148 ブランコソムリエ、豆福
角つきは山の頂にたち、どこまでも続く山並みを眺めていた。
空は狂ったように青く、森は匂い立つほどに濃い緑だ。
真上近くから太陽が、白い輝きをこれでもかと降り注いでくる。
炙られた大地からは水分が蒸発して、遠くにある山並みは白く霞んでいた。
獣人が見たならば広がるパノラマに心打たれて、その深山信仰を熱く燃え上がらせるだろう。
しかし、角つきは違った。
ただ、眺めているだけである。
今は主たちの指示を待ち、待機しているところだった。
さてその主たちは角つきの頭の中で、何をしているかというと――
「これ、なにしてるの?」
夕凪がヤークトを見て、楽市に尋ねた。
「ん? 捜してもらっているの」
「んー?」
夕凪は、楽市の言っている意味が飲みこめない。
先ほど聞いてはいるのだ。
今は魔法を使い、捜しているのだと。
しかしである。
“捜す”という言葉と、目の前のヤークトがどうしても頭の中で繋がらない。
夕凪は首を傾げて、ヤークトを見つめた。
ヤークトは角つきの眼窩のへりに、背中をあずけて座り込んでいる。
目は半開きで、焦点が合っていない。
口元はなぜか、薄く笑っていた。
何がおかしいのか?
その隣ではパーナも同じく座り込み、意味のわからぬ薄笑いを浮かべている。
「う~ん……」
納得のいかない夕凪の横から、松永も鼻をつっこみ、新入り二人の顔を覗き込んだ。
ブホーーッ!
パーナの前髪が浮き上がるほど匂いを嗅いだのち、その顔をペロリと舐める。
パーナに反応はない。
ぼんやりしたままだ。
夕凪も松永を真似して、ヤークトをペロリと舐めてみる。
ヤークトも反応がない。
夕凪がもう一度、楽市に尋ねた。
「ねてる?」
「寝てないよ」
「ええー!?」
夕凪がどうしても理解できず、頬を膨らませていると、ヤークトが身じろぎをした。
夕凪にペロリとされて、起きる――寝てない――わけではないが、ヤークトの目の焦点が合っていきパチクリと瞬きをした。
ヤークトは目の前に、夕凪の顔があることに気付く。
「あっ、ウーナギさんっ。
ずっと、あたしの顔を見ていたのですか!?
恥ずかしいですっ」
ヤークトがそう言って頬を染めて横をむくと、視界にベロベロと舐め回されるパーナが入った。
「ひっ!」
よだれだらけのパーナにも驚いたが、やはり松永に驚かされる。
ペロリと舐めるたびに、口元から覗く牙の列が恐ろしい。
一本いっぽんが、ちょっとしたナイフのようで寒気がする。
その額からは立派な角が生えており、切っ先は触れると血が出るほどに鋭い。
体躯も森でよく見るモースなどとは、比べられぬほどガッシリして大きかった。
ヤークトはこんな獣が森には居るのかと、驚かされるばかりだ。
楽市からは、「マツナガ」と紹介されていた。
角つきがしゃの頭の中はかなり広いのだが、松永がいると狭く感じる。
ヤークトがあっけに取られて、ペロペロする松永を見ていると、松永はヤークトの顔も舐めた。
「ひいいっ!」
それを見て、楽市が苦笑いする。
「あー、ごめんね。
あたしも最初の頃は、よく舐められたから。
そのうち飽きるからさ、気にしないで」
楽市に気にするなと言われたら、仕方がない。
ヤークトは、気持ちを切り替えて楽市を見つめた。
「ラクーチ様、見つけました」
「ほんと? ありがとうヤークトっ」
「……っ!」
ヤークトは、思わず鼻息が荒くなってしまう。プスーッ
憧れの方のお役に立てることが、何よりも嬉しかった。
しかし小躍りしてはいけない、はしたない事である。
今は鼻息ていどに抑えて、後で噛みしめよう。
ヤークトはそう思う。
それでも尻尾は、どうしても揺れてしまう。
ヤークトは耳を真っ赤にして、自分の持ってきた背嚢に手を突っ込んだ。
取り出したのはペンとインク、それと紙である。
慣れた手つきで紙の上に、ここら辺の地形図を描いていく。
「ここが現在地です。
そしてこの位置に細く続く木々の枯れた、道のようなものがありました。
おそらくラクイチ様の言っていた、ガシャの通った跡だと思われます。
道はずっと東へ、向かっていました。
見つけた地点の距離は、ここから三十キリルメドル(キロ)でしょうか」
「キリルメドル? そっかありがと、助かるよヤークト」
「いえそんな……」プスーッ
楽市は距離の単位が良く分からないけれど、方向さえ分かれば良いのである。
別に歩いて行く訳ではない。
楽市は角つきの眼窩のフチに手をついて、下で作業する霧乃たちへ声をかけた。
「おーいっ、出発するよーっ」
角度的に見えないが、角つきの顎の下から霧乃の声が返ってきた。
「わーっ、らくーち、まってー!
もうちょっと、だからっ。
あーぎ、そっちはどう?」
「うん、もう、ちょっとー」
霧乃たちが何をやっているのかと言えば、角つきの肋骨の内側に、ブランコの取り付け作業を行っているのだった。
そのブランコは、巨樹に取り付けていたブランコである。
しばらく角つきが自分たちの住み処となると聞き、取り外して色々と持って来たのだった。
木の根とは高さが違うので、ブランコのツタの長さを、あーでもない、こーでもないと微調整している。
霧乃と朱儀がそれぞれ胸骨側と背骨側にしがみつき、ツタを骨に縛り付ける。
霧乃がブランコに座る、豆福へ声をかけた。
「まめー、どーおー?」
聞かれた豆福は、ブランコを大きく振って揺り動かしてみる。
その顔は単なる遊びではなく真剣そのもので、ちょっとしたブランコソムリエだ。
豆福は重々しくうなずき、作業員に満面の笑顔をおくった。
「きーりーっ、あーぎーっ、いーいーよーっ!」