162 イースとサンフィルドの手
かぽーん
カルウィズ天領地にある宮殿の一つ。
そこに施設された大浴場で、リールーは肩まで湯船に使っていた。
人肌のぬるめな湯に包まれて、ほうっ……と息を吐き、こめかみから汗をながす。
天然白マフル石をふんだんに使った浴場は、バカみたいにデカく無駄に凝っている。
領主の趣味もあるだろうが、ここに迎えられた客人を驚かせるためだろう。
執拗に細やかな彫刻が、ゴテゴテと盛られている。
ただただ、対外的な見栄だけで作られたような浴場だ。
その全体像は湯けむりと、どこからか入ってくる霧によって、白くぼやけて良く分からない。
リールーはお団子にした銀の髪を、苛立たし気に揺らしている。
両脇に浸かっている、イースとサンフィルドの手の平を、細い指先でカリカリと引っ掻いていた。
別に、男の手を引っ搔く趣味はない。
手の平へ、文字を書いているのだ。
今はちょっと、声を出して話したくない。
どこで誰が聞いているか、分からないからだ。
リールーは両手で器用に、男たちの大きな手へ苛立ちをぶつけていた。
(こんな時に、避暑地でのんびりってどういう事?
何を考えているの!?)
現在ソービシル国家連合では、北の魔女が放った、凶悪な巨大アンデッド軍によって、多くの小国家が崩壊しかかっている。
それなのに中央の王族たちは、霧深い避暑地でバカンスなのであった。
これは一体どういう事かと、リールーは大変に腹を立てる。
リールーの手の平に今度はサンフィルドが、長い指の先で文字を返した。
(仕様がないだろ。
ど田舎での獣人の武装蜂起なんかで、王族がビビる訳にもいかねえよ。
これでビビって、夏の養生を取り止めなんかしたら、それこそ、国家の面子が崩れるって)
(はあっ、ど田舎の武装蜂起?
化け物じみたあれが、ただの武装蜂起っ?
サンフィルドっ、目の前で見といて、そんな風に感じていたのっ!?)
(いや違う、俺じゃなくて中央だよっ。
中央の奴らは、恐らくその程度の認識しかねえんだよ)
(なんでよっ!)
(それが、貴族ってもんだろ?
五〇〇〇年、太平が続いてんだ。
俺たちみたいに、目の当たりにしなきゃ想像できねえって、こんな事態)
何もかも上手くいっている、ダークエルフの社会。
それが、五〇〇〇年続いているのである。
この裏付けによって、王族・貴族たちは、これからも未来永劫ダークエルフの栄華が続くことを信じて疑わない。
疑う余地が全くない。
そんな中、辺境で争いが起きたからといって、自分にまで繋がる出来事だとは、どうしても思えないのだ。
(あたしたちの報告を、読んでないっての!?)
(知るかよ。
そういった細々としたことは、家臣の仕事だろ?
読んでねえよ多分)
(あー、腹立つ、すっごい腹が立つっ!)
そう書きなぐって、リールーはサンフィルドの細身の肩を、バンバン叩いた。
「痛てえって、何で俺が叩かれんのっ!?」
サンフィルドは、思わず声が出てしまう。
イースがそっと、リールーの柔らかな手の平に文字を書く。
(リールー落ち着いて、報告書はたぶん読んでいるよ。
だから僕たちが、ここへ呼ばれたんだと思う)
(なら、良いんだけどね……でも)
リールーはまだ納得しておらず、むくれたまま湯船から立ち上がった。
褐色のなめらかな肌から、湯の雫が流れ落ちる。
雫が指先から玉となり、また湯船へ戻っていく。
まあ男たちは指先など見ずに、濡れてテカテカの丸い尻を、眺めていたわけだが……
リールーはザブザブと歩き、湯船の中を突きって行く。
イースたちは、湯船の一番奥まった場所に浸かっていたのだ。
ハニーブラウンのくびれた腰と豊かな尻が、湯けむりの中へ溶けるように消えていった。
それを愛でてから、サンフィルドがイースの手の平へ文字を書く。
(俺たちに直接聞きたいことって、何だよ?)
(さあ、何だろうね。
ちょっと気が重いよ僕は)
(おっ、一緒に痩せるか?)
(いやだよ僕は)
イースとサンフィルドが、お互いの手の平に書き合っていると、白い湯気の向こうから二人を呼ぶ声が聞こえた。
これから謁見の時間までに、身支度を整えなければいけない。
リールーはむくれながらも、宮殿側で用意された紅いドレスを、楽しみにしているのだ。
二人は肩をすくめて、湯船から立ち上がった。
リールーと同じように、湯船の中を突っ切る。
イースとサンフィルドの褐色の背中が、湯けむりの中に消えていった――