180 その声は何度も囁く。
霧に煙るテラスにて。
リールーは立ち続けるのも疲れるので、石の床にぺたりと座り込み、遠隔視を操作する。
その両脇では既に座り込んでいた、イースとサンフィルドが、それぞれに遠隔視を発動させて覗き見ていた。
遠隔視が三面鏡のように並ぶ。
その前にイースたち三人、その後ろから竜の頭が覗くという、新フォーメーションで戦況を観察している。
イースたちはお互いの鏡を覗き合い、あちらがどうとか、こちらがどうとかと、様々な角度で北の魔女を見る。
男たちの鏡が巨大化した魔女の、控えめながらもツンとした形の良い胸や、腰からの見事な曲線に寄りがちなのは、致し方ないだろう。
ただしあまりにも寄り過ぎて、“飛び跳ねて揺れやがるっ!”など、感嘆の声を上げ過ぎると、リールーから肘や裏拳が飛んできた。
今は手の平から迫り出した、銀髪の魔女本体が、色々な角度で遠隔視三面鏡に映し出されている。
その美しい横顔は、いささか緊張しているようにも見えた。
鏡では音声は拾えない。
しかし魔女が唇を開き、何事かやり始めたのは分かった。
それが何なのか分からなかったが、暫く経つとテラスに不思議な歌声が響き始める。
ゆっくりと揺蕩うように流れるそれは、鏡に映し出される魔女の口元と同期していた。
リールーは小首を傾げる。
「この音は、北の魔女の歌声なの?」
歌というよりも、声による演奏といった感じだ。
それも一人ではなく何十人もがそこに居て、声を重ねているように聞こえる。
リールーの横でイースもうなずく。
「どうやら、そうみだいだね。
でもどうやったら、一人でこんな音が出せるんだろう?」
イースが興味深げに聞いていると、突然に音色が外れて、素っ頓狂な音が混ざり中断する。
鏡の中の魔女が、咳き込んで顔を真っ赤にしていた。
「あれ、間違えたのかな?」
「こんな所で歌うなんて、何考えてんだ? アレ?」
「へえ、間違える事もあるんだ、ふふふ……」
再び始まった歌声を聞きながら鏡を覗いていると、後ろから覗くシルバーミスト・ドラゴンが、かぎ爪を伸ばしサンフィルドを脇へ押しのける。
「ちょっ、何すんだっ!
うわっ怖え、爪やめろよっ、分かったよ何だってんだよっ!」
シルバーミストは、サンフィルドをどかせると、鏡の前で巨大なかぎ爪を動かし操作し始めた。
「うわっこいつ、操作できんのかよっ!?」
サンフィルドが驚いていると、イースが感心する。
「へえ、ドラゴンなんだから、魔法ぐらい使うだろうけれど、僕たちの言語体系の魔法も操作できるんだね。
ドラゴンの使う魔法とは、かなり違うはずなのに。
ここの守護者なんだから、僕らの言語に
精通していて当たり前なのかな?」
イースが熱心にかぎ爪の動きを見る横で、リールーが鏡を覗きながら、柔らかな頬を膨らませる。
「ねえ、ドラゴンたちはどこへ逃げたの?
やっぱり霧に溶け込んで、スキを狙っているのかしら?」
その口ぶりは消えたドラゴンへ、“逃げるな戦え”と腹を立てているようでもあり、逆に不意討ちされるのではないかと、魔女の安否を気にしているようでもある。
「さあ、どうなんだろうね?」
イースが鏡を動かして、消えたドラゴンを探してみるが、映るのは霧ばかりで何も見つけられない。
するとかぎ爪がイースを優しく押し退け、イースの鏡を操作し始める。
「お、何だい?」
かぎ爪が手早く操作すると、鏡の中に宮殿の前で陣取る、ドラゴンの姿が映し出された。
リールーが、イースの鏡を覗き込む。
「あー、そうなんだ。
そこがドラゴンたちの、最終防衛線ってわけね。
皆が自分の宮殿を、守っているわけか。
ありがと、教えてくれて」
リールーはかぎ爪ではなく振り返って、後ろに陣取る大きな赤黒い瞳へ手をふった。
縦に割れた虹彩が広がり、シルバーミストの喉がぐるると鳴る。
イースが何だか嬉しそうだ。
「やっぱり、僕たちの言葉が分かるんだね。
いいよ、そのまま僕の鏡も使ってごらんよ。
僕は隣で見ているから」
リールーとドラゴンの操作する三面鏡の中で、北の魔女が歌い続けている。
霧の向こうから聞こえて来る声は、ゆったりと揺れながら、短いフレーズを何度も何度も繰り返していた。
それを聞いていると、何だか肩を優しく揺らされて、
ねえ、ねえ、ねえ、ねえ、と、
囁かれているような気分になってくる。
サンフィルドが欠伸をした。
「何だか眠くなってくるよな、これ」
「なるほど、これはそういう、魔法攻撃かもしれないね。
ふああっ……」
「イースこんな効きの悪い、睡眠魔法なんて意味あるの?
ふあ……」
三面鏡の前で、うつらうつらするイースたち。
その後ろで巨大な赤黒い瞳が、鏡に拡大された魔女の口元を、ジッと見つめていた。
そうしながら、もう一つの鏡を手早く操作して、各宮殿に陣を取るシルバーミストたちを覗いていく。
シルバーミストたちは、宮殿からジッとして動かない。
直接戦闘していたものだから、その警戒心は強く、鏡越しでもピリピリしたものが伝わってきた。
シルバーミストは魔女の口元と、宮殿のドラゴンたちを暫く見つめていたが、ふとかぎ爪を鏡から離す。
テラスに横たえていた、大きな頭を持ち上げる。
翼の出力をわずかに上げて、ゆっくりと巨体を上昇させていった。
鏡の前に座り込むイースたちは気付いていない。
浅い微睡みに、落ちているのだろう。
テラスを見つめながら、離れていくドラゴンは少し考えた。
ここで離れたら、宝が逃げるかもしれないと。
ドラゴンは数度瞬きをしてから、ゆっくりと降下していき、その両腕をテラスへ伸ばす。
――持っていこう
そう考えてダークエルフ三人を、むんずと捕まえた。
「うわっ、びっくりしたっ!」
「何だっ、どうした!? 何で俺、握られてんのっ!?
やべえっ、死ぬっ!」
「ちょっと、何してんのっ!?」
――ぐるる
ドラゴンにとって大切なのはイースなのだが、いつの間にかリールーとサンフィルドも、気に入ったようである。
自分の宝物リストに、入れたかもしれない。
シルバーミスト・ドラゴンは、三人をそっと握りしめながら、霧の中をゆっくりと飛んでいった。