139 シノとキキュール、ふたりでお喋り~最低な男。
「すまない、私にはその気持ちが、サッパリ分からないんだ」
「はっ!?」
「私の刷り込み対象は、チヒロラと君なのだよ。
だから今でも獣人を殺してきた事に、何の痛痒も感じないのだ」
「なっ……シノお前っ。
で……では、この苦しみは私だけなのか!?」
「そうだ」
「なっ!?」
キキュールは平然と言ってのけるシノに、一瞬何と言っていいのか分からなかった。
「だってお前も情動が生まれたと、言っていたではないかっ」
「だからそれは、あくまでもチヒロラと君に対してだけだ。
他はどうでも良いのだよ」
「うぐっ、お前……私にこの情動を植え付けておいて、何も感じないだと!?」
「なぜ君が、勘違いしたのか分からないが、そうだ」
キキュールが、歯ぎしりして詰め寄る。
左手でシノの胸元を掴み、憎悪の目で睨みつけた。
「きさまっ、きさまっ、きさまあっ!
お前という奴は、私がどれ程、この想いで……
くっ、殺してやる、コロシてっ!」
胸元を強く掴んでも、激しく揺さぶろうとはしないキキュールをみて、シノが首をかしげる。
「いや……少し、違うかもしれない」
「何が違うっ!」
キキュールは爪で生地を突き破るほど、ローブを握りしめた。
「キキュール。
私は君が大切にしているものを、大切にしたい。
だから、私は獣人を大切にあつかう。
私には、君の苦しみが分からない。
しかし苦しんでいる君を見ることが、私を苦しめる。
だから私は君が大切にするものを、君のために守りたい」
「なっ、なーっ、何だそれはっ!?」
キキュールの姿は、イミテーションである。
その偽装において血色を表現するための赤い色素が、顔面に集中した。
そこでキキュールは、思わずシノを強く揺さぶってしまう。
アンデッド・エルダーリッチも、なかなかの腕力を持っている。
高速でガクンガクン揺れる、シノの顎をみてキキュールは我に返った。
「あ、シノっ!」
「うぐ……大丈夫だ。
この程度の物理攻撃で、うっぷ、どうこうなる私ではない」
キキュールはシノへ何か言おうとしたが、口がパクパクするばかりで、ストンと座り直してしまった。
押し黙るキキュール。
そうしながらも何かを言いたげに、チラチラとシノを見ている。
シノは、そんなキキュールを見つめ返した。
「キキュール」
「な、なんだっ!」
キキュールはなぜか動揺して、声が大きくなってしまう。
「キキュール……今後ラク殿とダークエルフが争えば、おそらく多大な犠牲を払うのは、ダークエルフの獣人兵だろう」
「うっ……そ、それは……」
キキュールはそれを聞き、うつむいてしまう。
「ならばだキキュール、私はその犠牲を少しでも減らしたいと思う。
獣人の忠誠心から言えば、困難かもしれない。
しかし私はダークエルフと獣人を、少しでも切り離す工作をするつもりだ」
「そんなことが、可能なのか!?」
「少し前ならば、無駄なことと切り捨てるだろうがね。しかし今は違う。
以前にはなかった、重要なコマが手に入った。
それがラク殿だ」
「あの女が!?」
「そうだ。
ラク殿は今までこの大陸に存在しなかった、特異な要素だ。
ふふ、見たかね?
クローサ君の狂信的な目も相当だが、パーナ君とヤークト君のラク殿を見る目。
あの許しをこい、すがりつくような眼差しを。
まさしくクローサ君同様に、狂信的といえる。
獣人種の歪まされた本能は、従順を最重要とするものだ。
“従う”と言うことが、道徳的に高い意味をもつ種族なのだよ。
そしてダークエルフから与えられたその道徳観は、“強さ”という要素によって下支えされている。
獣人にとってダークエルフは、途轍もない強い主だからこそ、従うべき主だと刷り込まれている。
強い者の下に居る強烈な安心感が、獣人を縛り付けているのだ。
ならばだ。
その道徳観を逆手に取ることが、出来るかもしれないと思うのだよ。
つまり単純に、ダークエルフより強い主を作ればいいのさ」
「それがあの女と、いうことかっ」
「その通りっ。
すでにパーナ君とヤークト君は、ラク殿の強さを感じ取りなびいている。
今こちら側と向こう側の比率は、“1対99”かもしれないが、やり方によってはその比率を、大いに変えられると私は思っている」
それを聞き、キキュールは考え込んだ。
シノの話した事柄を、ゆっくりと嚙みくだき思案する。
先ほどの赤い色素が顔面に集中して、うろたえるキキュールとは別人のようだ。
久しぶりに吹っ掛けられた企みに、エルダーリッチとしての性根が立ち上がる。
「シノ……
あの女は、強さだけではないぞ。
獣人種とて他種族に支配されるより、同種の者に支配される方を、好むのではないだろうか?
同種族の女王による、統治と支配。
これは十分に獣人種たちの種族意識を、刺激するだろう」
「ふふふ、夢があるじゃないか。
“我が種族の中から、ダークエルフよりも強い者が現れる”というのは。
千年経てば、神話になるだろう。
気の長い話と、言われるかもしれないが」
キキュールが身を乗り出す。
「あいにく、私たちには寿命がないぞっ!」
キキュールの、キラキラした顔が近い。
「むむっ、中期的に見れば、獣人種同士が殺し合う場面も出てくるだろう。
しかしラク殿と正面衝突し続けるよりは、ましだと思うのだよ」
そう言ってシノは、一夜にして五万もの民が変容した街をながめる。
そしてシノは、真摯な口調でキキュールに伝えた。
「キキュール。
ラク殿を使い、獣人種たちをダークエルフから解放する。
この行動で、少しでも君の道徳的な苦痛を和らげたらと思う」
キキュールは更に、顔をグッと近づけた。
「シノ……」
「むぐっ、近か……なんだね?」
「お前は最低な男だが、頼りになる」
キキュールはそう言いながら、自分の肩をピタリとシノに寄せる。
「んっ!?」
肩をくっつけられて不思議がるシノを無視し、キキュールは北の空で揺らぐ黒炎を見つめた――
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