192 毛虫楽市、元気な子。
遠隔視に映る北の魔女は、こちらにしなやかな背を向けていた。
細い腰から伸びる尻尾がピンと張られていて、その先は黒妖門にガッチリと食い込んでいる。
イースはその様子を鏡ではなく、肉眼で見つめていた。
ドラゴンが六つの穴の前でホバリングしてくれたので、その手に乗るイースたちは,
お陰でまじまじと見れたのだ。
魔女の尻尾は無数に枝分かれして、まるでツタのように壁に広がり、ベッタリとくっついている。
サンフィルドが目の前のツタと、鏡の中の魔女を交互にみて、何やら身振り手振り喚き始めた。
しかしその声は、落雷の轟音でかき消されてしまう。
それでもサンフィルドは、喚き続ける。
イースはその気持ちが、とっても良く分かるのだった。
なぜならイースも、喚いていたからだ。
イースとサンフィルドはたまらず、お互いの手の平へ指をのばし、文字をカリカリと書き始めた。
(イースっ、あの女は、黒妖門を引き摺り倒すつもりだぞっ!
ここに居るのは、ヤベエって!)
(そうだね、僕にもそう見えるよっ。
だから僕も逃げたいんだけど残念っ、今は無理だよねっ)
(イース、お前は本気で逃げたがってねえだろっ!
ドラゴンをだしにして、本当はホクホクしてんだろっ!)
(そ、そんな事ないよっ)
(いいや、してるねっ!)
*
楽市の周りに雷撃が突き刺さり、手前の地面を吹き飛ばしていく。
土塊がボコボコと高く飛び散って、霧の中で黒い雨のように降り注いだ。
楽市が深く打ち込んだ両腕のアンカーが、雷撃の衝撃で土壌ごと外れてしまう。
尻尾をピンと張っていた分だけ、アンカーが外れた途端に、思い切り背中側へ吹き飛んだ。
大きく弧を描いて、ねじくれた木々の上へ背中から落っこちた。
そこへまた電撃の、ねちっこい集中砲火が押し寄せる。
(わーっ、らくーち、はずれたーっ!)
(なんだ、くっそー、いじわるめっ!)
(ずっるっいーっ!)
(ぶあーっ、はっは、ぶあーっ!)
(もう、絶対ぜったい、許さないっ!)
楽市が怒りに任せて、瘴気のアンカーを更に深く打ち込むと、そこへ黒妖門の雷撃が撃ち込まれ、更に深く掘り返される。
(くっそー、もっと深くだっ、今に見てろよ、このーっ!)
(まけるな、らくーちっ!)
(そうだ、らくーちを、見せてやれっ!)
(みせろーっ!)
(ぽろんしてーっ!)
楽市の前で、大量の土砂が吹き飛ばされていく。
それが散弾のように、楽市の顔へ当たり続けた。
何十回と土砂を浴びて、楽市の顔はもうドロまみれだ。
(まだまだっ!)
楽市は深く食い込ませたアンカーを、力一杯ギリリと巻き上げた。
前進――
つま先の、ほんの先の分だけ前進する。
楽市はアンカーを外されないように、腕以外の全身からも瘴気を伸ばす。
髪の毛から、
角から、
胸から、腹から、
翼、腰、太もも、膝、つま先から。
もう巨人楽市は、人の形をしていない。
黒い毛虫のようになった楽市が、その全身の毛先を地面に打ち込んだ。
楽市は人の姿を捨てて、ジリジリと前進していく。
巨人楽市の尻尾から、グラスを指で弾くような振動音が、立て続けに伝わってくる。
音は滑らかに連なり、その勢いと激しさを増していった。
(やったっ、効いてる効いてるっ!)
毛虫楽市は、黒壁の崩壊音を感じながら、霧の中でにじる。
*
黒妖門は、自己の最期をさとる――
壁の基底部分の亀裂が、もう取り返しのつかない所まで広がったようだ。
黒妖門はその製作者の設計思想から、最後の指示音響を、カルウィズ天領地へ響きわたらせた。
アアアアアァァァァァアアアアアァァァァァアアッ