321 お仕事と、食い意地と、アイ。
広大なセントラルキッチンで働く多くの調理師が、調理台へ向かい、一生懸命に手を動かしている。
彼らの殺気、情熱、食材が炙られる熱気などが、水回りの湿度と共に、セントラルキッチンの高い天井で滞空して、うっすらと雲を形成していた。
俗に言う“キッチン雲”である。
調理師のかたわらには、様々な食材、調理器具、そして大型の調理魔法器具が設置されており、意外と死角が多い。
夕凪は狐火となり、死角と死角を渡り飛んで、目当ての調理師へ取り憑いた。
一拍おいて、朱儀が体内へ入ってくる。
(うーなぎっ。あーぎも、いっしょに、つれてってっ!)
(ごめん、ちょっと、こーふんしたっ)
二人で笑い合っていると、霧乃の狐火が、ふくれっ面な心象で入ってきた。
(もうっ、はやく顔みて、かえるって、いったの、うーなぎだろっ)
(へへへ、わかってるって。 だから早く、たべるぞっ!)
(はやく、たべるーっ!)
(ええ……)
霧乃の反応のにぶさに、夕凪がポカンとする。
(あれ? きり、食べたくない?)
(…………)
少し黙って、霧乃が吠えた。
(食べたいに、きまってるだろっ! はやくしろっ!)
(言うと、おもったっ!)
(やったーっ!)
夕凪たちが取り憑いた調理師は、ちょうど海老に似た甲殻類を、素揚げしている所だった。
彼はおもむろに手を止めて、カラリと揚がった海老モドキを、その場でパリパリ食べ始める。
三匹たいらげた所で、ふと我に返った。
「あれ? なんで今、俺は食べたんだ?」
(ひゃああっ、あまーいっ!)
(あまいっ、やべえっ!)
(かにぽい、みたいっ!)
夜食用の甘いプティングを作るため、卵とミルクへ大量に砂糖をぶち込んで、シャカシャカかき混ぜていた調理師がいる。
彼は何を思ったか、混ぜ終わった卵液をオタマでゴクゴク飲み始めた。
三杯飲み終わった所で、我に返る
「あれ? 俺なんで飲んでんの!?」
(なんだこれっ!? あまいっ!? もういっかいっ)
(すげー、あまいっ! 好きっ! おかわりっ)
(あーぎも、これすきーっ! おかわりー)
その後も調理場のあちこちで、調理師自身が出来立ての料理を、無意識に食べてしまう。
三口、三ケ、三本、三枚、三ちゅるちゅる。
彼らは皆、三回ほど食べた所で我に返り、自分のしたことが理解できず首をかしげていた。
俺……疲れてんのかなあ……
不思議に思っても、時間に追われた忙しさの中では、深く考える事もできず、そうやって呟くぐらいだ。
彼らは溜息をつき、再び仕事に戻っていく。
そんな中で、思うがままに取り憑いて、つまみ食いをした霧乃たちが、調理台の下にある戸の中で身を震わせていた。
満腹でホクホク顔のはずが、意気消沈している。
三つの火の玉が、しまってある鍋の上で、溶けた餅のようにへたっていた。
「うぐぐぐ……」
「う~ん……この」
「さみしく、なっちゃった……」
霧乃たちは自分たちへ起きた、とある変化に戸惑っていた。
いくら食べても、なぜか腹に溜まる幸福感がやってこないのだ。
取り憑いている間は感じても、相手から飛び出した瞬間、胃に溜まる感覚がすうーっと消えていってしまう。
霧乃たちは何度もそれを体験し、そしてあることに気づく。
それは取り憑いたとしても、食べたのはあくまでも、取り憑かれたダークエルフだということ。
霧乃たちはその味覚を、共有しているに過ぎないのだ。
当然そこから飛び出たら、霧乃たちの腹の中はカラッポなのだった。
食べた物は全て、ダークエルフの腹へ残る。
理屈が分かっても、食べる幸福から突き放された感じがして、三人は眩暈がするほどへこんでしまう。
実はこの感覚、ヒノモト時代の楽市も感じていたモノである。
こればかりは仕方がなく、そういうものだと諦めて、時間をかけて慣れるしかない。
しかし幼女たちは、仕方がないでは済まされなかった。
初めて味わう感覚に耐性がなく、腹をきゅうきゅう鳴らせて、渇望する。
直に己の牙をあて、食らいつきたいと――
けれど、いくら死角が多い厨房でも、姿を表して肉に食らいつくのはリスクがあり過ぎた。
見つかってしまっては、潜り込んだ意味がない。
それに早く敵の顔を見て覚え、さっさと帰りたいのだ。
もたもたしていると、アイが何か動くかもしれない。
その結果、“お仕事”が失敗したら、アイも“覚えた顔”として、楽市に伝えなくてはならないだろう。
霧乃たちは、それだけは避けたかった。
しかし、せめて一口っ。
三人で、同じ思いを募らせる。
そして願いが叶うならば、その一口はアレであって欲しい。
そう、初めに目を付けたイナシルだっ。
子供たちは、あれ以上の旨い肉を知らない。
妖しの幼子の中で、お仕事と、食い意地と、アイが、三天秤となって、シッチャカメッチャカ揺れまくる。
三つの火の玉が、鍋の上で真剣に話し始めた。
ちょうどその頃――
艶の無い黒い獣が、城の上層階で不満を募らせていた。
「なに? 俺のイナシルまだこないわけ?
ここの奴らは、使えねえなあ……」
それを横で聞いていた、金色のイナシルが首をかしげる。
「あなたが昨晩、急に産地まで指定して、イナシルを要求したからでしょ?
時間がかかるのは、当たり前じゃないですか。
ここの者たちは、良くやっていると思いますよ」
それを聞く黒い獣が、鼻で笑った。




