153 「ざまぁ、ですか?」 「ざまぁだよっ」
嗅いだことのない、良い匂いがする。
霧乃の目の前には大きな葉っぱや、紙のような薄い木の上に、様々な肉料理が並べられていた。
霧乃はどれから食べようかと、目移りしたが、まずはこれぞ肉といった感じの串焼きを手にする。
大ぶりの肉が、串に四つ刺してある物だ。
夕凪たちも同じ考えのようで、みんな串焼きへ真っ先に手を伸ばした。
やはり食べ慣れた物に、近いものを選んでしまう。
ここは、野生に生きる者の慎重さが出ている。
霧乃は期待が膨らむものの、いつものノリで肉に齧りついた。
その瞬間、霧乃に電流が走るっ。
「んーーっ!」
尻尾をパンパンに膨れ上がらせ、目を丸くして思わず夕凪を見た。
夕凪も口にいっぱいに、頬張りながら霧乃を見ている。
夕凪の尻尾もパンパンだ。
肉の旨味とは別に、その旨味を引き立てる刺激。
そして、鼻から抜ける濃厚な香り。
それらは妖しの子が、初めて体験する塩の刺激、そして獣脂を醗酵させたペーストの香りだった。
霧乃と夕凪は口の中で爆発した大事件を、どう表して良いのか分からなくて、立ち上がり暴れた。
いや、踊りだろうか?
「ん゛ーーっ!」
「ん゛ーーっ!」
二人の間に座っていた、朱儀と豆福も立ち上がっている。
朱儀も口いっぱいに頬張って、手足をバタつかせた。
「んふーーっ!」
豆福は小さな両手に、肉を挟みながら小躍りする。
「あー、なーにっ、これーっ!?」
子供たちは河原の石をガチャガチャと踏み鳴らしながら、喜びを表現した。
「ん゛ーっ! なにこれ、すっごいあまいっ!」
「ん゛んーっ! すごい、すごい、あまーいっ!」
「んふーっ、くふうっ!」
「なーにーこーれーっ!?」
霧乃たちの“あまい”は、旨いの意味である。
パーナとヤークトは、子供たちのハシャギようを見てあっけに取られてしまう。
そして楽市の反応にもまた、驚かされるのだった。
楽市は目を潤ませながら、喜びを噛みしめている。
ムネ熱で肉を頬張って、うなずいていた。
「んー、ぐす、んー、味がする……
これで、お酒があればなあ……ぐすっ」
なんとツァーグでは、屋台で酒を売っていなかった。
地方の習慣は色々とあるが、ツァーグでは酒を屋台で売らない。
酒とは、酒場か自宅で飲むものらしい。
まさか松永を連れて、酒場に行くわけにもいかず、今回は泣く泣く諦めたのだった。
「ぐすっ……」
「ラクーチ様?」
「えー!?」
パーナとヤークトはかつてこれ程までに、屋台の料理で喜ぶ者を見たことがない。
確かに旨いのは分かる。
しかし、それほどのモノなのか!?
