031 楽市、もどらない
翌朝。
大気の寒暖差で立ち込める霧の中で、楽市は決断する。
「危険だけど、ダークエルフの都市へ近付く」
場所は、ナランシアから得た情報で分かっている。
ダークエルフが、襲って来るであろう方角に妖しの子がいたならば、すかさず拾って離脱する。
戦いはしない。
数が、圧倒的に違い過ぎる。
危険なので、出来れば楽市一人で行きたい。
しかし楽市では、妖しの子が発するシグナルに気付けないのだった。
楽市一人では無理だ。
妖しの子が発信する感情に気付けるのは、霧乃と夕凪だけなのである。
二人は連れていく。楽市は、鬼の少女に話しかけた。
「朱儀は、松永と一緒に残ってね」
その言葉に、鬼の少女は無反応だった。
昨晩付けられた「朱儀」という名が、自分だと分かってない。
ちなみに「松永」は、一角の獣の名である。
朱儀も松永の名も、さる地方の新興酒造がこしらえた、自慢の一品から付けられている。
楽市の言葉を、霧乃が朱儀へ通訳してくれた。
自分を指し。
「きーり」
鬼の少女を指し。
「あーぎ」
そこでようやく朱儀が、小さな口を開いて楽市へ向く。
これは、昨晩ずっと三人で話し込んでいた賜物だ。
ある程度三人は、会話が通じるようになっていた。
子供の学習能力は、素晴らしい。
夕凪が通訳の続きをする。
「あーぎと、まーなかはー」
そう言って、その場にしゃがみ込む。
そして立ち上がり、楽市と霧乃を連れてその場から離れるフリをした。
「いーい?」
夕凪がそう聞くと、朱儀がビックリした顔になり、夕凪にしがみ付いてイヤイヤした。
夕凪も、がっしりと朱儀を抱きしめる。
「よしこい!」
「ちょっと待って、話が違ってるー!?」
楽市が慌てて突っ込んでも、夕凪は朱儀を抱きしめ離さなかった。
「あのねっ、どんだけ危険か……うーん。
でも、一緒にいた方が良いのかな? あたしが直接守れ……るか?」
悩んだ末、朱儀も連れていくことにする。
けれど、バラバラに行動しては危険なので、
「さあっ、みんな丸くなって!」
楽市の掛け声で、三人は一斉に丸い火の玉となった。
朱儀の玉は霧乃たちより、一回り小さい。
「あははっ」
朱儀の笑い声が聞こえる、くすぐったいらしい。
霧乃と夕凪の青白い光とは違い、朱儀の光は血のように朱かった。
鬼火である。
朱儀は鬼の妖しなので、できるかと思い楽市が教え込むと、あっさりやってのけた。
元々妖しとは、不定形の澱から生まれる存在である。
その後に形を成すが、意志の力で変えることができる。
ヒノモトでは、白狐以外の妖しも基本できることではあった。
恐らくこの地で生まれた妖しも、そこは変わりないだろう。
楽市は三つの火の玉を摘まむと、草籠へ放り込んだ。
「くひひ」
「やめろー」
「あははっ」
摘ままれると、くすぐったいらしい。
楽市は松永を見る。
「悪いね、松永は小さくなれないでしょ。
できれば北の奥へ逃げていて。多分そこは安全だから」
松永の涼しげな瞳が、楽市を見つめていた。
松永は鼻先を近づけ、楽市をぺろりと舐める。
楽市は、松永の首筋を撫でながら語りかけた。
「不思議だよね、松永とは出会った瞬間から、何か通じ合うものを感じるよ。
妖しの育ての親同士だからかな?」
野生の獣のながら、その瞳には理知的な光が宿っている。
「心配しないで。朱儀は、あたしがしっかり守るから」
楽市は松永を安心させるため、しっかりと目を見て伝えた。
言葉は通じないけれど、こうして話せば心が通じ合う。
松永からは、楽市への絶対的な信頼感が伝わってきた。
「じゃあね、北へ逃げるんだよ」
楽市はそう言って去り、霧の中を駆ける。
大きく足を開くために、再び裾の丈を膝上の短いものにした。
「最近は何かと動くから、もうこのままで良いかなあ」
多少、はしたない着こなしになってしまい、ベテラン白狐の威厳が足りない気も
する。
しかし、機能重視ならこれが一番だ。
「よしこれからは、これで行こう」
「おしり……くふ」
草籠の中から、ポツリと嘲りの声が聞こえた。
「こら、どっちだ今言ったやつっ」
楽市は森を駆けながら、草籠を掴み睨む。
暫くして、草籠からポツリと一言。
「……あーぎ」
「噓をつくなっ」
お尻が思わず出てしまうことを、朱儀が知る訳がない。
というか、朱儀はまだ喋れなかった。
「こらっ、下の子のせいにするなんて、あたしはそんな子に育てた覚えはないぞ!」
思わず説教モードになってしまい、草籠に集中し過ぎた結界、木の根に足を取られてしまう。
「おっととと」
霧の中とはいえ白狐ともあろう者が、つまづくなど恥ずかしい限りだ。
そこを、松永が角で支えてくれる。
「ああ……ありがと松……げえ!?」
振り向けばそこに松永がいた。
楽市の斜め後ろに、ピタリと付けて駆けている。
足音が全くせず、完全に気配が消えていた。
楽市は、その走りに心底驚いてしまう。
「いつ……」
いつからそこにと問おうとしたが、初めからに決まっていた。
「なんて、気配の消し方をするんだ……」
都会に慣れ切った不摂生な白狐には、到底できない足運びだ。
「まーなか、すごいなっ」
「こいつ、すげー」
草籠からは我が家の野生児たちが、称賛の声を送る。
同じハンターとして、通じるものがあるのだろう。
逆に楽市の言葉は、全く通じていなかったわけだ。
走りは止めない。
けれど、いささか楽市の足取りがよろけた。
「松永……あたしたちの心の通じ合いは、いったいどこへ!?」
楽市が恨めし気に語りかけると、松永は小首を傾げて楽市を見つめた。




