185 楽市は、かなわぬ夢を想う。
「なになに、なにするの、らくーちっ」
夕凪がワクワクしながら、尋ねてくる。
「まずは、この霧の奥に行こうと思う」
「おく?」
「ここは、あたしの言い方だと境内なんだよ。
国つ神様に仕える、大切な場所。
国とか世界が違っても大切なものって、一番奥のはずなんだ。
そこら辺の気持ちはどこも、変わらないと思う」
「くにっかみさま、おくかっ!」
「うんそう」
すると他の子たちも、早く会いたいと目をキラキラさせた。
「早くいこいこっ!」
「わー、くにっかみさまっ!」
「くーにーさーまーっ!」
楽市は再びパーナたちの首筋へ瘴気の管をつなげると、巨人楽市の中へ戻っていく。
こうして楽市たちは、五体の幽鬼を引き連れて、谷の奥へと進むこととなった。
巨人楽市の足元には、所々背の低い木々が生えるだけで、それ以外はコケの野原といった様子を見せる。
そのコケの野原が奥へ向かって、緩やかな上り坂を作っていた。
周囲の警戒を怠らずに、先へ進む。
一年中ここが霧のためだろうか、日照量が少ないにもかかわらず、コケは水分をタップリと含み肉厚で、一つ一つがやたらとデカイ。
巨人楽市が踏みしめる度に、足裏で大量に潰れてネトネトする。
それを豆福が張り切って伝えてくれるものだから、皆でコケの瑞々しさを足裏で味わっていた。
多少気持ち悪いが慣れてくると、その爽やかな香りとトロミは、まるでオクラのようだ。
楽市はその香りを足裏で転がし、警戒しつつ、かなわぬ夢を想う。
(軽く湯がいて細かく刻ざみ、鰯削りと、白醬油を一回し。
七味を一振りだな。
それを熱々の麦飯か、米焼酎でかあ……)
楽市は夢を追い払うように頭をふって、朱儀へ注意を促す。
(何だかオクラで滑るから、気をつけてね)
(はーい)
少し進むと、バラバラとなった巨大スケルトンの骨を見つけた。
バラバラでもその特徴的な形状から、魚型がしゃだとすぐに分かる。
頭骨が二つ。
他にも背骨や尾ビレが散乱している。
(やっぱり来てたんだね……)
楽市は見えないと分かっても、周囲を見回す。
(多分、兄弟全員来ているんだろうな)
見たところ、粉は吹いていない。
これならば、楽市の瘴気で修復できるだろう。
(ごめんね奥から戻ったら、すぐに直すから。
これあの子が見たら、すっごい怒るだろうなー)
楽市は黒壁にステイさせた、魚がしゃを思い浮かべる。
乳白色の薄雲の中を、巨人楽市が行く。
木々も生えコケむしているのだから、獣の一匹でもいるだろうが、その気配は無く静かなものである。
巨人楽市が歩く、ヌチャリとした足音だけが耳に入ってきた。
それ以外は何も聞こえない。
まあ巨人楽市の行くあとは、祟られて獣の住めぬ場所となるため、いるとしてもとっくに逃げているだろう。
楽市は、できるだけ瘴気が漏れぬように注意する。
(ああ、何だか申し訳ない……)
体は祟り神でも、心は国つ神に仕えていた頃のままなので、楽市は瘴気で場を汚すことに、とても心苦しいものを感じていた。
それはもし此処にヒノモトの中学男子などがいれば、心躍るような吐息として現れる。
(あふん、うん、んんっ、ふう……)
(らくーち、なんか、うるさい)
(こえが、きもちわるい)
(あふん、うふん、あはは)
(ふー、ふー、ふー)
だいぶ、歩いたのだろうか?
代わり映えのしない霧の中なので、自分たちがどれ程歩いたのかよく分からない。
楽市がまた吐息を漏らしてしまい、五月蠅いキモイと罵られていると、目の前に石段が薄ぼんやりと現れた。
(なんだー、これ?)
(ついたっ!)
(ついたのっ!?)
(ふおっ?)
いい加減歩き飽きたので、霧乃たちが喜びの声を挙げると、楽市が首を横に振る。
(ううん、あたしの思うような物なら、これがずっと山頂まで続いている。
ここからが、長いかも)
楽市はそう言って、上を見上げた。
石段と言っても巨人楽市に丁度良い石段で、通常の獣人などが見たら、それは高さ三メートルの石壁にしか見えないだろう。
その石壁が段々となって連なり、上へと続いている。
まだ続くのかと、ぶーぶー言っている霧乃たちの横で、楽市は石段を懐かしそうに見つめていた。
もう長いこと、誰も登り降りしていないのだろう。
石の階段にもびっしりと、肉厚のコケが生えている。
その角は長年の経年劣化で、丸みを帯びてなだらかだ。
石段の中ほどは他の部分よりも、緩やかに落ちくぼんでおり、楽市はそこを愛おしそうに眺めた。
この石段を多くのドラゴンたちが、登り降りしていたのが伺える。
長年ドラゴンたちの足裏で削られて、中ほどが落ちくぼんでいるのだ。
飛べるはずのドラゴンが、わざわざ歩いて参拝する姿を想像する。
楽市はそこに、純粋な想いと敬虔の深さを感じた。
楽市はそれが今、潰えていることに自分を重ねて、
苦々しく思い、
腹立たしくもなり、
物悲しくなる。
(朱儀、オクラに気を付けてね……)
(え? うん)
楽市はコケを勝手に、オクラと名付けていた――