023楽市、沢にいく~しなやかな獣~
沢に沿って去っていく獣人兵たちを眺めて、複雑な気持ちになる。
ここで返しても、再び主の命で来るのだろうか。
そして同じことを繰り返す。
そう思うと、何で助けたのか分からなくなる。
「二度目はないから……」
楽市は助けたことに対して、取り繕うようにつぶやく。
――再び、襲ってくるならば殺す
楽市は、鬼の少女を見た。
今は元気だが、あの時のただれて肉塊のようになった姿を、決して忘れてはいけない。
今は霧乃と夕凪が、鬼の少女へしきりに話しかけていた。
鬼の少女は一切言葉が分からないらしく、首を傾げっぱなしである。
それでも夕凪は根気よく自分を指し、「うーなぎ、うーなぎ」と繰り返していた。
次に霧乃を指差し、「きり、きり」と繰り返す。
霧乃も夕凪を遮って、自分で名前を言う。
「きりだよ、きりきりっ」
どうやら二人は、鬼の少女の姉として振る舞っているらしい。
よく見れば、鬼の少女の方が一回り小さい。
美人三姉妹といったところか。
先ほどのやるせない気持ちを脇に置いて、三人のやり取りをぼんやり眺めていると、霧乃が楽市を指差した。
「あれ、らくーち」
何だか物のように、楽市の名を教えている。
「ねえ、らくーちー」
「何?」
霧乃は楽市に声をかけ、鬼の少女を指差した。
「これの、なはー?」
「あれとかこれとか、ちょっと使い方がアレだけど、まあいいか。んー、名前かあ……」
会ったばかりで、いきなり名付けるというのも変な気分だが、霧乃も夕凪も楽市が名付けている。
霧乃からすれば、楽市が名付けるのは当然なのであった。
「なはー?」
「つけろ、つけろ」
霧乃と夕凪が、催促する。
「ちょっと待って、いきなり言われてもなあ……」
そう言いながら鬼の少女を、まじまじと見る。
すると鬼の少女が、すごい嫌な顔をした。
もう唸ることは無いが、未だに心を許してくれない。
楽市と姉妹のどこに、違いがあるのだろうか。
「匂いかな?」
楽市が自分の匂いを嗅いでいると、沢の下流にポツンと、灰色の獣が佇んでいるのを見付けた。
獣人種ではなく、完全な獣である。
体躯はしなやかで肉付きが良く、大柄であった。
額から突き出る一本の角が、白く滑らかで美しい。
初めて見るタイプの獣だ。
こちらを見て逃げるようでもなく、かといって襲うようでもない。
「なにかな、何の用かな?」
楽市がいぶかしんでいると、その脇を鬼の少女が風のように走り抜けた。
沢を下り、獣の首筋に抱きつく。
獣は嫌がらず首を傾け、鬼の少女に頭を擦り付ける。
「角がそっくりだね、まるで親子みたい……」
楽市がそうつぶやくと、聞こえた訳ではないだろうが、獣がゆっくりと近付いてきた。
沢を上り、楽市の手前三歩の距離で止まる。
一緒に上ってきた鬼の少女は、獣の首筋を触りながら何が始まるのかと思い、そわそわする。
すると獣が膝を折り、楽市に首を垂れた。
――おお……
しなやかな獣は、何をしても様になる。
そんな感想を抱きながら、楽市は語りかける。
「礼なの? 気にしないでね。あたしは特に、何をしたわけじゃないんだから」
確かに楽市の尻尾が、ダークエルフたちを蹴散らした。
しかし自分がやったと自覚がない楽市は、気恥ずかしくなる。
「あたしより、この子たちのお陰なんだ。
あたしは何も気付けないんだもの」
そう言って、獣に霧乃と夕凪を紹介した。
二人は、おっかなびっくり前に出る。
すると獣が、二人の顔をぺろりと舐めた。
「ぷくくっ、くすくす」
「くすぐったいな、これー」
一気に打ち解けた霧乃と夕凪は、獣を触りまくりその手触りに夢中になる。
「うわー、すごいなー」
「らくーち、これすごいぞ」
楽市も近付き、獣に触れる。
「あー、これ気持ちいいわー」
楽市は獣を撫でながら、ぼんやりと考える。兄と仲間たち。
そして自分に起きたことを……