178 白い竜と白い狐。
五体の幽鬼に守られながら、朱儀は修復された黒い楽市で、残りの黒妖岩を粉砕する。
充分に穴が開くと、朱儀は幽鬼と共に霧の中へ飛び出した。
続いて飛び出そうとする巨大スケルトンたちを、手で制し辺りを見る。
朱儀が出たとたんドラゴンの攻撃が止み、その姿も霧の中に消えた。
朱儀は小刻みに跳ねながら、頬っぺたを膨らませる。
(あーもー、また、にげたーっ!)ぴょんぴょんぴょん
鬼の子は“戦えぬこと”を悔やむが、霧乃と夕凪はそれどころでは無い。
瘴気で治ったばかりの、がしゃの傷が痒くてたまらないのだった。
(あ゛ー、またかけないっ、ほね、かゆーいっ!)
(たたけ、きり、たたけー、こうっ!)パンパンパン
朱儀から腕の主導権をぶんどり、体中を叩き続ける。
その横で、楽市も悶えていた。
(うわっ、今回はあたしも痒いのかっ。
これ、ちょっとヤバイなっ)
すうーー……
(ん……ふう)
急に楽市の表情が、穏やかとなり吐息をはく。
すると直ぐに霧乃たちが、その穏やかな異変に気づいた。
(あー、ずるいっ、らくーちだけ、ぬけてるーっ!)
(もどってこい、らくーちっ、ずるいーっ!)
(らくーち、ひどい……)
(あ)
戦闘中なため、運動野から抜け出せない霧乃、夕凪、朱儀の三人は、痒みガマン仲間だと思っていた楽市の裏切りに激怒する。
(ずるいっ、ゆるさないっ!)
(大きなこが、することかーっ!)
(らくーちーっ!)
さっきまで楽市のことを、キラキラの瞳で見つめてくれた子供たちが、今はゴミを見るような目つきで、楽市を見つめていた。
高速で自分の威厳が吹き飛んでいくのを垣間見て、楽市はその落差にクラリと来てしまう。
これはいけない。
(あーっ!
へへへ、冗談じょーだんっ。
ほら、戻るから……はい、戻ったー。
ねっ! あーこれ、痒いね、あはは)
(ふんっ)
(ふーんだっ)
(らくーちー……)
そんなプンスカする姉たちを、豆福が不思議そうに眺める。
(きり、うーな、あーぎ?)
豆福は足裏からの外部情報を、ひたすら皆に送り続けていた。
この場合、足裏だけの感覚にリンクして集中するので、他の部分の痛みが良く分からないのだ。
(まめ、きいてー)
(まめ、あのなー)
上の子二人が豆福も引き入れて、“楽市罵倒包囲網”を完成させようとするので、楽市が慌てて遮る。
(あー豆福、もっと味欲しいなー、味っ!
豆福の情報もっと欲しいなーっ、らくーちさんっ!)
(え? うんいーよ、えいっ)
(ありがとーっ!)
豆福の送る土の味が、楽市の足裏で“味”として広がる。
味と言っても、口の中に広がる味とはちょっと違う。
楽市は自分の感覚ではなく、豆福の植物としての感覚を通して味わうのだ。
それは単純に土を口に含むような、ドロ臭いとか、そういったものではない。
植物の根が、土の養分を吸うときの勢いや喜びを、根を持たぬ楽市が味覚として知覚する。
これはとても不思議なもので、まさに感覚を共有するからこその面白さだ。
逆に楽市が感覚を共有したまま、口一杯に肉をほうばれば、今度は舌に味蕾を持たない豆福が面白がるだろう。
楽市は足の裏に広がる味を、心象内の舌で転がしながら目を見張る。
(あれ、これって……!?)
少し前から感じていた既視感がさらに強くなり、楽市の心をざわつかせる。
楽市は、先ほど飛び出してきた穴を見る。
黒壁の外と内では、明らかに内側の方が、土の味に含まれる何かが強くなっていた。
楽市は痒みも忘れて、自分の中の記憶をひっくり返す。
一体何が、これほど気になるのか?
すると突然、土の味と記憶が結びつき思わずのけ反ってしまった。
(ああああっ、これはっ!)
気付いてしまえば、それは何て事のないもの。
楽市にとって、とても馴染み深いものだった。
ただ植物としての土の味など味わった事が無かったので、ピンとくるまでに時間がかかってしまったのだ。
(ここ……境内だ……)
楽市はそうつぶやくと、急に頭を抱えた。
(ちょっと待って!?
ここが境内だとすると……白いドラゴン……
白いドラゴンって……ああああっ!)
楽市は慌てて、心象内で霧乃たちに振り返る。
(ねえ聞いてっ、ここってっ……あれ?)
見れば豆福が、霧乃と夕凪からすっかり聞いて、生ゴミを見るような目で楽市を見ていた。
(らくーち……もー)
(あれーっ!?)
楽市罵倒包囲網は、すっかり完成されていたのである――