169 ダークエルフをペロリと舐める。
黒妖門の防衛網はある種、門の形をしたストーンゴーレムと言っていい。
門自身に、防衛へ特化した意識を与えられている。
門は体に開けられた穴を、大変に憂慮していた。
八百体放出した黒妖兵は、霧の彼方から戻ってこない。
地表から伝わる振動で、霧の向こうに、巨大な存在を幾つも感知していた。
黒妖門建設以来、初めての危機を迎えたと言える。
四千年来、一度たりとも無かったことなのだ。
このままでは、なし崩し的に突破されると判断した黒妖門は、カルウィズの避暑地に協力を求める。
この辺の素早い判断は、無人防衛の良さが現れていると言っていい。
四千年カルウィズを守って来た、“誇りや面子”などと言った不効率なものに、左右されないからである。
チリン チリン チリン……
*
イースたちがコソコソして、逃げる逃げないで揉めていると、遠くから“鈴の音”が聞こえてきた。
「ん、何だろうねこの音?」
「イース、話を逸らすなって」
「いや本当に、聞こえてくるんだよサンフィルド、ほら」
「んん!?」
チリン チリン チリン……
「うわ、本当に聞こえるっ。
何だよゴーンだの、カーンだの、チリンだのって。
今日は何なんだよ!?」
三人の傍らで喚いていた“影”も、いつの間にやら押し黙り、鈴の音に耳を傾けている。
「なるほど……早い判断だな。
もう少し頑張れよと言いたい所だが、その判断は正しいのだろう。
それ程の相手か、北の魔女め……」
影は黒妖門を見つめる、イースの横顔へ語りかける。
「イース・エス……君は面白いから、一つ伝えておこう。
早くここから脱出しろ、いいかい? 伝えたよ?
早く……」
そこまで言って影は、ゆらりと霧の中に溶けて消えていった。
それに、最初気付いたのはリールーである。
「あれ!? ねえ、居なくなってるわ、あの方!?」
「あっ、本当だっ」
「まじかよ!?」
「ねえあの方、何か言ってなかった?」
「ごめん、僕は門を見ていて聞いてなかったよ」
「俺も」
「んもうっ」
チリン チリン チリン……
イースたち三人は、鈴の音に耳を傾ける。
「消えたのは絶対、この音に関係あると思うっ」
リールーが言うと、二人がうなずく。
「そう、みたいだねえ……」
「なあイース、早く逃げようぜえ」
*
カルウィズの避暑地には、多くの宮殿が建てられている。
それぞれが金と時間を惜しまずに、様々な意匠をこらされており、その宮殿群は歴史的に重要な文化財といえた。
宮殿一つ一つが、宝なのだ。
その宝たちに、鈴の音が響く。
ある一定の周波数と、リズムで奏でられるその音は、黒妖門からの救援要請であり、目覚めの音でもあった。
宮殿の周りで揺蕩っていた霧が、ゆっくりと集結し凝り固まっていく。
それは何千年も霧としてあり、宮殿を守護していたもの。
財宝に固執し、守護する習性を利用されて、宮殿を我が宝と思い守護するもの。
水属性である霧が凝集し、質量を一瞬で総転移させた。
それは、肉の身へと移り変わる。
その名は、シルバーミスト・ドラゴン。
全長は三十メートルを優に超え、全身は白銀の鱗で覆われていた。
巨大な翼からは力場を発生させ、はためかずとも、その場でホバリングしている。
凶悪なかぎ爪を持ち、太い尾をゆっくりと揺らしていた。
縦に割れた虹彩。
その赤黒い瞳を傾けて、シルバーミスト・ドラゴンは霧のテラスを覗く。
テラスには、赤い礼服を着た三人のダークエルフがいた。
知らぬ顔だが、それは関係ない。
大事なのは匂いだ。
中央に立つ、オスの匂いを嗅ぐ。
シルバーミスト・ドラゴンは、その匂いに大変満足した。
我が守護すべき、エス型の匂い。
守護対象は宮殿と一緒に、エス型ダークエルフも含まれているのだ。
シルバーミストは長い舌を伸ばし、中央のダークエルフをペロリと舐める。
久しぶりに動く我が財宝を眺めていると、谷のあちこちから悲痛な叫び声が聞こえた。
遠隔視は、手頃な魔法である。
もしカルウィズの谷に、ゴーンだのカーンだの奇妙な音が響いたならば、気軽に鏡を使い確認しようとするだろう。
避暑地に集まった王族たちは、鏡を発動させ覗き込む。
そして、不用意にズームアップした。
彼らにとって北の森の出来事は、遠い世界の話である。
当然、聖属性と水属性を結合させた、バングルなど身につけていなかった。
ダークエルフは、獣人ほどタフではない。
気づけば体が動かなくなり、眠るように死んでいくのだ。
異変に気づき駆け付けた従者も、発動したままの鏡に近づいて倒れていく。
さすがと言えるだろうが、その中に建国世代の死体は一つもなかった。
死体は全て、建国後に生まれた王族たちである。
シルバーミスト・ドラゴンは、一つの宮殿につき一体、守護者として存在している。
谷のあちこちから聞こえてくる声は、各シルバーミスト・ドラゴンが、己の宮殿でその哀れな死体を見つけて、悲しみに暮れる咆哮だった。
チリン チリン チリン……
黒妖門からの救援要請が続く。
シルバーミストたちは、悲しみの咆哮を怒りの雄叫びに変えて、黒妖門へ向かう――
ペタペタペタ
「リ~ル~」
「ちょっと、イースこっち来ないでよっ、涎でベトベトしてるうっ!」
ペトペトペト
「サンフィルド~」
「こっち来るなよっ、抱きつくなっ、わーーーっ!」
*
怒りの雄叫びは聞こえなくても、黒妖兵を相手に暴れる者にとっては、それが超強力な生命反応としてギンギラに見えた。
腹が立つほどギンギラギンだ。
がしゃたちは、その手に握る黒妖兵を投げ捨てて、次々に光に向かって前進した。
――こんな奴を、相手にしている場合じゃねーっ!