199 楽市、豆福のお尻をリズミカルに叩く。
時間が経つのは早いもので、朱儀が昼ごろからトライし始めて、もう日暮れ間近となっていた。
こうなると霧が薄くなり視界が開けたといっても、すっかり暗くて手元が心もとない。
すると幽鬼たちが、巨人楽市の頭上で半透明の身体を震わせて、淡く光りはじめた。
楽市の周りを、照らし出してくれる。
幽鬼たちは楽市を中心にして、五枚の花弁のような位置取りをした。
五方向から均等に照らすことによって、巨人の手元に影を作らないようにするのだ。
(がしゃ、ありがとっ)
(ありがとなっ)
(ありがとーっ)
朱儀を中心にして巨人を操る三人娘は、照らされた石段をゆっくりと這い進んだ。
高度が上がるにつれて気温は下がり、石段に生えるコケの植生が変わってくる。
(あっ、やったっ、ヌルヌル、なくなってるっ!)
(あーぎ、いまだ、いけいけっ!)
(はーい)
別種のネトネトしないコケへと変わっていき、指の引っ掛かりが良くなると、朱儀は登頂スピードをぐんぐんと上げていった。
その頃になると石段の傾斜角度が、ゆうに七十度をこえており、もう石段というより梯子である。
朱儀は光る幽鬼を引き連れて、苦も無くそこを登っていった。
そしてついに霧の漂う高度を突き抜けると、その瞬間、皆で感嘆の声をあげる。
(わああああっ、きれいっ!)
(なんだこりゃ、すごいなっ!)
(まぶしーっ!)
(うわっ凄いっ、豆福ほら見てみなって、あれ? 寝ちゃってるの!?)
(すーすー)
巨人楽市のすぐ足元には、霧が雲海となり、地平の彼方まで続いている。
どこまでも続く雲海。
それだけでも見惚れるほどの景色なのに、西から差す夕日がその全ての雲海を、鮮やかな緋色に染め抜いているのだ。
空も山々も、何もかもが緋色である。
子供たちは夕日の眩しさに目を細めながら、うっとりとした。
特に、霧乃の顔がとろけている。
(ふあああ、すっごいきれい……ねえ、見て見てうーなぎ、すっごいよっ!)
(きり、こーゆーの、好きだよなー)
(うんっ)
夕日は見るみるうちに沈んでいき、反対の東の空が青紫に染まり始める。
低い位置には、白い月が見えた。
青紫はぐんぐん天球を覆っていき、西の空に消える緋色を追いかけていく。
天球を全て覆うと、その色を暗い紫紺へと変えていき、雲一つない懐に満天の星を煌めかせた。
巨人楽市がその真下で、頂上を目指して登り続ける。
頂上までもう少しっ! あと少しっ!
朱儀が最後の石段に手をかけて、巨人楽市の体を勢い良く引き上げた。
上半身まで一気に引き上げると、頂上の平たい岩場へその体をあずける。
巨人の肌を通して、岩の冷たさが心地いい。
その姿を、五体の幽鬼が照らし出す。
(はあはあはあ、あははっ)
(ふうふうふう、ふひひっ)
(やった、やったよっ、きりっ、うーなぎっ!)
雲海を越えて山頂にたどり着いた。
霧乃、夕凪、朱儀の三人は、心象内で抱き合って喜び、ぴょんぴょんする。
(やった、やった、ヌルヌルぜんぶ、のぼったっ!)
(かったなこれっ、やったぜっ!)
(すごい、すっごい、たのしかったーっ!)
豆福を抱く楽市が、三人娘に頬ずりしてベタ褒めする。
(霧乃、夕凪、朱儀すごいよっ、三人ともすごいっ!)
(へへへ……)
(だろー!)
(たのしかった!)
三人もひとしきり楽市へ体をこすり付けた後、夕凪が笑顔で、霧乃と朱儀の肩を抱きよせた。
(きり、あーぎ、もっかいだっ!)
(やるやるっ!)
(やるーっ!)
(いやいや、もういいからっ)
楽市が慌てて止めると、三人が信じられぬといった顔でむくれ始める。
*
楽市たちが星空を仰ぎながらしばらく待つと、ホバリングするドラゴンたちが、次々に頂上へ姿を見せた。
ドラゴンの表情は読みづらくて分からないが、首をしきりに振って辺りを眺めている。
ちなみに人型がしゃたちは、未だヌルヌル階段で苦戦中である。
魚がしゃは途中で魔力切れとなり、石段を勢い良く滑り落ちていった。
恐らくスタート地点で、ピチピチと跳ねているだろう。
(さてとね……) ポンポンポポン ポポンポン
楽市が抱っこしている豆福のお尻を、リズミカルに叩きながらつぶやく。
(ヒノモトだったら、この奥に拝殿があるんだけどな……
こっちじゃ、どうなんだろ?)
楽市は幽鬼たちが照らし出す、闇の奥を見つめた――