314 僅かな獣の匂いと、子供特有のミルクのような匂い。
霧乃が振り返ると、先ほどすれ違った女がこちらを見ていた。
目深に被ったフードを取ると、女の目は顔のど真ん中に一つだけ。
黒くて大きな一つ目。
大きさは霧乃の握りこぶし位、あるんじゃないだろうか?
霧乃はこれまで色々と種族を見てきたが、一つ目は初めてなのでポカンと眺めてしまう。
しかし直ぐに、その瞳が気に入った。
ただの黒い瞳じゃない。
その表面には、蜜のようなトロリとした光沢があり、瞳全体に細やかな金の粒子が散っていた。
女が瞬きするたびに濡れて、揺らぐように金の粒子が輝くのだ。
まるでそこに、星空があるかのよう。
二重瞼がくっきりとしており、少し眠たげな印象を受ける。
「はー、すっごい、きれーっ」
霧乃がうっとりとし瞳をベタ褒めしている横で、夕凪と朱儀もポカンとしながら問い返す。
「なんか、よう?」
「なーに?」
問われた女が頬に手を当てて、困ったような顔をした。
女は人気のない通りを眺める。
「何か用というかー。
ここら辺は、サイクロプス種専用の居住区なんだけれど、知らない?」
「さいく……ぷ?」
「ん? もっかい、言って」
「もっかい」
霧乃たちが首をかしげるので、一つ目の女は丁寧に教えてくれた。
「ここはね、私みたいな一つ目だけが住んでいい所なの。
だから獣の子や鬼の子がここにいるのは、とっても珍しいんだよ。
それにこんな雨の夜に、小さな子たちだけで歩いているなんて、とっても変でしょ?」
「えっ、きりたち、へんなの!?」
「へんじゃないぞ、くらいの、こわくないぞっ!」
「こわくないよっ」
「いや、そういう事じゃなくて……」
一つ目の女は、ちらりと霧乃たちの足元を見る。
三人とも、素足で石畳を歩いていた。
「身なりは別に、汚れてない……ね……」
女は少し考えてから、大きな一つ目を瞬かせる。
「あのさ……ひょっとして、人買いの館から逃げてきたとか?」
「ひとかい? なにそれ?」
「にげる? だれが?」
「かくれんぼ、するの?」
「えっとそうじゃなくて……まあいいや、違うみたいだね」
女はもう一度、通りを見回す。
やはり、連れ添いのような者は見当たらない。
「あのさ……ちょっと私の家に来ない? 直ぐ近くなの。
雨も強くなってきたし、このまま放っておく訳にも行かないでしょ」
お誘いを受けた霧乃の目が、キラキラと光った。
しかしである……
「えっ、いいのっ!? あーでもなー、おしいなー」
「うーなぎたちは、しらない人に、ついていっちゃ、だめだろっ」
「しらない、ひとー」
三人は知らないと言い合い、うなずき合う。
楽市から言われているのだ。
知らない人に、付いて行っちゃいけませんと――
納得顔で去ろうとする霧乃たちに、女が慌てて手を伸ばした。
「あっ、ちょっと待ってっ。
知らない人にだって、色々といるんだってっ。
私の名前は、アイ・エイチ・ジャマーン。あなたたち名前はっ!?」
そこで霧乃たちが、目を丸くする。
出会ったのに、まだ挨拶をしていなかったのだ。
挨拶は大事。
「わすれてた、あたしは、きりっ、こんばんはっ!」
「あたしは、うーなぎ、わすれてたっ、こんばんはっ!」
「あーぎです、こんばんはっ!」
「へえ、元気な挨拶だね。こんばんは。
私はさ、この近くでサイクロプス相手に、ちょっとしたお酒が飲める店をやっているの。
ねえ、あなたたちもうご飯食べた? まだなんじゃない?
店には、たまにダークエルフも来るから、それ用だったら用意できるよ」
「ごはん、くれるのっ!?」
「ごはんかっ!」
「ごはんーっ!」
霧乃たちはご飯と聞き、あからさまに前のめりとなってしまう。
一つ目のアイは、思った以上に食いついてきたので、眠たげな目をゆっくりと瞬きする。
「あたしのご飯、美味しいよー」
「むぐぐ、どうしよ、うーなぎっ!」
「ちょっとまってっ、ちょっとまっててっ!」
「きり、うーなぎ、ごはんーっ!」
霧乃、夕凪、朱儀の三人は、食べたい気持ちをグッと抑えて、アイに待ってもらい背を向けた。
三人で、ゴニョゴニョと話をし出す。
知らない人に、付いて行ってはいけない。
これは楽市との約束である。
しかし目の前のご飯に、とっても付いて行きたい幼き三人だった。
どうやら三人で、知らない人と知ってる人の“線引き”をどうにかして、ご飯にありつこうと相談しているらしい。
一つ目のアイはその間、子供たちの背中を見つめていた。
そして思わず吹き出してしまう。
「ぷっ、ふふふ」
ご飯に釣られて、真剣に話し合う背中が可愛かったのだ。
アイが笑っていると、霧乃たちが振り返り、アイの腰へ抱きついてきた。
「え、なになに? 急にすっごい懐いてくるんだけど!?」
アイは驚きながらも、悪い気はしない。
子供たちに囲まれて、胸の辺りがキュンとしてしまう。
「三人とも、綺麗な銀髪なんだねえ……」
自然と子供たちの頭へ触れようとした時、霧乃がガシリとその手を掴んだ。
そのまま手のひらの匂いを、嗅ぎ始める。
「ちょっと何してんのっ!?」
「においは だいじ」
「大事ってそんな、ええーっ、ちょっと待ってっ!?」
霧乃が手を嗅いでいる間に、夕凪がアイの後ろへ回り込む。
すんすん すんすん。
「ちょっと、お尻は駄目だってっ!」
アイがお尻をねじっていると、朱儀が正面にガシリとしがみついた。
「うわっ、前はもっと駄目でしょっ!」
霧乃たちは、嫌がるアイの動きを的確に読み取り、すんすんと嗅いでいく。
最終的にアイへよじ登り、頭の匂いを嗅いだ所で三人は満足した。
アイの編み込みでハーフアップにした、藍色の髪がほつれまくる。
「はあはあはあ……何だったの今の!?」
「においは、とっても、だいじなんだぞ」
「これで、しってる人に、なる」
「つぎは、あーぎも、して」
「私も嗅ぐのっ!?」
アイの前で霧乃、夕凪、朱儀の三人が、両手を広げて待ちの態勢となった。
どうやらお互いに嗅ぎ合って、“知っている人”が完成するらしい。
「はやく、んっ」
「こいこい、んっ」
「はいっ、んーっ」
「ええ~っ!?」
アイはおずおずと、霧乃たちの頭を嗅ぐ。
雨に濡れた銀髪は僅かな獣の匂いと、子供特有のミルクのような匂いがした。
悪くない匂い。アイはそう思う。
「うん、みんな良い匂いだよ……」
「じゃあつぎ、おしりも、んっ」
「らくーち、みたいに、ガツンと、こいっ」
「いちばん、わかるよ、おしりっ」
「何、言ってんのっ!?」