二人がジッと見つめていると、楽市が手を差し伸べて、パーナとヤークトにも促した。
「さあ……おたべ、ぐすっ、おたべよお……」
言い方が何だか、お祖母ちゃんみたいだ。
「あ、はいっ、では……」
「それではっ」
パーナとヤークトは勧められるまま、手前にある揚げ物を手にして食べる。
二人も空腹なので、確かに旨い。
しかし言ってみれば、屋台の馴染みの味でフツーだった。
「あまいーっ!」
「あまーいっ!」
「あま、あまっ!」
「ままーっ!」
楽市は“あまい”を連呼し、手当たり次第に貪り始めた野生児たちを見る。
その喜びようにうなずきながら、脇に置いてあるオレンジ色の果物を手にした。
オレンジ色で目立つのだが、明らかに肉料理ではないので、霧乃たちは完全に後回しとしている。
形はバナナに似ており、楽市も初めて見るが、甘く漂う匂いからしてこれは間違いないと思われた。
皮をペロリとむき、少し千切って頬張ってみる。
そして大きくうなずく。
楽市は、狂乱の子供たちに語りかけた。
「よし、君たちに、真の甘いを教えてあげよう」
「ん、なになに、しん?」
「なんだー、らくーちっ」
「らくーち、これ、たべてみてっ!」
「らくーち、これーっ!」
楽市は朱儀と豆福が無理やり突っ込んできた、肉を頬張りながら、バナナモドキを小さく千切って手渡していく。
「もご、はいこれ。
モグモグはいどーぞ、それじゃ、いっせーのせで食べてみて」
――いっせーのーせ、 パクリ
「ん゛ーーっ!」
「ぐぐーーっ!」
「ぶふーーっ!」
「あはーーっ!」
その直後子供たちはバナナモドキの取り合いをして、また皆で踊り出すのだった。
*
狂乱の宴のよこで、パーナとヤークトは普通に食べることにした。
食べながら楽市が落ち着いてきた所を見計らって、ヤークトはツァーグでのことを尋ねる。
「ラクーチ様、先ほど兵士から聞いたことなのですが……」
「もぐもぐ、あっそうだったよね、話さなきゃね。
えっと、あれはどうかと思ったよ」
がしゃがツァーグを襲撃したとき、まず獣人兵が対応した。
しかし、がしゃが近付くだけで、獣人は次々と行動不能に陥ってしまう。
瘴気に侵され体の動かぬ獣人兵のよこで、ダークエルフ兵だけがピンピンしていた。
そこで必然的に、がしゃ対ダークエルフの戦闘が始まったのだ。
だがダークエルフの攻撃は、ことごとく効かなかった。
楽市は苛立たし気に、尻尾を左右に揺らす。
「だからって、フツーは部下を置いて逃げないでしょ。
どうなってんの、ダークエルフって!?」
「それは……その」
ヤークトは、複雑な気持ちになる。
楽市に付いて行こうと決めたものの、まだダークエルフを敬う気持ちが、抜けた訳ではないのだ。
恐らく今後も、完全に抜けることはないだろう。
獣人はダークエルフの部下である以上に、盾なのである。
ヤークトがまごついていると、楽市が気持ちを先回りした。
「分かってるって、それがフツーだって言うんでしょ。
そこら辺は、ナランシアから散々聞いたよ。
それでも納得いかないものは、納得いかないってのっ」
「ナランシア……さんですか?」
楽市と獣人の話をすると、何度かその名が出てくる。
「まああたしは、がしゃの方を心配しているし、そのがしゃが獣人を襲っているんだから、言えたことじゃ無いかもしれないけどさ」
楽市はそう言って、頬を膨らませる。
「ラクーチ様……」
「でもさダークエルフは、がしゃに対して勘違いをしているんだよ」
「勘違い?」
「がしゃは、あたしの居た所じゃ、
怨霊とか、
悪霊とか、
妖しとか、
色々と呼ばれているんだけど、ざっくり言ってアンデッドだよ。
ダークエルフは、そのアンデッドの習性を軽く見ている。
アンデッドは、より元気なヤツを襲うんだ。
それともう一つ。
殴ってきた相手を、そうそう許すわけないでしょ?
アンデッドが」
アンデッドは、より生命力の強い者を憎む。
だから足元で転がっている死にかけより、遠ざかろうとする生きの良いヤツを追いかける。
しかもそいつらは、散々アンデッドを殴っておいて逃げるのだ。
「ダークエルフは獣人をエサにして、逃げたつもりだろうけど、それが結果的にツァーグの獣人を助けることになったんだ。
生命力の強い獣人は死にかけたけど、死にはしなかったんだよ。
時間をかけてゆっくりと回復して、今のツァーグがある。
皮肉だよね、ざまぁとか思うけど」
「ざまぁ、ですか?」
「ざまぁだよっ」
尻尾を膨らませプリプリ怒る楽市をみて、ヤークトは思わず笑ってしまう。
まだ回収の旅が、一日も経っていない。
それなのにこんな近くで主の、
楽し気な顔、
寂し気な顔、
泣き顔、
そして、怒り顔を見てしまった。
表情のコンプリートである。
何て濃い一日なのだろうと、ヤークトは思った。
これからもこんな毎日が続くのかと考えたら、思わず笑ってしまったのだ。
「ラクーチ様」
「ん」
「あたしも、そう思います……ざまぁです」
ヤークトはそう言って、串焼きを頬張った――