、打ち上げられた魚のように、口をパクパクと動かす。
「い……いつの間にっ!?」
あっけに取られるアイを尻目に、霧乃がひょいと、台の上の赤い珠を摘まんだ。
霧乃は、楽しそうに手の平で転がす。
それを見て、アイの顔が真っ青になった。
「あっ、それはーっ」
「あい、これ、すごいんだぞ」
知ってるうううううっ! やばいって知ってるうううううっ!
アイは心が叫んでしまう。
「ああ……キリっ、それは危ないからね、そおっと――」
「これは、こうして、えいっ!」
霧乃はアイを無視して、珠を思い切り床へ叩き付けた。
その瞬間、アイが絶叫する。
「ぎゃああああああああああっ!!」




