179 その声は低くたゆたう。
こちらの世界で何というのか分からないが、楽市の中でここは間違いなく、境内と呼ぶべきものだった。
いや、境内だったというべきか?
(すごく、嫌な所が似ているっ)
あまりにも活気が無く、抜け殻のよう。
土の味に含まれるものは弱々しく、それは現役というよりも、そこにかつて在ったもの。
境内だったものの残照。
そんな所がとても、楽市の居た“藤見の社”に似ていた。
だからこそ、そこに既視感を覚えて心に引っかかったのだ。
藤見の社が今も活気づき、人々の心を繋ぎ止めていたならば、楽市はこの地に既視感など抱かなかっただろう。
最後まで、気付かなかったかもしれない。
(けーだいって、なんだー?)パン パン
(なんだ、なんだ?)パン パン
(らくーち、かおが、へん)ぴょん ぴょん
(まったく、もー)
楽市がいきなりのけ反って、挙動不審となり、変なことを言い出したので、“楽市罵倒包囲網”は自然消滅となった。
怒りよりも、お前大丈夫か?と言った気持ちが、子供たちに湧いてしまったのだ。
痒みがまだ治まらないので、皆でパンパンしたり、ぴょんぴょんした。
仲良く挙動不審である。
楽市は心象内で、嫌な汗を流す。
ここがそうだと気付いた事で、喜びと不快感が同時に湧きあがり、落ち着かなくて仕方がない。
(境内ってのは、あたしが前にいた所なの)
(らくーち、ここにいたの!?
え、じゃあ、あいつら、友だちーっ!?)
(えっ、いっぱい、コロしちゃったぞっ!?)
(えーっ、ともだちっ!?)
(ふあーっ、ころしたーっ!?)
(違う違うっ、ここによく似た所に居たの。
ドラゴンとは、友達でも何でもないよっ)
(はー、びっくりしたっ)
(なんだよ、もーっ)
(ふー、よかったー)
(もーっ)
(でも)
友達ではないが、恐らく似たもの……楽市はそう感じていた。
霧乃たちがホッとする中、楽市の心は晴れない。
藤見の社へ白狐たちが仕えていたように、ここでは白いドラゴンが?
(……確かめなきゃ、駄目だろこれ)
巨大な楽市が左手を胸の前に掲げて、手のひらを上にする。
その黒い手にも、金色の流線が幾筋も描かれており、巨人独特の手相のようだ。
その中央がトプンと波打ったのかと思うと、白銀の頭が出てきた。
澄ましていれば素敵なお姉さん、楽市である。
ゆっくりと、舞台役者のようにせり上がってきて、美しい肢体を霧の中にさらす。
その表情は、とても顔色が悪く硬い。
それも当たり前な事で、戦闘中にひょっこり生身で出るなんて、ここに居るから殺してくれと言っているに等しい。
相手は霧の中に溶け込めるので、すぐ近くに居るかもしれない。
一瞬だけ現れて爪を一掻きすれば、それだけで楽市は終わりだ。
楽市自身も、それが分かっているからこその硬い表情である。
漂う霧の幽かな濃淡をドラゴンと見間違えて、ビクッとしてのけ反っている始末だ。
(うひいっ!)
(らくーち、やめろっ、もどれーっ!)
(しぬぞ、らくーちっ!?)
(わー、みるの、こわいっ!)
(こーわーいーっ!)
霧乃たちが叫ぶ中、楽市は戻らない。
確かめると言って急に飛び出したのだが、一体何を確かめるのか?
「あ……あんたたち、痒いのちょっと我慢して、ジッとしててねっ!
それとしっかり、周りを見張ってねっ!
絶対だよっ!
絶対見ててねっ!
幽鬼たちも絶対だよっ、たのんだよーっ!」
楽市は瘴気の枝先を伸ばして、巨大幽鬼たちに何度も指示を送る。
五体の幽鬼は、手に乗る楽市を中心にして、巨大な黒い楽市を取り囲んだ。
楽市は、胸に手を当て深呼吸をする。
「それじゃ、いきますっ」
楽市は、己の声を奏で始めた。
その声は低い音域から始まって、ゆったり揺蕩う。
充分に低音域を揺らしたのち、少しづつ高さを上げていく。
途中から自分の声に、少しづつ高さを変えた声を重ねる。
二重、四重、八重、十六重、三十二重、六十四重と、歌声が分厚くなっていった。
重ねた声を一度キュッとタイトにして、更に一段階うねりを高めようとしたその時、
――ひょへっえ~、ゴフッ、ゴホホッ!
今までのハーモニーを、ぶち壊す裏声が出てしまった。
「緊張して、一番高いとこ……間違えちゃった」
楽市は青かった顔を、赤面させながらやり直す。
「こほん、それじゃいきますっ」